お風呂から上がってリビングに戻ると、テーブルにはウイスキーの瓶とコンビニで買ってきたのであろうおつまみが置かれている。その向こうでほぼ金髪の童顔イケメンがわざわざ丸く削った氷の入ったロックグラスを片手にこちらを睨んでいた。
ちょっと待て。私ちゃんと鍵してチェーンロックもかけてたんですけど。彼に声をかけるより先に玄関をチェックするが、傷ひとつつかず鍵もチェーンもかかっている。こんなところで発揮するなよ無駄スキル。
「…何して」
「お前の分もちゃんとある」
「いや全然そういうことじゃ」
「風呂上がりに一杯も二杯も三杯も飲めるなんて幸せじゃないか。さっさと来い」
この野郎こんな時間に女性の入浴中に不法侵入しておいて何を偉そうに言ってるのか。言い返しても言い負かされるのはわかっているので、渋々彼の向かい側に座る。おつまみがオリーブとかチーズとかキャロットラペとかちょっとオシャレなんですけど成城石井とか行ってきた?ていうかワインじゃないのこのチョイス。
彼が私の分もウイスキーを注いでくれる。が、ウイスキーはそれでもう瓶の半分程に減っている。彼が私を待つ間に飲んでいたとは思えない。ということは、すでに開いている瓶を持ってきていたということか。
「もしかしてこれって秀」
「何」
思い切り睨まれた。嘘でしょめちゃくちゃ怒ってるじゃん何があったの。私は自分の身の安全のために口をつぐむ。
そして無言のまま、お互いに琥珀色の液体の入ったグラスを持って乾杯し、それぞれ一口舐める。まるでなにかの儀式みたいだ。
そして互いにグラスをテーブルに置いたタイミングで、彼が口を開く。
「さて…」
両ひじをつき、口元で指を交差させてゲンドウポーズを取る。完全にオフモードの証に掛けている眼鏡が輝いた気さえする。
「当たり前にゴムをつけない男をどう思う」
「クソだな」
「だろ!!!」
つい反射的に即答すると、すごい勢いで彼は同意する。私は動じずに言葉を続ける。
「ないわ。ない。そういう男はゴムしろって言うとピル飲めば?とか言うんだよそういう問題じゃないし」
「すごいわかる。わかるけど、お前そんな男と付き合ってたの?うわあ見る目ねえー」
「うるさいな。死ぬほど昔のことだよ。男を見る目がないのはあんたと付き合いがある時点でも変わってないよ」
「いやむしろ俺に惚れないところが見る目ない」
「は?零に惚れるくらいなら秀一さんに惚れるわ」
「その秀一さんがお前がクソって言った男だって言ってるんだよ」
「は?」
私は驚いて、飲みかけたウイスキーが変なところに入ってしまって盛大にむせる。
ひとしきり咳き込んでから向かいの男を見ると、拗ねたように口を一文字に結んでいる。その様子が可愛くてつい笑ってしまう。女子か。
「ふ…ふふ、ちょっと待って、別にあんたも秀一さんも病気なんて持ってないでしょ?」
「あるわけないだろ」
「じゃあいいんじゃないの?避妊の必要はないし」
「今までずっとそうだったんだぞ。モラルの問題だ。どこでどんな女があいつの子供を孕んできたか」
「えっやばいじゃん、秀一さんの子供とか引き取りたい」
言うと、彼はハッとした顔をした。わかるよ、今絶対赤井ジュニアを想像してる。
彼はおもむろにグラスを掴むと、ぐいっとウイスキーをあおった。
「…………探そう……」
「あっはっは!権力の無駄遣いやめろ」
「それくらい自分で調べられる」
「いやグローバルすぎてそんな余裕ないでしょ、仕事しろ」
「見たくないのか!」
「めっちゃ見たい」
この男、もうすでに酔っ払っているのか、ブツブツと彼の経歴をおさらいしてどの時期のあの国にいた頃が怪しい、と無駄にいい記憶力と無駄に回る脳を駆使して本当に探そうとしている。頭のいい人ってどうしてこう、人間的に馬鹿なのか。
