05
最近、洋菓子屋に通うようになった。
ハボックは特別甘いものが好きなわけではなかったが、仕事で知った洋菓子屋に顔見知りの店員ができて。
そこの菓子が美味しいのも事実で、いつの間にか通うようになっていた。
自分が行くのはいつも仕事終わり、閉店間際の時間だ。夜は客も少ないが、商品も売り切れが多くなるという。
確かに人気商品はいつも夜にはなくなっているので、最近人気だというチョコレートムースは買えたことがない。夏なのにチョコレートが売れるのか、なんて話をしたことを覚えている。
今度は休みの日に来ようか、と考えながら店のドアを開けると。
「…ねえ、名前ちゃんのおすすめは?あ、今日は何時までなの?もう終わりだよね?」
店に出ていたのは名前。
そして、40代くらいの男性客がひとり。
その様子は、絡まれている、という言葉がふさわしいように見える。名前は明らかに困っているし、男が聞いているのも商品や店には関係ないことだ。
客は他におらず、客が少ないためか他の店員も店頭にはいない。
「ねえ、彼氏いるの?こんなに可愛いんだからいるよね?」
名前はええと、あの、なんて言ってちゃんと答えられず困っているようだった。
困っているのに男は気持ち悪い声で一方的に話を続けている。
それを見た瞬間、ハボックはずんずんとその男のそばまで歩いて行き、気付いたらダンッと足を踏んでいた。
男が声にならない叫びを上げて足を押さえる。
「あ、すんません」
名前がびっくりしたように自分を見て、ハボックさん、と呟いた。
彼女に絡んでいた男はひとしきり苦しんだ後、顔を上げてハボックに詰め寄る。
「い、いきなりなんだお前!人の足を踏んでおいて、なんだその態度!」
「ああすんません、お客さんだったんですね、目に入ってなかった」
おいお前とかなんとかまだ文句を言っているので、ハボックは嫌々もう一度男を視界に入れる。
「嫌がってる女の子にそういうことするの、いい歳してみっともないからやめた方がいいっスよ」
これで引かないならどうしたもんか。この店で騒ぎを起こすとかそういうことはしたくないが、とりあえず外に出て一発二発、…なんて物騒なことを考えていたが、男はハボックに睨まれて慌てて店を出て行った。
目つきが悪いと言われることもあるが、今日ばかりはこの顔で良かったと思った。軍人向きと言われる自分のこのガタイも役に立ったようだった。
「…ハボックさん、ありがとうございます」
男が出て行ってから、恐る恐る彼女は口を開く。
ほんとにあんなくだらない客がいるんだなと呆れを通り越して半ば感心していたが、きっと彼女は怖かっただろう。
「名前ちゃん、大丈夫?あいつよく来るの?」
「…多少、そうですね、結構…」
いつも笑っている彼女の表情が固く、余計に心配になる。
「でも、大丈夫ですよ!何かされるわけじゃないですし…」
そんなこと言われても、じゃあ大丈夫だねと思えるわけがなかった。
「…名前ちゃん。あの、深い意味、というか、他意はない、んだけどさ」
こんなこと、出過ぎた真似かもしれない。
ありがた迷惑かもしれないけど。
「今日、送ってこうか。…あいつ、待ち伏せてたりしないかな」
「…そ、そんな!大丈夫ですよ!申し訳ないですし!」
案の定、名前はハボックの申し出を断った。
それはそうだろう、自分はさっきの男より少し程度が上の顔見知りの客でしかないだろうから。
「でも、俺あいつの足踏んじゃったし。逆ギレとかしてたら困るし」
それも事実だった。名前が困っているようだったからついあんなことをして追い払ってしまったが、ちょっと煽り過ぎたかもしれない。
これで逆上して自分がいないときに彼女を待ち伏せなんてしていたら危険だ。
一応、さすがにさっきの男よりはまだ自分の方が信用されているはずだ、という小さな自信はあった。
「…ハボックさんのご迷惑でないのなら、嬉しいですけど…」
