「捻っちゃいました」
そうにっこりと笑った彼はちっとも痛くもなさそうに左手を差し出した。
「右利きじゃなかった?」
「両手で打てるように練習中なんです」
部活に入っているわけでもないくせに熱心なことだけれど。
「降谷くんともあろう人が、怪我が多くない?」
「先生に甘えられるならこれくらいの怪我」
「…わざとじゃないでしょうね」
「そんなに器用じゃないですよ」
悪びれなく言う。溜息をひとつついて彼の手を取る。日差しの中での練習だ。エアコンの効いた保健室に籠る私には、彼の肌の火照りはひどく熱い。
「とにかく、怪我には気を付けて」
「大会がね、近いんです」
「部員じゃないのに」
「助っ人には助っ人のプレッシャーがあるんですよ」
なんでも涼しい顔でこなすくせに何を言うのか。湿布を貼り、包帯で固定する。
「怪我してちゃ意味ないでしょう」
「当日には治りますよ」
「計ったみたいね」
ふふ、と彼は笑う。幼さを残すその顔はひどく整っていて、たまにとても恐ろしい。
「私に誰かを重ねるのはそろそろやめにしたら?」
いつか聞いた初恋の話は、私の気を引くための作り話というわけではなさそうだった。口説き文句にしては、不純すぎる。
「きっかけなだけです。僕は先生しかもう見てない」
「勘違いしてるだけよ。年相応の恋をしたら?選り取り見取りでしょう、降谷くんなら」
「選り取り見取りするのは年相応ですか?」
「さあ、学生時代の恋なんてもう忘れちゃったから」
「そうやって」
彼の右手が私の手を取る。
「子供扱いして逃げるのが、大人の恋ですか?」
ああほら。ぎらぎらとした夏の空みたいな青い瞳が容赦なく私を突き刺す。眩しくて、痛い。幼さのおそろしさ。
「大人の処世術ってあるのよ」
「詭弁ですね」
「難しい言葉を知ってるのね」
掴む手を、振りほどけない程度には彼が男の子だとはわかっている。
「今僕が先生にキスをしたら、先生は先生じゃなくなる」
教員と生徒だから、私が取り合わないのだと信じている。
「好きにしたら?」
大人と子供の障害はそんなに簡単なことじゃない。
「待つことも出来なくなるわ」
ジッと、青空の瞳を見つめ返す。
「ずるい」
彼の瞳は切実で、私には受け止めきれない。
「大人はずるい生き物なの」
彼は揺らいだ瞳を誤魔化すように目を伏せ、私の指先に唇を落とす。
「待っていてなんてくれないくせに」
薬指の根元を撫でた。



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