その様子を見ながらニヤニヤしていると、背後でごとりと音がした。振り向くと、私の携帯がバイブの振動で床に落ちている。
座ったまま手を伸ばして携帯を取ると、ちょうど着信が止まった。画面には、大量のメールと着信が通知されている。恐ろしい件数だ。だが、仕事ではなく目の前にいる男からと、今槍玉にあがっているその恋人から。なんなんだこいつらどうして喧嘩して私に頼るんだ。
はあ、とため息をついてひとつひとつ通知を解除していると、パッと画面が変わってまた着信がある。沖矢昴。
「出るなよ」
「あ」
言われるより先に通話ボタンを押してしまった。チッと舌打ちが聞こえたが、切るのも申し訳ないので通話を続ける。
「もしもし?」
『零くんが行っていないか』
第一声がそれか。私がチラリと零を見ると、彼はぶっさいくな顔をして両手をクロスしてバツを掲げている。
「来てないよ。めちゃくちゃ着信は着てるけど、お風呂入ってて出られなかったからちょっとわかんないですね。喧嘩でもしたんですか?」
零は這うようにしてこちらに移動して、携帯の反対側に耳を寄せて盗み聞きしている。さらりとした髪が手の甲に触れてくすぐったい。
『ああ…。いや、大したことじゃないと思うんだが、ひどく怒らせてしまったようだ』
一緒にいたところでこの時間に家を飛び出していった恋人に対して大したことないと言うのは頂けないな。
「それ零に言っちゃダメですよ」
すでに言っちゃってるし聞かれちゃってるけど。
「何したんですか秀一さん」
『セックスのあと話をしていて、何か気に障ることを言ってしまったようで、色欲魔と叫んで出て行ってしまってな』
「ふっ…色欲魔………」
つい笑ってしまって、すぐ横から睨まれる。ていうかこの男、一発やってから他の女のところに転がり込んで来てるのか。そして恋人もそれを予測して連絡してきているなんて、どっちもどっちだな。
「秀一さん。話は変わるけど、秀一さんて今まで子供出来ちゃったことってないんですか?」
ウイスキーを一口飲むと、中で氷がくるりと回る。零が置きっぱなしのグラスには、私と彼が頭をくっつけている様子が写り込んで、まるで寄り添うように見える。
『ない…………とは思うが』
「心当たりは?」
『………どうかな』
これはあり過ぎてわからないやつだ。子供ができた、なんて、言われなければ男はわからないし、このモテ男相手にそれを責め立てる女もいなかっただろう。責め立てたくても、もう行方がわからない、なんてこともありそうだし。
はっきりとしない彼に痺れを切らしたのか、スッと零の手が私の手ごと携帯を掴み、自分の口元に持っていく。
「どうせ俺もその辺の女と同じように無責任に捨てるつもりなんだろ赤井秀一!」
言い放って、勝手に通話を切ってしまった。彼は赤井秀一という単語を悪口だと思っている節がある。
フン、鼻で呆れて手を離し、のそのそとまたテーブルの向こうに戻っていく。そろそろ慣れてきてはいるけれど、この男、基本的に距離が近い。
すぐにまた着信があったけれど、さらに凄みを増して睨まれたので、クッションの上に放っておく。
「なるほど、それでそんなに怒ってたのか」
さっき言い放った言葉で納得した。ヤリ捨てられた女たちと同格に見られていると感じて、ショックだったということか。
「…なんだよ」
「まあでも、気にしすぎでしょ」
「わかってるよ」
彼はまたウイスキーをあおって、ため息をついた。あーあ、そんなに強くもないのに。私は飲み切った自分のグラスにウイスキーを足して、少しだけ彼のグラスにも足し、それからキッチンへ立って水を入れたグラスを彼の前に置く。
