【今から出かけて来ます!
いつ帰れるかは分からんけど、銀と仲良く留守番しとってな!
父、母より】
そんな書き置きが、この生活の始まりだった。
「はぁ…」
少年、小石川健二郎は朝から重い溜め息をついた。
理由は簡単。
自由奔放な両親が無期限の旅行に出かけてしまったためである。
こうなると、常人が考えうる範囲では帰っては来ないと彼は知っていた。
「まったく…しゃーないな。
とりあえず……師範ー?」
『なんです、健二郎はん』
健二郎が師範と呼んだのは、小石川家で飼われている白に黒い模様のある猫。
ホントは銀と言う名前があるが、健二郎は師範と呼んでいた。
「あんな、オトンとオカンがまた出掛けてしもうてん」
『構いまへん。
ワシは普段から健二郎はんに世話してもろてますから』
「ほんなら問題あらへんな。
さて、飯にしよか」
『はい』
はたから見ればおかしな光景だ。
猫と人間が、まるで言葉が通じているように会話をしているのだから。
しかし、事実一人と一匹の間には会話が成立していた。
夢のような話しだが、健二郎は猫の言葉が理解できるのだ。
健二郎は用意された朝食を準備し、銀の器にキャットフードを注いだ。
すると、どこからともなく、ニャー、と小さな泣き声が聞こえて来た。
「おぅ、お前も一緒にどうや?」
健二郎が声をかけたのは、台所にある窓。僅かに開いたガラス戸から現れたのは、黒猫だった。
「飯、食うやろ?」
『えぇんですか?』
「師範と二人やと味気ないしな」
そう言って健二郎は別の器を取り出し、キャットフードを注いで黒猫の前に差し出した。
『じゃあ…いただきます』
「おん」
特に会話があるわけでもない。
だが、健二郎も猫達も居心地がよかった。
朝食が済んだ頃、健二郎は思い出したように黒猫を見た。
「そういえば、俺お前の名前知らへん。
なんて言うん?」
『名前…俺、野良ですから名前ないんですわ』
「あ、そうか……なら、俺が付けてもえぇか?」
『…別に、構いませんけど』
「おおきに」
健二郎が微笑むと、黒猫はフイッと顔を逸らしてしまった。
そんな黒猫を健二郎は抱き上げ、ジッと見つめた。
「………」
『…あのぉ』
「よし、決まった!
お前の名前は“光”や!」
『ひか、る…?』
「おん!
お前の目、メッチャ綺麗やで光や」
得意気にニカッと笑う健二郎。
黒猫、光は名前を自分の中で何度も復唱し、噛み締めていた。
『健二郎はん』
声のした方に健二郎が目を向けると、銀が見上げていた。
『そろそろ行きませんと、遅刻してまいますよ』
「あ、せやな。
ほな師範、光のこと頼んだわ」
『分かりました』
「ほんなら行ってきます!」
『行ってらっしゃい』
健二郎は光を銀の前に降ろし、立て掛けていた鞄を掴んで家を出た。
銀と共に健二郎を見送った光は、外に出ようと窓に飛び移った。
しかし、銀がそれを引き止めた。
『光はん、何処行かはるんですか?』
『寝床に帰るんですわ』
『何言うてはるんですか。
アンタの寝床は、今日からここです』
そう言って微笑んだ銀に、光は目を見開いた。
『何言うてる、はそっちやないですか。
俺は…』
視線を足元にずらし、言葉を詰まらせる光。
そんな光に銀は言った。
『健二郎はんが名前を付けた。
それでもう光はんは家族です。
やから、帰って来た時に光はんがおらんかったら、健二郎はんが悲しみます』
光は、自分に名を付けてくれた時の健二郎の笑顔を思い浮かべた。
野良で、何のメリットもない自分を受け入れて、名前までくれた健二郎の笑顔を。
光は今までも人間に触れたことはあった。
だが、あんな風に笑顔を向け、光を受け入れた人間はいなかった。
『……分かり、ました。
俺、ここにいても…えぇんですね』
『はい。
これからワシらは家族です』
『…おおきに……銀、さん…』
『呼びにくかったら師範で構いまへんよ』
『ほんなら改めて…これからよろしゅう、師範』
今日、小石川家に家族が増えました。
一方、学校へ向かった健二郎は…
「光…メッチャ綺麗な毛並みやったなぁ」
光を抱き上げた時の感覚を思い出していた。
自然と頬が緩み、周りには花が舞っている。
「首輪は明るい色がえぇかなぁ。
飾りも付けて、可愛くして」
ウキウキとした表情でイメージを膨らませる健二郎は最早自分の世界だ。
「ほんなら師範の首輪も新しくせぇへんとな!」
帰りに二匹の首輪を買って行く事を決め、健二郎は通常モードに切り替えて校門にダッシュした。
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