朝になって、ホークアイが来るだろう時間を見て、名前の家から司令部に連絡を入れた。
「私だ。名字少尉は休ませる。悪いが私は所用で午後から行く」
特に何も聞かれず、承知しました、とだけ電話の向こうから聞こえてきた。
いつもながら物分かりの良い副官でよかった。
9時過ぎに目覚めた名前はロイを見てまず「…また夢?」と言った。
「夢じゃないよ」
「…夢だと思っていました」
会いたい人が出てきてくれる夢なのかと、とそう呟いていたのは聞こえない振りをした。
彼女が夢に見ていたのは自分じゃないのだから。
「いきなり押しかけて、悪かった。心配だったんだ」
「…すみません、ありがとうございます」
一晩ずっと眠っていたためか、かなり顔色がよくなっていて安心した。
「今日は寝ているように。司令部には連絡してある」
「すみません…大佐は、お仕事は大丈夫ですか」
「これから行く。…とりあえず何か食べた方がいいと思うんだが、食べられそうか?」
料理は自分ではほとんどしない。
名前が何なら食べられるかもわからなかったので、白パン、りんご、オレンジ、ヨーグルト…などとりあえず風邪でも食べられそうなものを彼女が寝ている間に買ってきた。
「…こんなに、食べれないですよ、私」
「いや、全部食べろということでは…ないよ、さすがに」
「そっか、そうですよね」
ふふっと以前のように名前が笑ったことに自分も嬉しくなっていた。
このところ、彼女は自分の前であまり笑わなくなっていたから。
「…りんご、食べたいです」
「ああ、じゃあ、皮をむこうか」
「むいてくれるんですか?」
目をぱちぱちとさせて、びっくりしたような顔をする。むいてくれるんですか、というよりむけるんですか、と言いたげな顔だ。
「ああ、ウサギはできないぞ」
「…なんだ、残念」
茶化すように笑って見せた名前にキッチン借りるぞ、と言ってベッドから離れる。
勝手知ったる、というほどではないものの、何度かキッチンも入ったことがある。
ナイフを探して、皮をむいた。
想定よりひとまわり小さくなってしまったりんごを切り分けて、名前の元に持っていく。
「ちょっと不格好だな」
「そんなこと…嬉しいです」
みずみずしく蜜の詰まったりんごを噛むと、しゃく、とさわやかな音がした。
「おいしい、ありがとうございます」
「よかった」
「大佐も食べてください、こんなに食べれないですよ」
確かに、むきすぎたかもしれない。りんごを2つも3つも一人で食べるのは無理だろう。
二人でしゃくしゃくと音をさせながらりんごを食べているのはなんだかすごく不思議な感じがした。
「昨日は何も食べてなかったんだろ」
「そうですね、昨日はとても、食べられなくて」
「最近、無理しすぎだ」
「…そうですね」
しゃく、しゃく、と。
りんごが減っていく。
「…大佐」
「なんだ」
「この3ヶ月くらい、…この関係でも私は幸せでした」
ふと、真面目な顔で彼女が話し出した。
「でももうだめだと思うんです、けじめをつけなきゃ」
彼女は何を言おうとしているのか。
わからないはすがなかった。
「終わりにしましょう」
「名前、」
「私、落ち着いたら異動願を出しますね。上官が承認してくだされば、人事局も受理してくれると思いますので」
ああ、と返事をするだけで精一杯だっだ。
彼女の気持ちを無視して自分に付き合わせていたのだ。彼女にこれ以上、無理強いをすることはできない。
「…大佐も、好きな人とちゃんと幸せになってください」
これはすべて自分が悪いのだから。
もう大丈夫です、今日はちゃんと寝てますから、と言われて部屋を出た。
ガチャン、と。
名前が中から扉の鍵をかける音が聞こえた。
もうこの扉を開けてもらうことはできない。
数ヶ月前の愚かな自分を殴り飛ばしたい気持ちに襲われる。
――大佐も、好きな人とちゃんと幸せになってください。
今、言われた言葉を反芻する。
本当に全く、自分の気持ちが伝わっていなかったのだと気付いた。
でも、当然だ。卑怯な自分は、ちゃんと伝えていなかったのだから。
自分が好きなのは、名前だったのに。
信じてもらえなくてもこんなことをせずに、何度でも伝えればよかったのか。
そうすれば、ここまで事態は悪化しなかったのかもしれない。
彼女の気持ちが自分に向かなくても、もう少しマシな結果になっていたかもしれない。
誤った選択を続けてきた結果が、今この瞬間に繋がっているのだ。
どこからやり直せば、絡まった糸が解けるのか。
いや、自分は解こうと努力もしなかった。
そして、切れてしまったのだ。
きっと、何もかももう遅い。
2020.7.21