合宿、それは離れて生活している恋人に会える数少ないチャンス。





「なぁ健二郎」

「なんや、仁王」


俺の肩に頭を預ける、話し方の違う恋人。
奇跡的に同室、なんて運命的なことはない。
細工の一つや、不正取引の二つはご愛嬌。
普段は電話で声を聞くぐらいしか出来ないが、今は簡単に触れられる。
横目に話し掛けると、澄んだ蒼い瞳が上目気味に返ってきた。
見た目には自分なんかよりずっと男前なのに、こうした小さな仕種がとても愛らしい。


「俺達、明日で付き合って一年じゃな」

「そんなんよぅ覚えとったな」

「当たり前じゃ。大切な恋人との記念日を忘れるほど、薄情な男じゃなか」


肩に乗る頭を抱き込んで、そっと抱きしめると素直に身体を預けてくる。
心なしか、頬が少し朱くて、微笑んでるようにも見えた。


「健二郎」

「なんや?」

「そろそろ、雅治って呼んでくれんかの?」


出会ってから今まで、健二郎が俺を名前で呼んでくれたことは無い。
さすがにもう呼んでくれても…


「嫌や」

「いやいやいや、そこは即答したらダメじゃろ」


返ってきたのは予想に反し過ぎた答え。でも少し覚悟はしていた。
もう少し可愛らしく、照れたりしてくれても良いはずなんだが、どうも健二郎は他とはズレている部分が多少……いや、かなり多い。


「なんでじゃ…」

「ずっと仁王って呼んで来たし、名前とか呼びにくいねん」

「呼びにくいって…それを言われたら終わりなんじゃが…」

「嘘は言うてへん。 そやなぁ……明日の試合、確か試合形式やろ?
それに勝てたら考えたる」


明日の練習は、ランダムに決められた試合形式が予定されている。と、夕食の時に、跡部が言っていた様な気がする。
言ったか言ってないかは別にどうでも良かった。が、名前呼びがかかってくるとなると、俄然やる気が出てくる。


「今言ったこと、絶対に忘れなさんな?」

「勝てたら、の話しや」

「絶対に勝っちゃる」


玩具を見付けた子供みたいに、悪戯っぽく笑う健二郎に、触れるだけのキスをした。
話して、触れて、愛して…そんな些細な事でも、凄く幸せだった。
この幸せがずっと続くと信じていた。


……信じたかった…





翌日の練習、俺の試合は午前の早目の時間帯。
当たった相手は、山吹の……部長だったか?名前は覚えてないが。
基本をマスターしたテニスは地味に強い。嫌なテニスだ。
だが、負けない。もちろん勝った。
すぐに健二郎に報告しようとしたら、どこにも姿が見えない。
コートにいないなら屋内か、と思って走り回っていたら跡部がいた。


「なんだ仁王、誰か探してんのか?」

「お前さんか。ちと健二郎をな」

「健二郎? あぁ、小石川か。
小石川なら滝と備品の買い出しに出てるぜ」

「なんでその二人なんじゃ…」

「ちょうど手が空いてたんでな。
後は、安心して任せられるからだ」


それには納得がいった。健二郎は副部長として、部長のサポートをしっかりしている。
滝も氷帝で会計をしている。確かに適任だ。
早く帰って来て欲しい……そんなことを考えた矢先、跡部の携帯が鳴った。

「滝か……なんだ」

滝からの電話。何か確認でもあるのか。
だが、そんな事じゃないとすぐに分かった。
跡部の顔が段々と険しくなったから。

「それで、状況は?……チッ!
すぐにそっちに向かう。いいか、絶対に動かすな!」

そう言って電話を切った跡部。顎に手を当ててブツブツと呟いている。
電話の切り方からして、何かあった事は確かだ。
何があったんじゃ?と聞いたら、なぜかチラリとこっちを見た。


「跡部、一体何が…」

「俺様は今から少し出る。幸村と白石に正面玄関に来るように言え」

「だから一体何があったんじゃ。
それになんでその二人なんじゃ」

「つべこべ言わずに早く行け!
時間がねぇんだ!」


命令口調で軽く睨まれた。少しムッときたが、そうも言っていられないらしい。
とにかくコートに走った。幸村と白石を見付けて、正面玄関に向かわせた。
しばらくして、車が出ていくのが見えた。部長が三人も……一体何があったのか。

