皆が皆そうであるとは限らないけれど、女性が複数人集まるとどうしてか高確率で愛だ恋だのという話から逃れられない。
蘭ちゃんには言わずもがな幼馴染の高校生探偵の工藤くんがいて、文句と言う名の愛しさの滲む言葉たちが紡がれる。園子ちゃんには先輩であり空手の達人である京極さんがいる。すぐにイケメンに食いつく彼女だけれど、彼への態度は特別でまさに恋する乙女だ。私とジョディさんは女子高生二人を眩しく見つめる。
今日は四人でカフェでお茶会なのだった。どうしてこうなったかは成り行きでしかない。
「私にもそんな時期があったわ」
そう懐かしむように目を細めるジョディさんの横で、私にそんな時期なんてあったかな、と記憶を辿るけれど、思い当たるよりも先に女子高生二人はジョディさんに話を振った。
「先生は最近どうなんですか?」
どうやら彼女は、捜査中の言葉の綾でキャメルさんとお付き合いをしていることになっているらしい。
「至って普通よ、私と彼のことを聞いても何にも面白くないわよう」
ジョディさんは両手を振って拒否の姿勢を示して、無理やり話を終わらせようとする。キャメルさんとの話は墓穴を掘りそうだもんなあ、と私にでもわかる。しかし思春期の女の子はそれで逃してはくれない。
「じゃあ、恋の思い出でもいいですよ!」
「えぇ…?そうねえ…前に付き合った男は最低だったけど」
「どんな人だったんですか?」
「それがね…」
ジョディさんはよほど不満があったのか、元彼の話を始めるとやたらと饒舌になった。その元彼は仕事仲間で、いかに仕事が出来るかとともに、どれほど身勝手で自信家でデリカシーがないかをまるで今なお許せないというように語った。蘭ちゃんと園子ちゃんが思わず引くほどのダメ出しのオンパレードだ。
「仕事に関しては同僚としてリスペクトしてるけど、恋人としてはゼロ点ね」
私は言い切ったその評価に苦笑いしながらも、その元恋人という人があの人なんじゃないかと思い当たっていた。
二人はジョディさんがFBIということは知らないようだけれど、仕事仲間ということはFBI内の人物だろう。以前FBIに助けてもらった時にも他の方々とはそれほど話もしていないので確実とは言い難いけれど、彼女が口にした数々のダメ出しから連想するのは、赤井秀一、その人だった。だって、めっちゃわかる、と聞きながらつい心の中で頷きまくってしまった。
私はそっとジョディさんの横顔を改めて眺める。赤井さんがそもそも顔立ちが良いので当然といえば当然だけれど、こんな美人さんとお付き合いしていたんだな、と感心する。隣に並べば、様になる。
「でも全く冷たい男ってわけでもないのよ。その後付き合ったひとのことは大切にしていたみたいだし」
ふっと一息、ジョディさんが目を伏せる。
「その女性を亡くしてるのよ。顔にはあんまり出さなかったけど、随分引きずっていたみたい」
「そんな…」
「そこでジョディ先生がそっと寄り添って慰めてあげたら、またその男もクラッと…!」
「園子!」
「やあねー!もうそんなんじゃないのよぉ」
ふふふ、とジョディさんは笑う。一瞬暗くなりかけた空気を吹き飛ばす園子ちゃんの軽薄さに救われて、私もそれに紛れて笑った。
ジョディさんと恋人だったことにすら少し驚いているのに、その次にお付き合いしたひとを亡くしているだなんて。そっか。そうなんだ。そうかー。その人もFBIのひとだったんだろうか。危険な仕事なんだよな、と改めて思う。
どう受け止めて良いかわからないままアイスコーヒーを啜っていると、矛先がこちらに向いていた。
「なまえはどうなの?」
私も話したんだから逃がさないわよ、とでも言うような企みの目で、ジョディさんがこちらを見ている。どう、と言われても、どう答えていいか。
「…ええと、好きな人はいますよ」
キャー、と女子高生二人が声を上げる。この歳になって「好きな人」だなんて表現を口にしたことが少し恥ずかしい。
「どんな人なんですか!?」
また答えにくい質問だ。
