シュガーアンドミルク



日曜日の午後1時。
たまたま当番が当たってしまって、誰も利用することない田舎役場の受付係をするはめになった。やって来るのはすぐそこの町体育館のアリーナの使用許可をもらいにくる子ども達くらいで、今のところ、たつみくんまた遊ぼー、なんて子ども達と喋るくらいしか仕事がなかった。楽しいんだけどね。

田舎も田舎なこの町は、住めば分かるけど恐ろしいほどのアットホーム感。町民全員がお互いの顔と名前を覚えているくらいだから、町の規模は知れている。「町」というより「村」だった。俺の名前をお年寄り達がたつみくんと呼ぶもんだから、近所の子どもも俺のことをそう呼んだ。俺、もう35なんだけどな。
…あ、そういえば、この前結婚した谷口さんを、町民みんなでお祝いしたのは記憶に新しい。結婚式は一種の町起こしだな、ありゃ。お年寄り達が一番活気だって頑張ってた。たみさんは俺に、炊きたて赤飯のおにぎりをくれた。すごく旨かった。なんでか泣きそうになったけど、猫舌なフリをした。
そうそう、その夫婦、一昨日住民課に2人で来てたなあ。新しい、この町の住人だ。

そんな緩さゆえ、平日なら未だしも、休日はもっぱら子どもかお年寄りの話し相手、という始末。あまりの暇さ具合に、強烈な眠気に襲われていた、そんなときだった。
受付窓口のすぐ隣、小さなちいさな図書室から、澄んだ声で話される、2匹の子ネズミの冒険物語が聞こえてきたのは。


***


こんな田舎の町役場でも、町民が暮らしていくなかでは大事な機関であることには変わりない。教育委員会の職員として俺は、日々職務を全うしている。田舎役場にも関わらず、なかなかに大きな役場だから、町民が2階3階の和室や会議室や調理室を利用して、交流を深めたり教室を開いたりしていた。俺は子どもが対象の体験教室の計画作ったりする役。
なかなかに好評だったりして、職員はいかに町民にもっと役場を利用してもらおうか思案していた。
そんなとき案に挙がったのが、図書室利用数増加のための、司書導入案だった。
うちの図書室は、役場職員が交代で担当するだけの粗末な管理。良い設備があったけど、レファレンスカウンターとしてはなんの役にもたっていない。これじゃいけないってことで、司書を雇うことになった。

雇うとなっても、田舎の役場図書室となっては、アルバイトに毛が生えたような給料しか出せない。こんな条件じゃ無理だろなあ、なんて思ったけど一応、司書の資格を持ってる人を雇おうってことでポスターや、ホームページで募集してみた。
案の定、こんな小さい町に司書なんて都合いい人は見つからず、職員の中にも諦めムードが漂う。1ヶ月やってだめだったら、また職員交代制に戻そうと考えていた。まあ、職員も忙しすぎるってわけでもないし、みんなそうするかって、自然にそんな雰囲気になってた。
でも、予想を裏切ってやって来たのは22歳という、まだまだ青い、大卒青年。名前は椿大介。大学を卒業して、寮生活からこちらに戻って来たそうだ。
そんな若くてよくこんな悪条件で来たねえと感心と申し訳なさでいっぱいだったけど、他の人間の見込みはおそらくなかったので、その場で採用決定が出た。印象深いのは、その時の彼の嬉しそうな横顔だった。


「椿君はよくやってくれてるよ。よく気がつくし、マメだし。なにより思いやりがある」


同僚のごとーが、そうやって「椿君」を絶賛していた。確かに、司書としての仕事ぶりはなかなかのものだった。来て早々、図書室をひっくり返すような勢いで大量の本のチェックを黙々と始めて、なにやら本の位置や順序を細々と確認しては、整理し直していた。まめにお薦め図書を紹介したり、自分で画用紙を持って来ては見易い案内図を制作したり、図書室に新しく入れることのできる本の予算案を修正できないか打診してみたりと、素晴らしい頑張りようだ。

だけど、頑張ってるねえ、なんて声をかけてみると、小さい声でありがとうございます、なんておどおど照れてみたり、キョドってみたりと、案外拍子抜かされた。予算案を提出してきたときは、あんなにも頼もしかったのに。それ以外じゃあ、てんで気の弱い若者なんだ。イマドキの若者に珍しい、おとなしくて心優しい文学青年なんだなと、思った。


***


俺の睡魔を吹っ飛ばしたのは、そんな「椿君」の話し声だった。週に1度、絵本の読み聞かせを始めたいと言い出したのは、やっぱり椿君で。ボランティアとしてわざわざ毎週日曜に出てきては、子ども達のためにさまざまな本を読み聞かせた。椿君の頑張りは、子ども達のママさん方にも火をつけたよう。すっかり愛されキャラの人気者になった椿君の日曜日は、人で溢れ返るようになっていた。


