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拠点としているのは、殆ど廃墟に変わりつつある関所だ。
まだ朝というには早い時刻から、シャオは目覚め、朝食の準備をしていた。限られた食料で工夫を凝らし、出来るだけ美味しいものを食べさせてあげたいと頭を悩ませる。
班の面々は心身ともに疲弊しており、少しでも士気が上がるよう、どんなに小さなことでも自分に出来ることを精一杯やるつもりだ。
スープに入れるための野菜を細かく切っていると、誰かが調理場の扉を開ける音がしたのでそちらを振り返る。
「あれ?おはよう、ジャン…早いね」
まだ寝てても良い時間なのに。ジャンの方も寝ぼけ眼で、無理矢理起こされたような顔をしている。
「エレンの野郎が朝から騒がしかったんだ…それで起きちまった」
「?エレンに何かあった?」
「いや、わかんねぇ…忘れねえうちにどうのこうの言ってたけど」
目をごしごし掻きながら、ジャンはシャオの隣に立つ。そして大きな欠伸をかいた後、掠れた声で「おはよう、シャオさん」と言った。
それににっこりと微笑んで見せると、ジャンの目元が緩む。同じ班の仲間として、ジャンは彼女に畏まった態度をとるのはやめようと決めた。エレン奪還作戦後に二人で会った時も、会話が盛り上がり、いつの間にか敬語を使うのを忘れていた。それに気付き慌てるジャンに、シャオは「そのままでいい」と言ってくれたのだ。
「なんか、手伝う?」
「え?まだ寝ててもいいよ?」
「いや、二度寝すっと起きれねえから。暇だし…あんたと喋ってたいし」
落ち着くから、と照れたように視線を逸らすジャンを見て、シャオは手を止める。大きなセピア色の瞳でじっと見上げられ、ジャンは真っ赤になり身動きが取れなくなる。朝っぱらから心臓に悪い。
「な、何だよその顔…」
「ううん別に?それじゃ、洗い物お願い」
「お、おう、任せろ」
何事もなかったかのように調理を進めるシャオの横で、ジャンは使い終わった食器などを黙々と洗う。隣に立つとわかる、自分とシャオとの身長や体格の差に、ジャンはまた胸を焦がした。
ジャンは訓練兵団に入団してすぐ、美しい黒髪を持つミカサに一目惚れしたが、その数分後には玉砕していた。彼女にはエレンが居たからだ。鈍いエレンは気付いていないようだが、ミカサがエレンを家族以上の気持ちで慕っているのは一目瞭然だった。
それはほろ苦い思い出となったが、それから3年後、ジャンは漸く新しい恋に落ちる。
その相手がシャオだった。
それなのに、やっと出逢えたこの人には、既に将来を誓った相手がいる。想いを伝える前に二度も玉砕するとは、この世界はなんて残酷なんだろう。
「…シャオさんさぁ」
しかも、彼女の結婚相手が問題だ。
「なんで兵長と…結婚すんだよ?」
「…なんでって?」
その質問に驚き、シャオが右上を見上げると、真剣な眼差しのジャンが此方を見下ろしている。
「…俺にこんなこと言われる筋合いはねぇかもしんねぇけど…シャオさんは兵長より、もっと…普通の奴と付き合った方がいいと思う」
リヴァイ兵長は普通じゃない。特に、涼しい顔で拷問を済ませる冷徹な部分を見せられた後では、こんな人に彼女を渡してたまるかという気になった。つまり、今まさにそう思っている。
「…私と兵長じゃ、釣り合わないかな」
「あぁ。釣り合わない」
きっぱりとそう言い切られてしまい、流石にぐさりときたシャオは曖昧に笑って俯く。傷付けたのは解ったが、それでも続く言葉を止めようとはしない。
「兵長と結婚したって、シャオさんは幸せになれねぇよ。あの人は、人間を拷問にかけたり殺したり、躊躇いもなく出来るような人だ…そんなこと、あんたには出来ないだろ?多分住んでる世界が違うんだ。…今はいいかもしれねぇけど、いつかきっと、兵長の傍に居るのが辛くなると思う」
手についた泡をそのままに、ジャンはシャオの方に身体を向け、正面から見下ろして言う。
「…でも俺だったら、あんたと同じ目線で、隣に立つことが出来る」
「……へ?」
突然のジャンからの告白にシャオは目を丸くさせた。近くでは沸騰した鍋がグツグツと鳴いている。
それが今の自分の心情を現しているみたいで、ジャンは心の中で笑った。ここまで言ってしまったらもう抑え切れない。
ジャンの濡れた手がシャオの両肩を掴んだ。
「俺はあんたが…シャオさんが好きだ。初めて見た時からーー…」
頬を僅かに紅潮させ自分の素直な気持ちをぶつけてくる少年の顔を、シャオがポカンと眺めていると、扉の向こうでガタガタと何やら騒々しい音がしたので、二人はハッとして身体を離した。
少しの気まずさを覚えながらも物音がする方へ向かうと、そこには身支度をしているハンジが居た。大分慌てているようだ。
「おはようございます、ハンジさん。こんな朝早くからどちらへ…?」
「あぁ、おはようシャオ!ごめん大至急エルヴィンと相談しないといけなくなったからもう行くよ!」
早口でそう言い残し、ハンジは風のように去って行った。その一瞬の邂逅に呆気に取られていると、今度はエレンが階段から降りてくる。頭には寝癖がついたままだ。
「おはようエレン。ハンジさんはもう行っちゃったけど…?」
今朝は皆早起きだなぁと思いながら声をかけると、エレンの満月のような瞳が此方に向けられた。
「おはようございます…いや、俺もよく解ってないんですけど…」
昨日見た夢の話を聞かせたら血相を変えたのだ。夢、といってもそれは現実の記憶で。巨大樹の森でのベルトルトとユミルの会話を思い出し、一応忘れないうちにハンジに知らせておこうと思い立った。まさかハンジがこんなに動揺する内容だったとは思わなかったので、エレンも驚いている。
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