「……今日は雨か…」

夜中にふと目が覚めた。
ボタボタと地面に落ちる雨音が耳に届いたから。


雨は好きだ。
その音で全てを掻き消してくれる。
その流れで全てを洗い落としてくれる。
その雫で、俺の今までの経験・記憶を全て流しきることが出来るなら。何度そう思ったか知れない。
仲のいい奴もいない。ここに来てからは良いことなんてなくて、ホントは良いことでも嫌なことに思える。
時々、意味もなく雨に打たれたいと思う時がある。
今は夜中で、わざわざ外に出て雨に当たる気にはなれないが、カーテンの中に潜り込み、窓を開けて雨を部屋に招き入れる。
微かな風に乗って肌を打つ雨がヒヤリとして心地いい。
部屋の床が濡れるのはあまり気にならなかった。
ピチャピチャとバウンドする雨音や、ボタボタと直接地面に落ちる雨音…不規則に耳に届くソレは、まるで俺の気持ちを表しているみたいだった。
アイツを見付けてしまった、俺の気持ちを…。



イタリア街でのランニング中、車に乗り込む見慣れた顔。
髪型や髪の色は変わっていたが、ニヒルな笑い方と怪しいサングラスは変わっていなかった。
アイツを見付けた瞬間、俺の中に訳の分からないモノが渦を巻いた。
俺を二流と罵った恨み。再び出会えた喜び。ホントに訳が分からない。なぜなら恨みよりも喜びが勝っていたから。



「影山…」

呟いた名前は、雨に掻き消された。俺自身の耳にも届いてはいない。

アイツの最高の作品は…
アイツのお気に入りは…

俺じゃない。
俺の近くにいる奴。
俺が越えられない奴。
アイツと俺の違いなんか歴然で、アイツが最高傑作で俺は出来そこない。
いくら頑張っても追いつけない。越えられない。

「……雨、当たるか」

ウタウダと悩んでしまった。今でも充分に濡れている身体を引きずり外に向かった。
窓は開けたまま。帰ってくるかは分からない。けど開けたまま。


合宿所の廊下を歩くと、シャツの裾から雫がたれる。誰がしてるのか知らないが、掃除の行き届いた廊下に水溜まりができる。
明日になれば無くなるであろう水溜まりを増やしながら、合宿所の扉を開けた。
当たり前だが人影はない。人の気配も建物の中だけ。俺一人だけ、空間に取り残された様な感覚。
いや、事実取り残されている気がする。

変わらず降り続ける雨。部屋にいた時よりも幾分激しさを増したように感じる。
靴を履かずに外に出た。ビチャビチャとグラウンドに溜まった雨水と泥が混じり合って跳ねる。
脚が段々土色に染まる。白いシャツにも跳ねて、ズボンなんてもうグチャグチャ。

「ここなら、平気か」

合宿所からは見えない植え込みにしゃがむ。

「朝になったら見付けてくれるかな……鬼道ちゃん」

さっきまで、影山がどうのだ。越えられない奴だ。などと言っていたのに、やっぱり俺は鬼道が好きなんだと自覚するはめになった。

「なんなんだ、俺は……!……猫…」

一匹の黒猫が、俺に擦り寄ってきた。こんなところにいるなんて、恐らくは捨て猫だ。

「俺もお前と同じで一人だよ」

抱き上げてやれば小さな舌で手を舐めてくる。思わず顔が緩むなんて、俺も丸くなったもんだ。なんて呟いてみる。

「…少し、冷えてきたな」

ニャーッと鳴く猫を抱え温める。こんなことしてたら、佐久間辺りは笑うだろう。
そんなことを考えていると、急に雨が止んだ。

「?……っ?!
なんっ、で…」

止んだ先には大きめの黒い傘。そして、暗闇でも分かる金髪に、闇をも反射するサングラス。

「こんなところにいては風邪を引く」

そう言って差し出された手。俺は伸びかける手を必死に押さえ込む。
今この手をとってはいけない。そう俺の中のナニかが告げている。
なのに…

「影山……っ総帥…」

重ねてしまった片手。もう片方の手に抱いた猫は小さな舌で俺を舐め続けている。
イタリア街で見かけた白い車に乗せられた。俺のせいで車が汚れても文句の一つも言わない。
どこかに電話をかける影山。その内容に、俺は少し笑いが込み上げた。

【汚れた猫を二匹ほど拾った。暖かいミルクとベッドを頼む】

軽く人さらいの様なことをしておいて、人のことを猫扱い。
それを可笑しく思っている辺り、俺はそれが嫌ではないのかもしれない。

「総帥、これって人さらいになりませんか?」

「私の手をとったのはお前だ。私に非はない。
お前はあそこで私の手を跳ね退け、合宿所に戻ることも出来たであろう。
しかしお前はそれをしなかったのだ。自ら私の手をとったのだ」

「随分と能弁だな。けど、間違っちゃいねぇな」

腕の中で目を閉じ、腹部を上下させる毛並みを撫でながら窓の外を見た。

雨はまだ止まない。

明日、一番に事に気付くのは誰だろうか。







濡れた猫

それを拾ったのは闇が先


END

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