いいんでしょうか、ともう一度自分を見るので、じゃあ決まり、と押し切った。
煙草を吸いながら、彼女の仕事が終わるのを店の外で待っていた。
待たせてしまうのも申し訳ないです、と言っていたが、心配だし、あんなことをしたのは自分だし。
「…大佐だったら、もっとスマートに対処できてたんかなあ」
このことを上司に報告したら、よくやったと言うだろうか、それとも彼女を危険に晒したと怒られるだろか。
もっとうまくやれ、短絡的なんだお前はと言われる気がするな。
ロイの顔を思い浮かべて、はは、と苦笑いが漏れた。
「…ハボックさん」
その時、店の裏口から名前が出てきた。
店の制服ではない私服姿でどきっとしたがあまりじろじろ見ないように目を逸らし、煙草の火を消した。
「ああ、お疲れ様」
「…あの、本当にいいんでしょうか?申し訳なくて、」
やっぱりまたそんなことを言う。
「いーんだよ。あんなことしたの俺だし、心配だから、気にすんなって」
「…はい、ありがとうございます」
彼女の家はここから15分ほど歩いたアパートだという。
こんなにゆっくりと話すのは初めてなので、歩きながら今まで買った菓子の感想を伝える。
といっても、評論家ではないし詳しいところもよくわからないので、美味かった、くらいしか言えないのだが。
「そういえば、この前買ったチョコチップクッキー、あれ美味かったな。コーヒーによく合って」
執務室で仕事中に摘んだが、軍支給の不味いコーヒーも美味しく感じるほどだった。
「あのクッキー、チョコが大きくてすごい甘いですもんね。ブラックコーヒーにぴったりみたいですね」
ぴったりみたい、という言い方でハボックは確信した。
「…勘だけど、名前ちゃんは苦いコーヒー飲めないっしょ」
そう言ってみれば、彼女は顔を赤くして頷いた。いま練習中なんです!と言う。
…練習が必要なものなのか、ブラックコーヒーというのは。
つい笑ってしまったが彼女としては真剣なようなので謝っておいた。
15分なんていうのは話をしていればあっという間だった。
最初は話しベタな子なのかなと思っていたが、最近は自分に慣れてくれたのかいろいろと話してくれるようになった。まあ、それでも口が上手いというわけではないけれど。
店の近くはメインストリート沿いで人通りも多いが、やはりアパートの近くまで来ると道は暗いし、人も少ない。
遅番の日は帰るのがこの時間になるのだろうから、今日に限らずなんだか心配に思ってしまう。とはいえまた送ろうか、なんて言うのは出過ぎた真似だろう。
「わたし、ハボックさんに助けてもらってばっかりですね」
ふと、また申し訳なさそうにそんなことを言い出した。
相当、今日のことを気にしているようだった。
「いいんだよ。なんだか、心配になるんだよな」
何もないところで転んでいたり、迷惑な客を受け流せずに本気で困っていたり。
なんだか助けてあげたくなってしまうのだ。
「…頼りない感じ、ですよね。情けないです」
「いや、そうじゃないって。俺が心配だから、こうしてんの」
「…優しいんですね、ハボックさんは」
ふふ、と名前が笑う。
優しさ、それだけで自分はこんなことをしているのだろうか。
時間を合わせて店に行き、普段そんなに食べるわけでもなかった洋菓子を頻繁に買いに行くようになり。
迷惑な客から助けたのは当然のことだとしても、家まで送る、というのは、優しさだけで出来ること、なのか。
自分の中に浮かんだ気持ちを確かめるように彼女の横顔を見る。
本当は、自分のタイプの女性ではなかったはずなんだ。
危なっかしくて心配だと思っていただけのはずなんだ。
…でも、もしかすると。
本当はもっと前から、気付かないうちにこの感情を抱いていたのかもしれない。
その考えに思い至り、ああ、と言葉が漏れた。
そうか、もしかすると、…きっと。
「あーあ、まいったな…」
隣を歩く彼女に聞こえないよう、ハボックはぼそっと呟いた。
2020.8.26