必要な情報は出た。他にも情報をいくつか吐いたが、これ以上は胃液も出ないだろう。そう、男の淡々とした報告を受けたのは数分前だ。
尋問役の男が去り、後始末には別の人間を向かわせていた。入れ違いに顔を合わせることがないだけの時間しか設けていない。だが掃除役が到着する予定よりも早く、立ち合わせていた清乃から一報が入った。ベルモットは微かに眉を顰める。
「……必要ないって、どういうこと?」
「関わる人間は少ない方がいいでしょ。掃除する利点もまあないわけじゃ…いやないな」
「ちゃんと説明しなさい」
「死んだんだよ」
数時間に及んだ暴力的尋問の後、対象は息絶えたという。すでに正気を失っていたそれは、錯乱する中で清乃に救いを求めた。清乃に何かあるいは誰かを重ね、乾いた灰色の床を這い爪のない手を伸ばしたまま動かなくなった。もちろん、その指先は清乃に届いていない。
「何をしたの」
「何もしないよ。ちゃんと見てただけ」
尋問時の様子や発言は記憶している。確かにもう情報は出なかっただろう。下手に片付けて綺麗にしてしまうよりもこのまま放っておいた方が足が付きにくいだろう。清乃はさらさらと状況報告と提案をする。
ちゃんと、見ていただけ。
死の際にある男の問いにも、叫びにも、嗚咽にも、応えることも戸惑うこともなくただ、見ていただけ。か細い命乞いにも、途切れ途切れの呪言にも、切実な最期の祈りにも、返されるのはひどく静かな感情のない視線だけ。
寡黙な男だった。清乃は七十年代のアウトロー役を思いながら見ていた。立場を弁えながらも強情だった。それが動揺したのは、全く分かりやすく家族の話題だ。
さまざまな提案をした後、配偶者の名を出す。これはまだ非情でいられた。次は元配偶者の名を告げる。これも想定済みのだんまり。元配偶者の今の名前と居住地、それから顔写真を見せられた時、僅かに揺れたまつ毛。
(……彼女の蝋燭は、長くはなくともよく燃えている)
名を変えた元配偶者を知られているということは、すなわちその女の元にいる血を分けた娘も知られている。と、すぐに男の頭に娘の顔が浮かんだだろう。呼吸が浅くなった自覚もなく。
(あの子の炎は勢いがいいが、下手して生き急がなければ蝋燭はまだまだ長い)
元配偶者と娘の情報を渡したのは清乃だ。情報を引き出すための材料にするには申し分のない対処も済ましてある。
(ああ。……「消えそうだな。消えた途端に命はない。もうじき死ぬよ」)
そこからは早かった。こちらの手に落ちたものを生かすか殺すかという判断は、絶対的なものではない。たった一つの返答で、駒として生き延びられる可能性はある。小さな仕草一つで役立たずと見做されれば、もう価値はない。
(「ほれ、ここに灯しかけがある。これとその消えかかっている蝋燭を繋いでみろ。上手く繋がれば助かるかもしれねえ」)
清乃は黙って二人の男を見ている。フードを被った顔には影が落ちて、足先まで黒に揃えた装いは灰色の部屋の影のようだ。その影の中から双眸だけが存在感を持って静かに二人の男を見ている。
脳味噌をフル回転させて身も心も甚振る男は淡々と笑んでいる。痛みと恥辱に塗れ身も心も正常に働かなくなっている男が渡り合えるはずがなかった。
消える、消える。死ぬよ、死ぬよ。ほらもう消えるよ。
これ以上の収穫もなければこの男にはもはや価値がない、と尋問役が部屋を出て行った。それを背後に感じながら、清乃は自分へと必死に這いずってくる男を見ていた。何か言っているけれど、もはや喘ぐ音でしかない。
(ああ、ここで、風だ)
清乃がたった一人、ありもしない風を感じたところで、ついにそれは。
「ほうら、消えた」
清乃はこの数時間、拷問と尋問に立ち会った中で初めて膝を折ってしゃがみ込み、声を発した。
男が清乃に何を見、何を感じたのか。清乃が密かに演じた死神の笑みを、その瞳に映したのかも最早わからない。

死神になった気分だったよ少し、とホテルへ戻った清乃は言った。
「まさかあなたがやったんじゃないでしょうね」
きつめの語気になってしまったことを気にはしなかった。清乃は顔には出さずキョトンとして、すぐに「違うよ」と当然のように返した。
「そういえば、日本の死神ってなかなか鎌を振らないよね。長かろうが短かろうが寿命を迎えたものの魂を回収すんの」
例にいくつか演目を挙げてみる様子は、台本の考察や役の感想を話している時と同じだ。清乃はオフを感じさせない男だから分かりにくいが、思考の多くを具体的に演劇が占めるとき、インプットだろうがアウトプットだろうがセリフがとめどなく漏れる。
「『いいか、決して人に言うなよ。アジャラカモクレンテケレッツの』……あ」
「なあに」
「Maybe it's him. なるほど寿命の入れ替えか。シャロン、わかったかも」
「……だからちゃんと説明してって言ってるでしょう」