彼はちゃんとわかっているのだ、秀一さんに愛されていることなんて。ひと夜限りの女たちと同じ扱いなわけがない。はたから見ても大切にされているのはわかるし、彼はそれに気付かないほど鈍くはない。だけど、だからって何も感じないわけじゃない。どれだけ普段冷静沈着でも、好きな人に対して冷静でいられないのは誰だって同じだ。
「わかってるなら、まあひと晩頭冷やして素直に謝りなさいよ」
「…………」
「まったく、可愛いんだからなあ」
「うるさい」
酔って顔を赤くした彼は、今度は怒りではなく照れ隠しに拗ねている。
「さっきの…」
「ん?」
ぽつり、と彼が溢した。
「赤井の子供は…見たいな…」
もうぼんやりとしている。彼らは愛し合っても、実の子供に恵まれることはない。仲睦まじく見ていて愛しい二人だけれど、どうしても切ない。
「…代理出産、か」
つい思いついて口に出してしまう。なるほど。彼らのどちらかが誰かに子供を孕ませて産めば、実の子供ではある。女性が承諾するなら、ありだろうか。簡単な話ではないけど。
「代理、」
彼が呟く。しまった、気分を害したかもしれない。
「いや、例がないわけじゃないけどなかなか難しいよね」
「……いや、それだ」
「は?」
焦ってフォローしたのに、なにやら納得している。真顔で、彼はこちらを見つめた。酔って潤んだ瞳。
「なまえ、代理母になる気はないか。俺が終身雇用するから生活は保証する」
「はあ?」
この男、完全に酔っ払っている。何を言っているのか。
「私に秀一さんの子供を産めっていうの?ていうか零に終身雇用されるとか怖すぎるんですけど」
「通院、出産費用、養育費もまとめて面倒見る」
「いやいやいや、待って。冷静になって。ていうか、さっきまで過去の女に嫉妬してたくせに私が秀一さんと寝るのはかまわないわけ?」
コンドームをつけないことにモラルを問うておきながら、この言い草はなんだ。私はあんたたちカップルに都合のいい道具じゃないんだぞ。
「…………じゃ、俺にするか?」
「は?」
真剣な顔。
「酔ってんの」
「酔ってない」
「いや酔ってるから」
真面目な顔をしたまま、酔っ払いのくせにやけにはっきりとしたら口調で言う。じっとこちらを見つめたままだ。
「俺とはできない?」
整ったこの男の顔が憎い。むしろ狡い。言ってることはこんなにダメなやつだし普段の恐ろしさを知っていても、ついドキリとしてしまう。
「そっ…それはあんたでしょ…!私とできるの!?」
「出来るよ。こんな時に勝手に会いにくる女性に対して何の可能性も持たないわけないだろう」
ちゃんとわかって言ってるんだろうか。彼こそそこらの女にも簡単にこんなこと言ってるんじゃないだろうか。
彼はのそのそとこちらへ移動してくる。こんな話をしている最中だから、私はつい寄ってくる彼から距離を取る。
「、なに」
「試してみれば早い」
「それは浮気にはならないんですか」
「…なまえなら許される気がする」
しないよ。私が秀一さんに射殺されるよ。そういう無駄な信頼はいらない。信頼と呼ぶのも間違っている気がする。彼はかけていた眼鏡を外してテーブルに置く。眼鏡
「ちょ、零…」
逃げきれずに組み敷かれる。押し返そうにも、鍛え上げられた男の体はビクともしない。
「…っ!」
するりと彼のしなやかな指が、シャツの隙間から侵入してくる。腰から脇腹へ、絶妙な加減で撫でる。ぞわり、と鳥肌が立つ。
「待っ…」
そのまま首筋に沿ってキスが降る。ちゅ、と音が鳴る。恥ずかしさに拍車がかかる。
「っ…」
止めるにも、変な声が出そうで声が出せない。彼の肩を掴む指先に、ぎゅ、と力がこもる。その間にも、彼は器用に片手でブラホックを外す。無駄に女慣れしやがってこの男。
「…セクハラで、訴えてやる…」
「うるさい」
「ちょっ…」
ぐっと顎を取られる。垂れた前髪が、私の額に触れる。思わずギュっと目を閉じる。