「それ、俺知らない話だった」

午後4時。再び静けさを取り戻した図書室。カウンターで返却手続きを行っていた椿君に、声をかけた。俺の事務は、もう終了していた。椿君は、きょとんと顔を上げる。

「今日の読み聞かせ。図書室の本棚に在ったっけ?」

俺は、カウンターの片隅に置かれた本を指差した。二匹の子ネズミが、表紙の中で走り回っている。椿君は、あ、と声を溢して頷いた。

「家に、あったので、持ってきました…」
「へー」

俺は入り口すぐの雑誌ラックからサッカーマガジンを手にとって、側のチェストに腰掛ける。

「知らない話だけどさ、面白かったよ。…椿君て話上手なんだねえ」
「…あ、ありがとう、ございます」

それきり、暫く沈黙が続いた。雑誌をめくる音と、バーコードを読み取る機械音だけになる。視界のはじっこで、椿君がそわそわしているのが見えていたので、少ししてから顔を上げた。

「…なに?」
「あの、た、達海さん、本棚のこと、よくご存知なんですね」
「まあ、ちょっとだけ担当してたしね。椿君程じゃないけどさ」
「…あ、いえ、」
「……?」
「達海さん、サッカー、お好きですか」
「まあねー」

俺に限らず、この職場にはサッカー好きが多かった。マニアックなサッカーマガジンが棚に飾られているのがその証拠だった。職員以外に誰が読むんだよ、って思う。

「大学出るまで何だかんだ十年以上サッカーしてたんだー」
「へええ!そうだったんですか」

椿君が予想に反して目を輝かせた。がっつり文系な椿君にしては食いつき方が面白い。椿君も、サッカーは観たりするんだろうか。まあ、男の子なわけだしな。

「あ、そうだそうだ」

サッカーの話が出てふと思い付いたことがあった。一度事務室に戻って、チラシを何枚か探す。それを椿君に手渡した。

「これ、図書室にも張ってほしいんだ」
「わぁ、達海さんサッカー教室するんですか!」
「そうそう。職員中に経験者多いし、倉庫行ったらボールいっぱいあったしさ」

ちなみに主催者は、俺。ごとーはちょっと呆れてたけど、やっぱり少し嬉しそうだった。そうやって子どもも大人もみんなで楽しんで欲しかったし、何より俺がサッカーの素晴らしさを知ってもらいたかった。ここで職員してなかったらじつは俺、サッカー選手になりたかったんだ、なんてね。
椿君は興味津々でチラシを眺め回してる。そんなに好きなのかな、と少し嬉しくなった。

「土曜日だし、良かったら椿君も参加して、」
「あ、あの!」
「あぁ、はい?」

椿君が突然身を乗り出して大声で俺を呼び止める。あまりにびっくりして俺も、でかい声で返事をしてしまった。(なんだ何事なんだ)顔を真っ赤っかにした椿君は、意を決したように口を開く。

「指導者募集、ってありますけど、まだ必要ですか?」
「え?…まあ、もうちょっとほしいなって思ってる、けど」
「オレ、あの、」
「うん?」
「指導者、できます。…あ、いや、できるか分かんないですけど、つい最近まで、大学出るまで、十年くらいサッカーしてました」
「…え、まじ?」
「まじ、です」

驚くべき新事実。嘘をついているようにも見えないし。でも、椿君がサッカーなんて、意外だなぁ。ああ、でも確かに、思い当たる節はいくつかある。

何時だったか昼休みに、みんなでサッカーの試合観戦をしてたことがある。テレビを囲んで、わいわい言い合いながら。そのとき、試合最中、微妙だったんだけど、オフサイドらしきシーンがあった。あ、と思ったけど、試合はそのまま進む。
そんなとき、後ろから小さい声で、あ、と同じことを溢したやつがいた。それが椿君だった。あの時は偶々かなって思ったんだけど。

「なんだ椿君もお仲間だったの」
「スポーツ似合わないねって、よく言われます」
「そんなことないよ。きみは貴重な戦力だね、俺としては」
「え?」
「椿君が参加してくれたらさ、きっとみんな喜ぶよ。子ども達も、お母さん方も、」
「え、じゃあ、いいんですか?オレ、参加しても」
「むしろ、こっちから頼みたいくらいだよ。みんなで参加したほうが、サッカーは楽しい」
「ありがとうございます!」

椿君は満面の笑みを浮かべて礼を言う。あまりの喜びように、なんだかこっちが照れくさくなった。かわいい笑い方するなあ、と思う。
椿君は分かりやすくご機嫌で本棚を整理し始めた。いろんな人に愛されている理由がなんとなく分かった。俺は椿君の邪魔をしないよう、図書室を後にする。



「……そっかあ、椿君がねぇ…」

なんとなく口寂しくて、独り言を呟いてみた。無性にそわそわしているのが、自分でも分かる。
暫くして、足を止めた。
自分の顔がにやけているのに気がつく。なんだが調子が変だ。



「……あれ?」



かわいいって思った?
がっつりスポーツやってたハタチ越えの男に向かって?
笑ってただけなのに?
かわいい?
なんで?



「…あれぇ?」



(変なの、俺)



椿君の笑顔が、頭から暫く離れなかった。少しだけ、どきどきした。



「風邪でも引いたかな…」



(嗚呼、変なの)








「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -