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夢心地な誰かのとなり

その日、出勤した名前を見れば、彼女の体調が悪いことは誰にでもわかった。
それでも、仕事が溜まっているとかなんとか言って帰ろうとしない。

迷惑だから帰れと強めに言ってようやく、彼女は首を縦に振ってくれた。

「医者に行け。家に着いたら連絡してくれ」
「わかりました…すみません」

心配でついていきたい気持ちもあったが、さすがに度を超えている。何より、本人が了承しないだろう。


朝、出勤してすぐ帰らせたものの、その後の連絡がなく、こちらからの電話にも出ない。
午後になってもなお連絡が取れず、心配で落ち着かない。

寝ているだけならいいのだが、これでどこかで倒れでもしていたら、と思うと、一人で帰らせたことを悔やんでも悔やみきれない。

「中尉」
「はい」
「悪いが名字少尉の様子を見に行ってくれないか。電話に出ないんだ」

午後2時を過ぎた頃になって、どうしても耐え切れず、ホークアイにそう言った。

「今日は急ぎの用件もない。そのまま直帰してくれ」
「承知しました」
「…多分、予備の鍵をポストに入れているはずだ」

なんでそんなことを知っているんだ、と聞くような部下ではない。
承知しました、とそれだけ言って、すぐに執務室を出た。






その後、執務室にホークアイから電話があった。名前の家からかけてきたようだ。

「ああ、中尉、どうだ?」
『今は自宅で寝ています。病院には行ったようでやはり風邪です。薬は飲んだので落ち着いてきましたが、明日の出勤は厳しいかと』

彼女の簡潔な報告を聞いて、とりあえずどこかで倒れているとかそういうことにはなっていないようで安心した。

『風邪とはいえ、今晩は誰か一緒にいた方がいいと思います。私でよければ対応できますが、もしくはどなたか、心当たりはありますか。少尉のご家族、ご友人、…恋人など』
「…いや、そこまではわからないな。薬を飲んだなら、大丈夫だろう。少し早いが直帰してくれ」
『…承知しました。では私は失礼します』
「ああ、ありがとう。迷惑をかけたな」

通話を終え、受話器を置いた。

誰か一緒にいた方がいい、それは確かにそうなんだろう。

彼女は東方出身で家族は近くには住んでいないと以前言っていた。
恋人は、いなかったはずだ。確証はないけど。

自分が行っていいわけがないということはわかっていた。
でも、心配だから。緊急事態だから、顔を見たら帰るから…と一生懸命言い訳をしていた。

名前を心配していないわけがないのにホークアイが驚くほどあっさりと引いたのは、自分が彼女の家に行くだろうと見透かされていたからだろうか。
いや、まさかな。そんなことを思いながら司令部を出た。





彼女の家に着いてポストを開けてみると、封筒がひとつ。中に鍵が入っている。

一回鍵をなくして困ったことがあって、それ以来予備をここに、なんて笑いながら言っていたのを覚えている。

恋人でもない男にそんなことを言うのは無用心だと思った記憶がある。
今思うと、自分はただの上司としか見られていなかったんだろう。

勿論、その通りだ。
ただの上司が部下に手を出して、さらにこんなことをしているのはどう考えてもおかしい。

一応ドアを小さくノックして、「悪い、入るぞ」と呟いてからドアを開けた。
この鍵は、開けるときに使ったことはなかった。


何度も来たことのあるこじんまりとした部屋。
ベッドでは名前が眠っていた。

サイドテーブルには水差しやコップ、タオルが置かれている。
少し息が苦しそうだが、司令部から帰ったときほどではなさそうだ。
顔を見てようやくほっとした。

人のいる気配に気付いたのか、名前がうっすらと目を開けた。
咎められるかと思って一瞬びくっとする。そういうことをしている自覚はあったのだ。

「あれ、大佐…?…夢…?」

彼女は目をぱちぱちと瞬かせてロイを見た。

「…ああ、そうだよ」
「そっか、夢か…」

名前はふにゃっと力なく笑った。

彼女の笑った顔を見たのは久し振りだな、と思う。
このベッドで自分がしていたのは最低なことだったのだから。

色々とホークアイが世話を焼いたはずだ。
この様子なら一人でも大丈夫か。心配なのは事実だったが、もう少し落ち着いて意識がしっかりした名前が自分を見たとき、喜ぶとは思えなかった。

