この週末、平穏に研修期間を送る、というためだけに仲良くしている同僚に強引に誘われて、カケラも参加したくない合コンに来て早二時間。就職面接よりも表面的な自己紹介タイムが終わり、男はただ大声を出し、女は面白くもないのに笑い声を上げ、薄っぺらい話題でよくここまでもったものだ。酔っ払って無様なことにはならないようには気をつけているが、こうも興味のない場所で耐えるために、いつもよりも酒をあおる。ああ、掘りごたつの下であたる足が気持ち悪い。
「あはは、何でそんなの持ってるんですかあ?」
「そりゃあ鉄板だからな!」
奥の席で声があがる。無駄に前髪の長いわざとらしいストレートヘアの男が、得意げにくじのようなものを手元でジャラジャラと鳴らしている。
「王様ゲーーーーム!!」
何人かが声を合わせて叫ぶ。個室とはいえ、声なんて筒抜けなんだから本当にやめて欲しい。何が楽しいのか全然わからないし、宅飲みならまだしも居酒屋にまでわざわざ王様ゲームのくじを持参するなんて、完全にヤリ目的じゃない?それともこれくらいが普通なの?私は、合コンなんてものに免疫がなさすぎて混乱していた。仕事をしにいく職場で友達を作ろうなんてのが甘かっただろうか。
私は携帯がポケットに入っていることを確認して、そっと席を立つ。お手洗いへ行くフリをして、しばらくやり過ごそう。遅めに戻って、調子が悪いとか言って先に帰ろう、そうしよう。
こそっと廊下へ出て、足早に角を曲がる。
「わっ!」
「おっと、」
ドン、と正面から人にぶつかる。よろけたものの、相手が支えてくれて転ばずに済んだ。
「す、すみません…」
「いや。…って、お前」
「え…………。は?」
見上げて、間抜けな声を出してしまう。うそ。
黒髪のパーマに鋭い視線、整った顔立ちは記憶よりも幼さが抜けて磨きがかかっている。身長も随分と伸びている。だけど、相変わらず威圧的な存在感。
「陣平…、?」
呟くと、ニヤリと笑った。
丁度それと同時に、すぐそこの賑やかな個室で、なまえちゃんどこ行ったのー!と私の名前が呼ばれている。トイレじゃない?とりあえず抜きにする?と続く。私は、しまった、と思いながら意味もなくじっと息をひそめる。
「フゥン?」
「や、これはその…」
「なんだよ。ま、楽しめよ」
彼はそう言って私の腕を離すと、ひらひらと手を振りながらさっさと去って行く。私は何も言えずにぼんやりとその背中を見送って、また個室が賑やかになった声を聞いてハッとし、そそくさとお手洗いへと向かった。
お手洗いの鏡の前で自分の顔を眺めながらため息をつく。乗り気じゃなくとも一応礼儀としてそれなりの服装はしてきてはいたけれど、こんなことならもっと可愛い服にしてきたのに。いや、あんまり気合いを入れていても合コンに本気みたいに見えてしまうか。もう二時間もあの部屋にいてずっと飲み続けていてお酒くさいだろうし、化粧もヨレるまではいかないがテカりが少し目立ってきている。久しぶりに会ったのがまさかあの状況でこの状態だなんて、ため息しか出ない。
私は携帯を見つめる。彼とのメールの履歴は短い文章ばかり。途切れる話題。最後の連絡は、私が止めてしまっている。大学三年生の終わり。
陣平と付き合い始めたのは高校を卒業する頃で、お互い入学以来なんだかんだと一緒にいてたけれど、別々の大学に進学することになってようやくその不安から友達のままでいることをやめた。クラスメイトじゃなくなっても一緒にいることに理由がいるなら、その理由を作ればいい、と彼は不敵に笑ったのを覚えている。私はあの笑い方がとても好きだった。そんなの無理があるでしょってことにだって、彼が大丈夫だろってなんでもないことのようにそう笑うと、こっちまで根拠もなく大丈夫な気持ちになれた。
なれたはずだったのにな。
私は学生生活やバイトや諸々の忙しさにかまけて、そして高校時代に比べて離れて生活する中で勝手に嫉妬をして、ひとりで疲れてしまった。そうして、彼を避けるように会うことを避けたあげく、就職活動を理由に完全に連絡を絶った。
自分が楽になりたくて、手を離したのだ。さっき、久しぶりに彼の名前を口にして、一気に後悔が押し寄せた。その背中に向かって、引き留めることは出来なかった。

