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03

夏が近付き暑くなってきたので、店頭の品揃えも少しずつ変わってきた。
ケーキやクッキーのスペースを減らして、ゼリーやムースなどの爽やかなスイーツを多く置くようになった。

ハボックさんに出会ったときは、まだ肌寒い時期だった。ガトーショコラやフォンダンショコラ、チョコレート系のお菓子が人気だった。

名前を聞くことができたときは、春先だった。ピクニック日和ですね、なんて話を店の中でもよくしていて、ビスケットやアップルパイがよく売れていた。


あれから、マスタング大佐がよくお店を訪れるようになった。そのときは、いつもハボックさんが一緒。

お店に来ると、ハボックさんはちらっとわたしを見て、にこっと笑ってくれる。

この前は、「もう転んでない?」とちょっとからかうように言われた。
「転んでないです!」と言ったら「そっか、気を付けてな」と言われて、会話はそれくらい。

お互い仕事中だし、上司がいるので話をするわけにもいかない。
よく考えたら、彼はわたしの名前も知らないんじゃないかな。

でも、どこの誰かもわからない一目惚れから、また会えて、名前を聞いて、ちょっとした顔見知りになれただけでも結構な進歩、だとは思うんだけど。
いや、名前を知られていないっていうのは知り合いとは呼べないのかもしれない。

ああ、名前を聞いたときになぜ名乗らなかったんだろう…と思っても今さら遅い。

そして特に進展のないまま季節だけが変わっていく。





今は、午前中のちょっと余裕のある時間。
中にパティシエさんはいるけど、お店に出ている店員はわたしだけ。店主のエミリーはお得意先への配達に出かけていて不在だ。

棚を拭いたり、備品の補充をしたり、予約の整理をしたり。のんびりとそんなことをしていると、カラン、とドアに付けられたベルが鳴った。

「いらっしゃいませ、…あ」

マスタング大佐と、ハボックさんだった。

「こんにちは」
「どうも、エミリーは不在かな?」
「今、配達で出ています。あと10分くらいで戻ると思うんですけど…」
「そうか」

あ、とマスタング大佐は何か閃いたような顔をして、ハボックさんに指示を出す。

「ハボック、私は隣のベネットのところに行っているから、彼女が戻ったら呼びに来てくれ」
「え?ああ、はい、わかりました」

今度はマスタング大佐がわたしを見る。

「では、私はちょっと離れるのでその間、部下を置かせてもらってもいいかな?」
「あ、はい!大丈夫です!」

マスタング大佐はハボックさんの肩にポンと手を置いて、店を出て行った。

「……」
「……」

思いがけず、二人っきりになってしまった。
恥ずかしいけどわたしはやっぱりなんだか嬉しい気持ちになる、けど。
でも、何話していいか、わかんない…。

「……」
「……」

……ど、どうしよう……。
いや、でも気まずいのはわたしだけだよね、多分。だってハボックさんはここで待つように言われて、それが仕事なのだから。そう考えると話しかけたらご迷惑になるのかな。

うわあ、どうしよう、……ハボックさんは今日もすてきで、輝いて見えて、ど、どこを見ていいかわかんない。

お話ししたいな、と思っていたのにいざこんなシチュエーションになると緊張して何もできないなんて、自分が情けない。

そこで、ショーケースに並んだムースたちが目に入った。
そうだ、このムースとゼリーはこの前ハボックさんが来たときはまだ出していなかった新商品だ。

「……あ、あの、ハボックさん」

またわたしはなんとか勇気を振り絞る。
こんなチャンスはもうないんだから。

「…甘いものはお好きですか?」

ハボックさんは顔を上げてわたしを見る。
どきっとして、恥ずかしいと思ってしまったのをなんとか堪える。

「ああ、好きだよ」

その言葉に安心して、わたしは気付いたら話し出していた。

「あの、このムースと、ゼリーは新商品なんです、このレアチーズケーキは東部の外れの牧場から仕入れた濃厚なチーズで作っていておすすめです!ゼリーはシャインマスカットを丸ごとひと粒入れたマスカットゼリーが一番人気です!」

自分がお話しできるのは商品の説明くらい。
そう気付いたら、それを一生懸命お話ししていた。

「あ、あとこれは通常メニューなんですけどこのブラウニーはすごく人気でわたしも大好きで、自分でもよく買って帰ってます!あとこっちは、」
「ぷっ」

あれ。
顔を上げると、ハボックさんが笑っていた。

「そんな緊張しないでって」
「…き、緊張してるつもりは…」
「わかりやすすぎだよ」

そ、そんな…。
ハボックさんは相変わらずおかしそうに笑っている。

「すみません…」
「ごめん、気まずかったよな」
「違うんです!お会いできるのは嬉しいんですけど、緊張してしまって、気まずいわけじゃ、」
「え?」

…あれ、もしかしてわたし、口が滑った?
お会いできるのは嬉しい、なんて言ったかもしれない、ああ、わたしなんてことを、……。

「あの、今の説明とおすすめ商品はほんとです…」
「大丈夫、疑ってないって。どれも美味しそうだよな」

ああ、よかった。
変なことを言ってしまったのは流してもらえていた。

「でも今買うと大佐に怒られそうだから、今度は仕事終わってからちゃんとお客さんとして来るよ」

そのときにまた詳しく聞かせて、と。
にこっと笑うハボックさんがきらきらして見える。

「…はい、ぜひ!」

嬉しい、よかった。ハボックさんも笑ってくれてる。
それだけでわたしはこんなに嬉しくなってしまった。

「…そうだ、俺まだ名前聞いてなかったよな」

すごく自然に、彼はそう言った。
ここしばらくわたしがずっと、どうやって名乗ろうかと考えていたのに、ハボックさんはさらっと言ってしまった。

「…わ、わたし名前といいます!名前・名字です!」

そう言ったところで、カランとベルが鳴って、エミリーがお店に帰ってきた。

…ああ、これでタイムアップだ。普段とてもよくしてくれている彼女のことをこんなに恨めしく思ったことはない。

ハボックさんは彼女にちょっと挨拶をして、またわたしに向き直る。

「じゃあ、俺大佐呼んでこなきゃ。…またね、名前ちゃん」
「……はい、また、ハボックさん」

また、カランカランと音がするドアを開けて、彼は去って行った。

名前を呼んでもらえただけで舞い上がるほど嬉しくなってしまっている。
彼の声が頭の中をぐるぐると回っていた。

口元が緩んでしまうのをなんとか抑えながらわたしは頬をつねる。
…痛い。夢じゃない。

もしかすると、わたしの恋はやっぱりちょっとずつ、…ちょっとくらいは、進展しているのかもしれない。


2020.8.9