「そこまでにしておけ」
「ーっ!」

零とは違う声がして、ハッと目を開ける。
見上げた先には、秀一さんが軽々と零を抱えている。
「秀一、さん」
驚いてつい声音に喜びが出てしまったけれど、違う、なんで秀一さんまでうちに当たり前のように不法侵入してるんだ。
「何しに来た」
「君こそ何をしているんだ」
零は抱えられたまま憤慨しているし、秀一さんは抱えたまま彼を見つめている。私はいそいそと服を整え、一応玄関をチェックする。やっぱり鍵は傷ひとつなくチェーンロックまでかかっている。私にプライバシーとかないのか。

「というわけで」

テーブルの向こうに二人を並べて座らせて、空になったウイスキーの瓶は退け、彼らには水を、そして私は缶ビールを前にして座った。とりあえずひと通りの彼らの喧嘩の経緯をなぜか私が説明をし終えたところだ。
「秀一さんは零の言い分を一度ちゃんと飲み込んで過去を反省してより一層零を大切にすること」
「ああ」
「ああじゃない、はい」
「………はい」
ぐびっと一口ビールを飲むんで、カン、と強めにテーブルに置く。
「零は過去のことに囚われないでもやもやしたらちゃんと秀一さんに理由を話して向き合う努力を怠らないこと」
「…………」
「返事は!」
「……………………はい」
秀一さんはむっすりと腕を組んで、その隣では零がそっぽ向いて座っている。
「それから、二人とも無断で鍵をあけてうちに入ってこない!」
これに関しては二人とも目をそらす。嘘でしょどうしてそこが納得できないの。
はああ、とため息をつく。
「はいじゃあ誓いのキス!」
二人はキョトンこちらを見る。
「ち、か、い、の、き、す」
私は頬杖をついてもう一度促すと、顔を見合わせてから、少し恥ずかしそうに軽く唇を合わせた。零なんて、酔いは覚めたはずなのに赤くなっている。はいご馳走さま。

「ところで」
秀一さんは不服な様子でグラスの水を飲んで、落ち着かなさそうに切り出した。
「零くんと君のさっきの状態は一体」
「あー…」
そうだ、厄介なのはどちらかというとそっちの話だ。私がどう説明すべきか迷っていると、ふっとため息をついた零が勝手に立ち上がり、冷蔵庫からビールを二本持ち出して自分と秀一さんの前に置く。何から何まで勝手にしやがって。
「本当に隠し子とかいないのか」
「さっきも言っていたが、なんなんだそれは」
「…いるなら絶対可愛いから引き取りたいっていう話をしてて」
「ホォー…」
秀一さん、ちょっと嬉しそうじゃないか。二人とも遠慮なくビールを飲み始めている。
「でもいたとして母親の意思もあるし、時期にしろ国にしろ探すのは大変だし」
「本人は心当たりがありすぎるみたいだしな」
零が彼をじとりと睨む。
「で、こいつが代理出産っていうから、それはありだなって」
「なるほど…」
「なるほどじゃないから」
秀一さんは、ちょっと考える仕草をしながらこちらをじっと見ている。それから隣の彼を見て、またこちらを見る。
「アリだな」
「は?」
「ほら、許されるだろ」
ほらじゃない。零が来てからの状況が最初から最後まで全部おかしいじゃないか。
二人はお互いの子供への期待を口にして盛り上がっている。わかる。零の子供だって、秀一さんの子供だってそりゃあ可愛いだろう。絶対可愛いだろう。二人の子供なら私だって愛でたい。もう考えるだけでつらいくらいテンションがあがる。
だが、その母胎が私というのは無理だ。
「まかり間違って私に似たらどうすんのよ…」
深いため息を吐く。過程は置いておいても、結果が出せなければ意味はない。
「問題ない」
何でもないことのように、さらりと聞こえた。
「と、俺は思うが、零くんはどう思う」
「なまえの子供なら間違いないでしょう」
「逆に問題だらけですよあなたたち二人…」
私の言葉なんて聞きもしないで、彼らは二人で話を始める。
「でもこいつは赤井との子作りはしたくないっていうから」
「ほう」
言ってない。
「じゃあ俺にするかって」
「君でもダメなのか」
君でもとかじゃない。
「あんたが来なきゃもうひと押しだったんだよ」
「それは申し訳ない」
あなたが申し訳なく思うべきはそこじゃない。
「…………でも、あんたの子供も見たいな」
言うな零。秀一さんが、なるほど、という顔をしているじゃないか。
「愛しい恋人の望みは叶えたいところだが…」
呟いて、二人顔を見合わせた。そして、同時にこちらを見る。そろって、フッと笑う。
イケメン二人の不敵な笑みなんてとても美味しい絵面だけれど、完全に嫌な予感しかしない。
「どっちが先に彼女をその気にさせられるか」
「勝負、か」
絶対敵に回したくない男二人が、どうやら敵になってしまった。背筋が凍る思いで、ごくりと唾を飲んだ。
こうしてあからさまなハニートラップを宣言された私の日々が始まってしまうのであった。






(ハニートラップ・トライアングル)

back