「それにしても、なんで白石と幸村なんじゃ…」

跡部の人選だ。何か意味があるのは分かっている。しかし、それがなぜなのか分からない。
跡部が行ったは、合宿を計画したのが跡部で、合宿所も跡部グループの物だから。つまりは責任者として。

「白石と幸村…白石……ん? 白石…!」

いつの間にか走り出していた。考えれば容易に想像がつく…いや、ついてしまった。
跡部に電話を寄越したのは、滝だ。電話の内容からして、何かがあったのは間違いない。
そして行った部長二人…幸村は分からないが、白石なら分かる。
理由は“四天宝寺”の部長だから。つまり、四天宝寺の部員が関係している。

滝と買い出しに出ている、健二郎が…



とにかく走った。何があったとか、跡部達がどこへ向かったのか…そんなものは分からない。
分からないけど走った。じっとしてなんていられなかった。
夢中で走っていると、いつの間にか合宿所の敷地から出ていた。いくら普段走りこんでいても、この敷地は広すぎる。

「はぁ…っ、はぁっ」

軽く息もあがってきた。その時、ジャージのポケットに入れていた携帯が震えていた。

「誰じゃ、こんなときに…!」

ディスプレイの名前は【幸村】
あがった息を整えるのも忘れて、急いで通話ボタンを押した。


「もしもしっ…!」

「どうしたんだい?ずいぶん息が切れているようだけど」

「俺のことなんかどうでもいい!今、どこにおるんじゃ?!」


無意識に声を張り上げてしまった。しかし、そんなことを気にしている余裕は、今の自分にはなかった。

「………仁王、今から言う場所に来てくれ」

黙っていた幸村が、自分達のいる場所に来いと言った。


「…だよ、分かったかい?」

「あぁ、すぐに行くぜよ」


すぐに、と言っても、ここは自分のよく知っている場所ではない。
周りにいる奴をとっ捕まえて、道を聞いた。そしてたどり着いた場所に、俺は言葉を失った。

「総合…病、院…」

自分は勘が鋭いと言われる。しかし、勘というのは、当たって欲しくない時に限って当たるものだと知っている。


「仁王」

「! 跡部…」


入口には、跡部と幸村がいた。白石がいない…そして自分が呼ばれた。
胸がザワつく。聞きたくない…けど、聞かなければならない。


「…何があったんじゃ……健二郎に」

「!……やはりお前は勘付いたか」


跡部の言った“やはり”の言葉に、唇を噛んだ。当たって欲しくなどなかった。
跡部を見ると、付いて来い、の一言。黙って後に付いて、病院に入った。
隣を歩く幸村の表情は暗い。跡部も一言も発しない。


「………」

「跡部?」


黙々と歩いていた跡部がピタリと止まった。そこは、他の病室と切り離された様に孤立している病室だった。
名前のプレートは真っ白だが、中には僅かな人の気配があった。
不意に扉が開いて、中から出てきたのは白石だった。俯いていて、表情が読み取れない。

「!…に、ぉ…」

こっちを見た白石。その顔が悲しげに歪んだ。
思い違いかも知れないけど、でもそう見える。
白石の横を過ぎて、白石の後方にある扉を開けようとしたが…


「…離しんしゃい、白石」

「………」


白石が無言で手首を掴む。中に入ることを拒む。
跡部と幸村も何も言わない。そんな三人に苛立って、白石の手を振り払い扉を開けた。

「! あかっ!」

咎めるような白石の声。けど、耳には入っていなかった。
目の前に大切な姿を見つけたから。白いベッドに上体を起こして、ボーッと前を見つめる愛しい彼。


「健二郎っ!」

「!……?」


名前を呼んだら、ビクリと身体が震えた。ゆっくりとこっちを向いて、小首を傾げた。
その仕種に少し違和感を感じたが、すぐに彼に触れたくて、手を伸ばした。
が、次の健二郎の言葉に、俺の思考、行動、呼吸、時間…総てが止まった気がした。

「白石……こん人、誰や?」

身体が、動かない…今すぐに、何言ってんだ!って笑いたいのに、動かない。

「仁王、話がある」

動けない俺の腕を引いたのは幸村で、病室から出されて、人気のない場所方へ引かれた。
俺はただ付いて行く事しか出来なくて、病室の中には白石だけが残った。


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