多少面倒くさそうな態度を見せながらも、清乃は自分の持っている情報と先ほど見た光景や尋問の内容から導き出された仮説を説明する。表情も口振りも、顔色も呼吸の深さや瞳の動きも異常はない。むしろ自分の部屋ではないとしてもホテルの一室でソファに腰掛け、十分にリラックスしている。生きている期間で一緒にいる方が長くなってしまった相手を前に、気兼ねなくワインを横取りしているくらいだ。
シャロンは若い清乃に、極力死を目の前にするような仕事をさせてこなかった。その必要がなかったということは前提にあるけれど、組織の一員としても役者としても徹底的に教育することを優先させていた。もちろん、組織に所属する以上、死がまとわりつくことには変わりないのだが、それにしても清乃は死に対して無関心すぎる。幼い日に目にした肉親の死が鮮烈すぎたのかもしれない。
「あなたは、必要な時に躊躇するようなことはなさそうね」
シャロンが小さく息をついて言うと、清乃は少し考えるような仕草をしてみせた。
「その必要がないようにすることに躊躇はないけどね」
「知ってるつもりだけど、あなた随分堅実ね」
「はは、侮んなよ」
十代の頃のような言葉遣いで笑った。
「シャロンは世界も認める大女優だけど、その前にベルモットでしょう」
グラスに残っているワインをクルクルと緩やかに回す。
「俺は俳優だからね。演じられなくなるリスクはそりゃあ全力で回避するよ」
物心つく頃には、清乃はすでに神風清乃だった。まさに秘された秘蔵っ子で、その身に日本の伝統を叩き込まれ、ハリウッドの技術も吸収した舞台俳優。犯罪組織の一員でもある彼はしかし、あくまで演じ続けるために選択し、芸の糧になると判断したからベルモットの手を取ったすぎない。
「あら、それは裏切るっていう宣言かしら」
「まさか。逃げられる気はしないね。それに上がヘマしない限り、俺は何もしてないだろ? そう育てられたんだから」
当然のように言った。そう、組織の一員である以上、行いの証拠を残すようなヘマは許されない。末端の構成員まで教育が行き届いているわけではないので、必要があればネームドが後始末をすることはあるが、清乃はベルモットのそばにいるからには徹底した教育を受けている。
よほどのことがなければ、清乃のしてきた犯罪行為やそれに準じる行いについて、そのものが明るみに出たとしてもそこから清乃につながるものは出ないだろう。リスクとまではなり得ない。
だが、それはつまり、発覚することがないと自信が持てる場合ならば人間の命を奪うことは厭わないのではないのか。
もちろん清乃はそうは言っていない。言ってはいないが、神風清乃は他人にある意思を思い込ませて明言を避けることが上手いのだ。そしてそれを悟らせない演技力は師であるシャロンのお墨付きだ。
教え込む必要などなかった。清乃は自然にそういう術を身につけた。嘘はつかない。しかし核心を口にしない。
「ねえ、キヨノ。あなたまさか、」
ふと、思い出した。アメリカでデビューしてすぐの頃のことだ。まだ端役だった清乃が人気が出始めたところの他の俳優と二人で稽古をしていた。その際に、相手俳優が急に発作状態になり運ばれたことがあった。
稽古していた演目の中で、体を拘束され、視界を塞がれて拷問を受けるシーンがあった。もちろん演劇の中での話なので、拘束や目隠しはしているように見える程度に行い、拷問はフリとわかる程度の仕草で表現される。
稽古の中で拷問を受ける役を演じていた俳優は、演技の途中でまるで本当に尋問を受けているかのように過呼吸に陥り、本当に追い詰められたように叫び出し、拘束から逃れようと暴れた。
もちろん清乃はすぐに人を呼び、救急が呼ばれた。演技に熱が入りすぎたとか、急に人気が出始めたことでストレスを抱えていたとか、当たり障りのない原因が囁かれるだけで、清乃は巻き込まれた気の毒な若手として扱われたに過ぎなかったけれど。
(あれがもし、清乃が意図的に引き起こしたものだとしたら?)
人間は思い込みで身体に異常を来すのだ。実際に刺されていなくても、刺されたと思えば痛みを感じパニックに陥る。傷ひとつ付いていなくても、大量に出血していると感じれば失血死するのである。
清乃は当時でも十分に演者としての経験があり、技術があった。それに加えて、恐ろしいほどの才能があった。演技であるという前提を忘れさせることを、台本よりも痛みや恐怖を信じ込ませることを、清乃ならできるのではないか。
「うん?」
「……何でもないわ。ボトル追加しましょ」
「同じのでいい?」
「ええ」
清乃が従順にフロントへ注文するのを、シャロンは静かに眺め、飲み込んだ問いを口にすることはなかった。





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