小学生の頃、家の鍵を忘れて家に帰れず泣いていた後輩を連れて帰ったのが最初だったかと思う。もっと前なら両親から聞いた、幼稚園の頃に両手一杯にダンゴムシを拾っていて母が絶叫した話も、幼いながらも何かを思った結果だったのかもしれない。怪我をした猫を拾ったことは何度もある。大人になってから家出少女も拾ったけれど、その子は話しているうちにやっぱり家へ帰ると頭を下げて帰っていった。
「大丈夫、じゃなさそうですね」
「……誰だ、テメェ」
成人男性を拾うのはさすがに初めてだった。路地裏の暗闇に埋もれていた黒ずくめの彼は綺麗な銀色の髪をしていて、それが綺麗でつい声をかけた。荒い呼吸の合間に何度も拒否の言葉を投げつけられたが、救急を呼ぶか警察を呼ぶかうちに来るかと怯まずに提案した結果、渋々私に拾われるという選択をしたのだった。
「好きにしろ」
吐き捨てられた言葉の通りに、私は好きにしたまでだ。
多分、カタギじゃないんだろうとは思うけれど、年もそう私と変わりはないだろうし、不思議と怖いとは思わなかった。おそらく全国でも驚異的な事件率をほこるこの街に住んでいることでメンタルが鍛えられているのかもしれない。もしくは、私の危機管理能力に欠陥がある。そんな気はずっとしているので、今更気にも留めなかった。
タクシーに乗せ私の家へと肩を貸しながらなんとか運び、上着だけは脱がせたけれど、それ以上は頑なに触れることも許してくれず、とりあえず相手が弱っているのをいいことに無理やりベッドへ横たわらせた。
起きたら怪我の状態を確認しなきゃいけないし、お風呂にも入って欲しいし、何か栄養のあるものを食べさせなくては。頭の中でやるべきことを思いながら、近くの24時間営業のスーパーへ出かけ、あれこれ買い込んで帰ってくると、玄関を開けた途端に壁へもたれながらこちらへ銃口を向けた彼が出迎えてくれた。思わず目を見開く。人生で最も手厚いお出迎えだった。
「…警察にチクってねえだろうな」
「しませんよ。警察も救急も嫌なんでしょ。今発砲したら確実に通報されるとは思いますけど」
「チ」
「元気があるなら手当てをしましょう。着替えを買ってきたので服も着替えましょう。通報されるのが嫌なら携帯預けますから、とりあえずドア閉めていいですか」
私がポケットから携帯を取り出してそろそろと床へ置くと、こちらを睨みながらも彼は銃を下ろした。それを確認して、玄関のドアを閉める。あの拳銃は本物だろうか。サイレンサーとかじゃなくてよかった。
結局彼はそこでまた自分の体を支えきれなくなり、私が肩を貸して寝室まで連れて行くことになった。触れた肌は熱のかたまりのようで、おそらく発熱していることに気付いたけれど、この様子では薬のひとつも飲んではくれないだろう。手当も着替えもできないままか、と息をつくと睨まれた。
玄関に置きっぱなしの荷物を取りに戻ろうとすると、ぐっと手を掴まれる。逃げると思われているんだろうか。
「食材だけでもしまわせてください」
睨み返すと、しばらくして手の力が緩まったので、その隙に逃れて玄関の荷物を回収する。食材をしまい終え、買ってきた着替えは封を開けてすぐ使えるようにタグを切り畳み、寝室へと持っていく。
彼はなかなか眠ってくれず、ずっとこちらを睨んでいる。
「私はリビングのソファで寝るので何かあったら呼んでください」
「駄目だ」
間髪入れずに返される。どれに関してだめなのか。リビングが?ソファが?寝るのが?どうしろと。
「見えるところにいないと殺す」
「極論…」
「あ?」
「ここにいればいいんですね。その前にお風呂入っていいですか?飲み会だったので煙草の匂いもするしあなたを運ぶのに汗もかいたし」
「チ」
舌打ちがお得意だ。
携帯は彼の枕元に預けているし、警察に連絡するのはこちらだって面倒だ。あの場にずっと放置していたらそっちの方が通報されてもおかしくないし、現状は私に借りを作っているようなものなのだからちょっと大人しくしていてくれ、というようなことをくどくどともう少しマイルドに伝えて、彼の監視から逃れひとっ風呂浴びる。湯船に浸かりながらどうしたものかなあと今更ながら考えた。