「あ!なまえちゃあん!遅いよー?戻ろー?」
急に盛大に開いた扉から、同僚の一人がにこにこと入ってくる。待って、すぐ済むから、一緒に戻ろー?とへろへろと笑う。この状態の彼女を置いて逃走出来るほど度胸はないので、私は同じようにへらへらと意味もなく笑って、彼女を待った。
部屋へ戻ると、賑やかさには拍車がかかっていた。丁度王様から命令が下ってすぐだったらしく、奥で同僚の友達だという女の子が盛大にキスされている。最悪だ。マイルドなところで抜けて、ハードなところで戻ってきてしまったようだ。これはもう調子悪いとか言って逃げるしか。
「ほら、引いて引いて」
「あ、いや、私その、ちょっと気分が」
「ほら!はやくー!」
酔っ払いに声は届かない。結局無理矢理くじを引かされる。絶対呼ばれませんように、とくじを握って祈る。握った手のひらの中に書かれているのは四番。不吉な数字は、やはり不幸を呼ぶ。
「二番と四番がキス!!!」
言った瞬間、王様である同僚の顔を見つめた。無理、と目で訴えるが、話も聞いてくれない子がそんな視線に気付くわけはなかった。奥に座る男が、なぜかくじを自慢げに見せながら立ち上がる。
「なまえちゃーん」
まだにやにやしながら、男が近付いてくる。待って、私くじまだ見せてない。何これ、仕組まれた?
「ちょ、ちょっと待って…」
「待ったなし!」
すぐ隣にしゃがみ込んだ男は、にこやかに容赦ないことを言う。
「空気読めよ、逃がさないよ?」
中途半端に茶髪に染めた髪をかきあげる。酔って目が座った男が、にやついた口元を寄せてくる。個室の扉は、男の向こう側で、逃げ場がない。じりじりと後ろに下がろうにも、背後から同僚に、何恥ずかしがってるのーっと舌ったらずな声をかけられ、肩を掴まれてしまう。なにこれ、信じられない。嫌だ、名前すら覚えていないこんな男となんて、触れ合うのも嫌だ。
「や、やだ…」
陣平。心の中で叫ぶ。ああ、さっきから後悔ばかり。