「うーん…。いつも飄々としてて余裕があるんだけど、変なところで抜けてたりとか、淡々としてそうでロマンチックだったりとか…。わりと不思議な人かなあ」
彼女たちは沖矢昴を知っているし、ジョディさんに至ってはその正体が赤井秀一だと言うことも知っている上に、元恋人だ。隠すわけではないが、なんとなく明言を避けたい心理が働く。
「もともとどういう関係で知り合ったんですか?」
「ご近所さん…?で、挨拶したりスーパーでよく会ったりしてる内に、何度か困っているところを助けてもらったりして」
うん、嘘は言ってない。赤井さんとしても沖矢さんとしても、出会いはそんなものだ。
「じゃあ、最近も挨拶を交わすだけ…?」
「あ、ううん。わりとよく会ってる」
FBIとしても大学院生としても、そんなに時間を持て余していていいのかとちょっと心配するくらいには頻繁に会っている。私の休みに合わせてくれているのかも知れないけれど、さっきのジョディさんの愚痴を聞くと実はそんなこともないのかもしれない。
「デートとか行くんですか?」
「デート…っていうか、どっちかの家が多いよ。自炊にハマってるっていうから料理教えたり、大型ホームセンターに行くのに車出してもらったり。でも、大体同じ部屋にいるだけでお互い他ごとしてるかな。本読んでたり、彼、忙しいのか、その間にうたた寝してたり」
彼とのことを思い出しながら事実を並べると、彼女たちは視線を絡ませ目で会話をしてから、私を見た。代表でジョディさんが口を開く。
「それで付き合ってないの?」
「え?」
「それじゃあもう夫婦みたいじゃない」
疑問の目を向ける三人に対して、私は疑問の目を向けた。そうか、そう感じるのか。どうなんだろう。
恋の話を振られて最初に彼のことを思い出しておきながら「恋人」ではなく「好きな人」と言ったのは意図的な表現だった。いつか体の関係を持った時、勢い余って避妊を怠り、もしもの時には責任を取って籍を入れようなんて言っていたけれど、結局検査薬が妊娠を知らせることもなかったし、その後生理も無事にきた。そのことを報告しても、彼は「そうか」としか言わず、喜びこそしないとしても残念な様子も見受けられなかった。そして今も特に変わらず、連絡も取るし会ってもいるが、この関係について言及することはない。
「特にお付き合いしましょうみたいなこともないから、付き合ってるわけじゃない、と思うけど」
「ええー!告白はしないんですか?」
「あ、私が彼のことを好きなのは言ったと思う」
「じゃあその人はその気持ちを知ってるのに、何も言わないんですか!?」
そういうことになるねえ、と私がのんびりと答えると、三人とも声を揃えて「それでいいの!?」と詰め寄った。びっくりした。
「その男、歳近いの?」
「ちょっと上ですね」
「いい大人のくせにハッキリしなさいよ!」
「自分のこと好きって知ってて、返事もせずに構ってもらえるからいい気になってるんじゃないですか、その男!」
「きっとそう!流されちゃダメですよ!」
「まさかその男、他に女がいるんじゃ…」
曖昧に答えすぎたせいか、彼は同情の余地なく随分と悪い男にされてしまっている。そんな男に引っかかると思われているんだなあ、私。そういうことだよなあ。なんてことを詰め寄る三人に苦笑いを返しながら考える。或いは、彼が本当に悪い男だということか。うーん、それも否定出来ない。



「…っていう話をしてきたんですけど、他にもいい女性がいるんですか?」
今は沖矢さんの姿である彼に尋ねると、彼は小首を傾げてこちらを見た。無意識だろうか、彼はたまにとても可愛い仕草をする。
「それは僕も初耳ですね。心当たりもありませんし」
「そうですか」
彼は昼間からウィスキー片手に書斎に籠っている。私も本が好きなので、本に囲まれたこの空間は落ち着くけれど、たまにここで煙草を吸っているのは紙が傷むからやめてほしい。
「じゃあ、ジョディさんと以前お付き合いしていたというのは」
「彼女が言ったんですか?」
「誰とは言いませんでしたが、話を聞く限り赤井さんではないかと」