あんな場所であんな怪我をしていたところを見るといわゆる反社会的なやつかなと薄々思っていたけれど、あの拳銃が本物となるとなかなか本気のやつだろう。単独犯なんだろうか。仲間と連絡取ったり出来ないものかな。そうしたら彼は安全だろうか。むしろ私が殺されたりするのかな。まあそれはその時か。
行き当たりばったりに生きて来たので、やはり危機感が見当たらない。この街に住んでいたらいつ事件に巻き込まれるかもわからないし、だったら自分の意思で巻き込まれることを選んで来た。その末の結果なら受け入れられなくはない。
お風呂からあがって寝室へ戻ると、さすがにもう銃口は向けられなかったが彼はジッとこちらを睨んでいた。やはりなかなか眠ってくれない。というか、この状況で意識を保っているのって相当な精神力じゃないだろうか。見た目だけで判断したら二十代半ばというところだろうに、どんな風に生きてきたらこうなるんだろうか。
「戻りましたよ。どうせ起きてるなら傷口、消毒だけでもしますね」
有無を言わさずに宣言し、返事も聞かずに薬箱を持ってベッドの脇に座り込んだ。抵抗を見せる彼の手を払って布団を剥ぐと、服はもちろん布団やシーツにも血がついてしまっている。シーツは経血用の洗剤でどうにかなるだろう。布団はどうしようか。クリーニングに出しても粗大ゴミに出しても怪しいよなあ。思いながら、シャツのボタンに手をかけると、その手を取られた。拒否の目だ。
「変な菌が入って悪化したらもう救急車呼ぶしかないですよ」
「呼んだら、殺す」
「呼ばないために殺さないでくださいね」
殺す、殺すと物騒な口癖だ。シャツを脱がす前に、濡れタオルで彼の額や頬をそっと拭うと、彼はそっぽを向いて押し黙った。可愛くないな、と思いながらも私の口元は少し緩んでいた。
その後は抵抗を諦めたのか、大人しくシャツを脱がされる。生傷ではないが、あちこち傷跡が残っていて驚いた。しかし、今はそれどころじゃない。腹部の傷は思ったよりも深そうだが、自分で応急処置をしたのか焼け爛れても見える。どこかで見たことあるな、傷口を焼いて塞ぐやつ。漫画や映画みたいだ、と思いながら手を進める。
「…、っ」
「すみません、痛みますよね」
「っ、かまうな」
「すぐに終わらせます」
患部に直接触れる作業は終え、あとはガーゼを貼り包帯で固定をするだけだ。横になったままでは巻けない。
「失礼します」
私はベッドへあがり、彼に跨った。
「体、起こせますか?ゆっくりでいいので」
彼の脇から背中へと腕を差し込み、上体を起こす。そのまま私にもたれて大丈夫ですから、と言うと、もう意識も朦朧としてきたのか大人しく私にもたれた。
「つっ、」
縋るように私の背中に手を回し、痛みに耐えている。私は急いで包帯を胴に巻き固定する。とりあえずは応急処置終了だ。
「終わりました」
声をかけると、彼は私を抱きしめるような姿勢のまま反応がない。
「……大丈夫ですか?」
「、ああ」
掠れた声で言うと、腕の力が弱まった。またゆっくりと体を戻し、横たわらせる。
「俺の上に乗るたァ、いい度胸だ…」
「緊急事態ですから、許してください」
私は彼の上から退いてベッドを降りた。
「変なオンナだ…」
「よく言われます」
言いながら、綺麗にした濡れタオルでまた彼の顔を拭った。ハッと彼が小さく笑う。笑うと傷口が開きますよ、と注意すると間違いねぇなと少し語気が弱まった。
「ちゃんとここに居ますから、安心して寝てくださいね」
彼の頬にくっついた髪を避けてあげながら言うと、彼は不服そうにフン、と鼻であしらった。本当に可愛くないな。私は彼に見えないように、その様子につい小さく笑った。
電気を消して、ベッドの脇に座りこみ、枕元で腕を組んで彼の横顔を眺める。目は閉じているけれど、眠っただろうか。相変わらず呼吸は荒い。
ひと段落したら疲れとともに睡魔に襲われて、うとうととしてきてしまう。瞬きを繰り返しながら、彼を眺める。
「きれいなひと、」
ぼんやりとした中で、それだけは一目見た時からずっと印象にあった感想を、つい口にした。彼の反応はない。良かった、漸く眠ってくれた。私は安堵するとともに、意識を手放した。
(乾いた風吹く夜だった)
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