「おっと、」

ぎゅっと目を瞑って覚悟をした、その瞬間、扉の滑る音と共に聞き覚えのある声が聞こえた。それから、ガタンっと音がして、おわっと男の悲鳴が聞こえる。
恐る恐る目を開けて、見上げる。
「なんだ、部屋間違えちまった」
不敵に笑う、彼が立っていた。
私に迫ってきていた男は、傍に横倒れになっている。何が起こったの。
「なんだお前」
「やだ、イケメン!」
男たちは殺気立ち、女たちは色めき立つ。
陣平は、私を見下ろしてからしゃがみこみ、体を起こした男の傍に落ちていたくじを拾う。
「王様のご命令は?」
有無を言わせぬ態度で、二番のくじを見せつけながら言った。怯まない彼の様子に戸惑って、テーブルを囲む面々は視線を交錯させる。
「に、にばんとよんばんが、キスを」
同僚の女の子が、ポツリと言った。
「四番」
彼は、私を見て言う。
「よ、よんばん…」
私は、そろそろとくじを彼に見えるように持ち上げた。それを見て、彼はフッと笑う。鋭く、だけどいたずらっ子みたいな視線。
「ご命令だ」
言うと、私の顎を取ってそのまま唇を合わせた。噛み付くようなキス。背後で、黄色い悲鳴が短く上がるけれど、そんなことを気にしている余裕などなかった。
「っ…」
「そんな顔で誘うな、なまえ。行くぞ」
唇を離すないなや、彼は片手で私の腕を掴み、もう片手で私の鞄を迷わず拾い上げて部屋から出る。私はそれに引っ張られて、みんなを振り向くことも出来ないでついて行く。また彼に名前を呼ばれる日が来るなんて思ってもなかった。
「待って、陣平、なんで…」
「何だよ、まさかあいつに気でもあったか?」
「馬鹿言わないで」
「じゃあ何だよ」
「、」
私は足を止めた。陣平が、怒っている。いつも飄々とお気楽なことばっかり言ってのらりくらりしている陣平が、怒っている。何に怒っているのか、心当たりがありすぎて、情けない。視界が滲む。
「ごめ…、ありがと…」
「あんな男相手に覚悟決めてんじゃねえよ」
「ごめん、なさい…」
陣平だ。この声も、繋いだ手も、陣平だ。
私が幼さで手放した、優しい手。その手が、私の涙を拭う。
「ごめんなさい、私、勝手に不安になって連絡も返さないで…」
「その話はちょっと待ってくれ」
涙とともにこぼれ落ちる言葉を制止して、陣平はまた私の手を引いて進んで行く。私は黙って、これ以上の涙を堪えながらついて行く。
彼は別の個室の前で止まり、躊躇なく扉を開ける。
「遅ぇぞ松田、なにしてんだよ」
「えっだれその美人さん」
「お前こんなとこでナンパかよ」
「泣いてんじゃん、こいつに酷いことされたの?しょっぴく?」
部屋にはおそらく同世代の男たちがテーブルを囲んでいる。化粧もボロボロの泣き顔を見られたくなくて、陣平の後ろに隠れるようにすると、陣平は繋いだ手にぎゅっと力を込めた。大丈夫と言われてるようで、少しだけ顔を出す。室内を見ると、類は友を呼ぶのか、顔立ちの整った、しかしだからこそ迫力のある顔触れで、やっぱりすぐに彼の背に隠れる。
「ちょっと野暮用が出来たから帰るわ」
「は?」
「だからその子は」
「うるせーな。彼女だよ」
「は?」
「じゃ、そういうわけで」
陣平は、呆気にとられる彼らを無視して、自分の携帯と財布をポケットに突っ込んで扉を閉めた。おい松田!と引き留める声と、まあ放っておこうぜ、とそれを制止する声が聞こえたけれど、陣平は全く気にすることなくずんずんと出口に進んでいく。
「じ、陣平、どこいくのっ」
店を出て、無言のまま前を歩く彼を呼ぶと、彼はピタッと足を止めて振り返り、繋いだままの手を引っ張って、私を抱きしめた。ぎゅっと力が込められる。華奢とは言わないけれど細身だった彼とはちがう逞しい身体になっているのがそれだけでわかって、戸惑う。
「結構堪えたぜ」
「…え?」
「連絡ねえのも、さっきの合コンも」
「ごっ…ごめん、なさい」
「謝罪はいい」
「…いつも、勝手に自分だけ楽になろうとして、ごめんね」
私が謝るのは、多分、そうだ。私が弱くて、自分で勝手に堪えられなくなって、連絡も止めて、こうして謝っている。成長してないな。情けない。
「俺と一緒にいることで苦しめたってことだろ」
「違うよ!…違うの。私が勝手に嫉妬して、自信なくって…」
私は陣平の胸に顔を埋めながら、私はぼろぼろと、今度こそ涙と一緒に後悔と言い訳を一緒くたに溢れさせた。
ずっと大好きだったこと。大学で上手く馴染めなくて必死になって愛想を振りまいていたこと。なんでもこなせる陣平への劣等感を募らせていたこと。陣平の周りにはいつも綺麗な女の子がいて自分を邪魔に思えてしまったこと。そんな自分が情けなくて、そんな自分を知られたくなくて、どんどん会えなくなってしまったこと。忙しさを言い訳にして逃げてしまったこと。
彼はそれを黙って聞いてくれた。
「本当に、ごめんなさい。それに、今日も、情けないところ見せて恥ずかしい…。ありがとう」
言うと、彼はやっぱり何も言わないで、それからはあーっと息を吐いて、体を軽くくの字に曲げて、私にすこし体重をかけた。
「陣平、?」
「………ずっと大好きだったって、ずっとってのは、いつまでだ」
「え?」
私はパチパチと瞬きをする。溜まっていた涙が落ちて、視界の歪みが少なくなる。
「俺は別れ話をした覚えはないんだが、お前がもうその気がないって言うならそもそも必要ない話だ」
そうだ、さっき、彼は一緒に飲んでいたであろう友人たちに、言っていた。彼女。
私はまた溢れそうな涙を耐えるために、ゆっくりと深呼吸する。
「ずっと、いまも、すき」
声が震えた。
耳元で、彼がフッと笑ったのがわかった。
「じゃあ何も問題はねえな」
彼は少し体を離し私の顔を見下ろすと、ひでえ顔、と笑って軽く涙を拭い、それからさっきよりもずいぶんと優しくその唇で私の唇に触れた。

私たちは手を繋いだまま、繁華街を抜けて路地を歩く。電車もなくなる時間で、近いからと彼の家へと向かって歩いている。引っ越していたこと、知らなかった。
「ねえ、私が言うのもなんだけど、よかったの?友達と一緒だったのに」
「あ?ああ、別に。毎日でも顔合わせるんだから抜けたって構わねえだろ」
「毎日って…職場の人?」
陣平は煙草を吸いながら、たらたらと歩く。
職場にあんなイケメン揃いとか、どうなっているんだ。ホストクラブでもできそうだ。随分と柄が悪いホストクラブになっちゃうけど。
「ガッコのやつらだよ」
「学校?大学院行ってるの?まさか留年して…」
「違ぇよ。ケーサツガッコー」
「警察学校!陣平が!?」
「文句あんのかよ」
そうか。警察学校か。そういえば、たしかにそんな節はあった。柄が悪いし態度はでかいが、彼は昔から自分の筋は通している。
警察学校にいるから、こんなに逞しくなっちゃっているのか。しかし、それにしても顔面偏差値が高い。絶対、制服姿格好いいじゃないか。ひとり、妄想して口元が緩む。
「ま、その辺の話は後だ」
「もったいぶっちゃって」
「ああ、こっちは随分と待たされてんだ。今夜は覚悟するんだな」
「覚悟って…なにを…」
「さァな」
ふぅーっと煙草の煙を吐き出して、彼は不敵な笑みを浮かべた。ああ、やっぱり私はこの人には敵わない、と思ってしまう。
私は彼をとても好きで、それを素直に思えることが嬉しくて、繋いだ手に力を込めた。






(褪せず恋馳せ)

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