「ホー、名推理ですね」
彼は取り乱す様子も焦る様子もなく、まるで興味がないというように読みかけの本を手に取った。過去を詮索されることに誰もいい気分にはならないだろうことはわかっている。それでも私はまた口を開いた。
「その後、恋人を亡くされたというのは?」
彼はページをめくる手を止めて、静かに顔を上げた。
「本当です」
あ、これは踏み込み過ぎたかも知れない。自分で聞いておきながら、その肯定の言葉に何も言えなかった。胸のあたりにざわざわと黒い靄のようなものが生まれる。小さく息を吸っては吐く。自分の感情に戸惑って、彼を見ていられなくて視線を外した。
「なまえさん、何を考えてます?」
彼は椅子から立ち上がり、私の顎を取り再び自分を向かせる。
「…今も、そのひとを好きなのかな、と」
責めるつもりはない。私は、自分の好きで彼といるのだ。籍を入れようなんて言葉を信用しなかったわけじゃないけれど、それは言葉通り責任を取るという手段だったんだろうと私は思っていて、それの他に明確な言葉がないのはその必要がなくなったからだ。だから、本当は他の誰かを思っていたとしても、何もおかしいことはない。
「…昔の話です」
彼は表情を変えないまま、唇だけを動かす。
「当時はもちろん好意があってお付き合いをしていましたが、もう、いない人です」
彼は私の手を取り、今まで自分が座っていた椅子に座らせ、静かな瞳でこちらを見つめる。
「今の僕にはなまえさんがいますから」
そうそっと頬を撫でる。なんて言葉を、連ねるんだろう。さっきとはまた違う種類の、だけどもっと入り組んだもやもやが膨らんでいく。
「昔の恋など忘れました。今はあなただけが…」
「うそ」
彼のそれ以上の言葉を拒むように、遮った。そんな言葉を聞きたくはなかった。どうしてそんなこと言うの。
自分の感情の名前がわからない。わからないけれど、そのもやを吐き出そうとするように涙に溶けて私の視界をじわじわと揺らす。
「馬鹿にしないでください、忘れたなんて、そんなひどい嘘」
彼が、好きになった人を、まして亡くした人を忘れて、全部丸ごと過去においてくるような人だなんて思わない。それとも、恋に盲目になって、そうは思いたくないだけだろうか。
「私は、そんな言葉が欲しいわけじゃない」
その場しのぎの言葉で、私が納得すると思ったんだろうか。今、私だけだと言えば手放しで喜ぶとでも思ったんだろうか。
確かに私は彼のことを何も知らないかもしれない。FBIに所属していることと、今は身を隠して大学院生として生活していることくらいだ。彼の優しさも身勝手さも、器用さも無頓着さもわかっているつもりだけれど、一緒に過ごした以上のことは何も知らない。誕生日も、血液型も、生い立ちも家族構成も、どうしてFBIに入ってどうして日本にいるのかも、どんな友人がいてどんな女性とお付き合いしてきたのかも。
「私は、私以外のひとの知るあなたを知れたことが、嬉しかっただけで」
そんな風に言いくるめられたかったわけじゃない。悲しみなのか、怒りなのか、ほかの何かなのかわからない感情が、涙になってついに溢れる。
「その人のこと、好きでいいんです。触れられたくないことだったのなら謝るから、そんな風に言わないで」
彼は言葉なく、私を見つめ、静かに溢れる涙をその指で掬う。私はその手に自分の手を重ねる。大きくて厚い手。
「私の知ってる赤井さんは、そんなひとじゃないはずです。それとも赤井さんは、私のこともそうやって忘れてしまいますか?」
「そんな」
言いかけて、それから彼は喉元に手を添えて再び口を開く。
「そんなつもりで言ったわけでは」
沖矢さんの声から赤井さんの声へと切り替わった。その声はいつもより少しだけ弱々しく聞こえる。
「すまない、少し動揺している」
深い緑色の瞳が、珍しく迷っている。いつもの彼らしからぬ様子に、ハッとする。
「ごめんなさい、私、言い過ぎました。勝手に踏み込んだくせに、」
「いや、」
