( 1/6)
数日ぶりにやって来たハンジは、屈託のない笑顔をシャオに見せてくれた。もう前のような関係には戻れないかもしれない、というシャオの思いは杞憂に終わった。ハンジの優しさに瞳が潤んだが、再会を喜んでいる暇はない。
今日は巨人化の実験を行う、記念すべき初日だ。
講義室で今日の実験の説明を意気揚々と始めようとするハンジを、片手でリヴァイが制す。
「お前を半殺しに留める方法を思いついた」
物騒な事を言い始めるリヴァイに、全員が注目すると、リヴァイは黒板に向かいチョークを手に取った。お前、というのは勿論エレンのことである。
「巨人化したお前を止めるには殺すしかないと言ったが、このやり方なら重傷で住む」
お預けを食らったハンジも、リヴァイの考えに興味があるようで教卓に腰を下ろし、口を結んでいる。リヴァイは黒板に人型の絵を描くと、両腕と両脚に掛かるように点線を引く。
「要は、うなじの肉ごとお前を切り取ってしまえばいい」
どうやらこの絵の人型はエレンのことらしい。青褪める班員達を気にすることもなく、リヴァイは続ける。
「その際手足の先っちょを切り取ってしまうが…どうせまたトカゲみてぇに生えてくんだろ?気持ち悪い」
「ま…待って下さい!どうやったら生えてくるかとかわからないんです」
一際真っ青になっているエレンは声を荒げるが、大丈夫だよエレン、と隣から掛けられた声に続く言葉を呑み込む。黒板の絵を見ても、シャオは冷静だった。
「審議所でも傷は再生した…巨人の姿になっていないあなたでも再生能力はあると、この目で確かめたんだから。エレンはあの時何もしていないでしょ?」
「そ、そうですけど…」
シャオの口元はエレンを安心させようと微笑んではいるが、目は真剣そのものだった。そこに普段の彼女の朗らかさはない。シャオはハンジに付いて生態実験を手伝うこともある、といういまいち信じられない話が、エレンの中で現実味を帯びた瞬間だった。
ぐっと拳を握り押し黙るエレンに近寄り、リヴァイは彼を見上げてはっきりと言い放つ。
「腹を括れ。お前に殺される危険があるのは俺達も同じだから安心しろ」
「…そんな言い方…!」
酷い言い様にカッとなり、思わず言い返そうとするが、リヴァイの目から全く悪意が感じられなかったので、エレンは抗議するのを止めた。
(兵長の言う通りだ…)
此処に居る全員が命を懸けているのにも関わらず、腕や脚を切られるのが嫌だと駄々を捏ねて困らせているのは自分だ。自分は何の危険も冒さず何の犠牲も払いたくない、だから他の方法を、と。結局のところ自分の身を案じての発言だったと恥じる。
(そうだ、俺がもし暴走したら…)
エレンはチラリと隣に立つシャオを見て、苦悶の表情を浮かべる。
(好きな人だって…殺すかもしれない…)
◇◆◇◆◇◆
今日の計画の説明が終わると、リヴァイ班とハンジは古城近くの涸れ井戸に移動する。
井戸の中にエレンを入れ、皆は少し離れた場所に馬で待機。井戸の中であれば、万が一自我を失った巨人(エレン)であっても拘束出来る筈だ。
準備が出来たら離れた場所から信煙弾で合図を送る。エレンは合図を受けたら自身の指を噛み、巨人化する手筈となっている。
「合図を送ります!」
井戸の中からも見える位置に、シャオは信煙弾を放つ。全員が無言で待機するが、井戸の中からは何の反応もない。
「?合図が伝わらなかったのかな…」
「…いいや。そんな確実性の高い代物でもないだろ」
吐き捨てるようにそう言って、臆することなくリヴァイは馬で井戸へと向かっていく。首を傾げて、その背をハンジも追った。
「おいエレン!一旦中止だ!」
「何かあったの?」
馬から飛び降りて二人が井戸の中を覗き込むと、そこにはーー…血に濡れたエレンが呆然と此方を見上げていた。
ポタポタと唇からは鮮血が伝い、噛みちぎった指は真っ赤に染まっている。その痛々しい光景にハンジは思わず眉をしかめた。
「ハンジさん…巨人になれません…!」
巨人化出来ない焦りからかエレンは痛みを感じていない様子で、ただすがるような金色の眼を揺らしている。
巨人化出来ないとなると、自分の存在意義を失う。その力を買われて調査兵団に入団したのに、それがなくなると自分には…何も残らない。
その喪失感はエレンの想像を絶するものだった。
PREV |NEXT