口にしたことは全て思ったことではあったけれど、思ったことをそのまま全て口にする必要があったかと言えばそうではないだろう。その分別はついているつもりだった。
普段は何を考えているのかわかりにくく、何でもわかっているような顔をしている彼も、普通の人間なのだ。
「整理は、したつもりでいたんだが、君に言われると後ろめたい気持ちになった」
「うん、」
「君の言うように、忘れたわけじゃ、ない。だが、今愛してるのは君だけだ」
ゆっくりと話す彼の瞳は、もう迷うのをやめ真っ直ぐに私を見ている。ああ、こういうところだ。私は彼を悪い男には思い切れない。
さらりと紡がれた愛の言葉に、私は急に恥ずかしくなって、その視線から逃れるように彼の髪を撫でそのまま頭を抱えるように抱きしめる。
「忘れないでくださいね」
涙声が戻らないまま、頬の冷たさを感じながら続ける。
「私だって好きな人が、赤井さんが突然いなくなってしまったら、例えもう二度と会えないとわかってても、尚更、忘れられません」
「俺はいなくならない」
「絶対なんてないんです」
彼を疑うわけじゃないけれど、その言葉を鵜呑みにするほど世間知らずではないつもりだった。だって、国外の任務に出ていて、しかも身を隠してるとはいえ大学院に入学しているひとだ。
彼は言葉に迷っているのか、押し黙っている。
「信用してないわけじゃないんです。でもきっと、今だって危険と隣り合わせに過ごしているんでしょう?」
「それは…、そうだが、俺はそう簡単にはくたばらんぞ」
「ふふ、うん、しぶとそう」
私はつい笑って、その拍子に目の端から涙が一雫流れ落ちる。彼を抱く腕を緩めると、彼は私の顔をじっと見て、それから掌で頬を拭った。濡れて冷えた頬に彼の手は温かい。見ると、赤井さんの口元が緩んでいる。
「なに?」
「君はよくずぶ濡れになる」
「それはお互い様、と言いたいところだけど、今日は私だけですね」
彼が眉を下げるのを見て、私も笑う。
「お詫びというわけではないが」
彼はふと思い出したように机の引き出しを開けた。人様のお宅を本当に自由に使っているものだ。彼は小さな箱を手に取り、その中から何かを取り出し、そっと私の手を取った。まさか。
「…うそ」
「これは嘘じゃない」
わざわざ、薬指にはめた、シルバー。
「結婚指輪、と言いたいところだが、よほどの有事でなければまだしばらくは無理そうでな」
苦々しく言うわりに、以前は有事の可能性があったとはいえ簡単に口にしていた気がする。
私は指を広げ、自分の指に煌めく指輪をまじまじと眺めた。カフェでみんなに、彼と付き合っていないのかと問われたことを思い出してしまい、感慨深い気持ちになる。さっき、さらっと愛してるなんて言われたのだって驚いたけど、告白やお付き合いを飛び越えて、プロポーズをされているのだ。
「しぶとく生きて、君の元に帰ろう」
誓うように言った彼が、格好いいやら恨めしいやら愛おしいやら、気持ちが溢れてまた泣いた。今度は嬉し泣きだ。
不思議なもので、散々な事件に巻き込まれて不安を感じても涙なんて出なかった。そしてそれはいつの時も赤井さんが一緒にいたからだろうというのに、その赤井さんによってこんなにも涙が出てくる。泣くなんて、どれくらいぶりだろう。
「あまりそう泣かんでくれ、君が溶けてなくなってしまいそうだ」
「なんですかそれ」
くすくすと笑いながら、赤井さんのせいですよ、と言うと、彼は困ったような顔をした。そんな様子すら、どうしようもなく愛しい。
「いなくなりませんよ」
涙で濡らした顔のままそうへらりと笑うと、彼は私にキスをして、それから私を抱きしめ短く「ああ、」とだけ頷いた。声が震えているようにも聞こえる。
お互い様でしたね、と笑って彼の背中を撫でた。私を抱きしめる腕により力が込められて、私たちはしばらく動けないで、ただ優しく抱き合ったまま。




(滴り涙につのる愛のこと)



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