「大丈夫そうだから、帰るよ。様子を見に来ただけだから」

少し乱れた髪を整えるように頭を撫でる。
無事であると、状態も落ち着いているとわかったから、それで、もういいんだ。

心配だから、なんてもっともらしい理由を付けてここまで来たくせに、本当は自分が安心したかっただけなのだ。自分勝手な、ただの自己満足に過ぎない。

椅子にかけたコートを広げ、羽織ったところで後ろから声が聞こえた。

「行かないで、」

ここにいて、と。小さな声で呟いていた。
眠っているようなので、やはり夢を見ているのか。

誰を、夢に見ているのか。

それは自分に向けられた言葉ではないのはわかっていた。
でも、本人が言うんだからと都合よく解釈して、羽織りかけたコートをまた脱いだ。






どうしてこんなことになったのか。
最近よく思い返すことだった。彼女の寝顔を見ながらそんなことを考える。

明るく、よく働いてくれる部下だった。
少し抜けているところもあるが、努力家で、周りを支えてくれる人だった。

最初は、いい部下を持ったなと思う程度だった。
自分に向けられるその笑顔に見惚れていると気付くまで時間はかからなかった。
彼女は誰にでもそうだし、自分が特別視されているわけではないことはわかっていたが。


ある日、仕事の後に彼女を食事に誘った。
元々約束をしていたわけではなく、ちょうど執務室に残っていたから誘った、という風を装った。
彼女は喜んで誘いに乗ってくれた。ここまでは、きっといい部下と上司という関係であったのだと思う。

酒も入ったところで恋愛の話になって。

「好きな人、いないわけじゃないですけど…憧れみたいなものですから、付き合いたいとかじゃないんですよ」

報われることはないと思います、でもそれでいいんです、と。
自分じゃない誰かを思い浮かべて見せる笑顔に嫉妬した。

「大佐は、噂はよく聞いてますけど、本命の方は別にいるんですよね」
「…本命か、まあ、そんな感じかな」
「どんな女性でもやっぱり狙えば落とせるんですか?というか狙うまでもないんですか?」

ふざけたような口調は、自分に好意を持っているから聞いたようには見えなかった。

「全然意識してもらえてないんだよな。他に好きな男がいるようだし」
「…大佐なら絶対大丈夫ですよ。応援してます」

社交辞令のようなことを言って、にこっと笑った名前は、手の届かないところにいるようだった。



どこで、選択を間違えたのか。
あの晩、酔った名前を送っていくと言ってそのまま体を重ねた自分は、最低だったと思う。

起きたあと、名前は一言、「忘れましょう」と言った。完全に自業自得だった。



そんなことを思い出して、うとうととしてしまっていた。

眠っている名前の様子は落ち着いていて、たまに汗を拭いてやったり、タオルを取り替えてやるくらいだ。



あの晩、好きだと言わなかったわけではない。
でも、信じてもらえなかった。

――冗談ですよね、私を好きなんて、ふざけて、言ってるんですよね。
――じゃあ、それでもいいよ、…君がよければ。

記憶がフラッシュバックする。
ちょうどこの部屋で起きたことだ。

あんな言い方をすべきでなかった。
自分の普段の姿を見ている彼女からしたら信じられなくて当然かもしれない。

そもそも、彼女は他に好きな男がいると言っていたのだ。最初から自分は眼中になかったのだろう。

二回目の夜は、驚いた顔をしながらも明確な拒絶をしないことに甘えて彼女を抱いた。

それ以降、何度夜を過ごしても好きだとは言えなくなった。

冗談でも、遊びでも。その間だけは彼女を自分のものにできるのであればそれでいい、と。
そう思ってしまったんだ。

最低なことをしているとわかってはいた。
拒まれはしなかったが、諦めたような顔をしているように見えた。

せめて夜の内に姿を消すことで彼女への償いに代えているつもりだった。
それでも一緒にいたくて、…ちゃんと話をしたくて、一度だけ朝を過ごした日があった。

しかし、もうやめましょう、と言われるのが怖くて核心に触れる話は何もできなかった。

自分がこんなに根性なしだとは思わなかった。

本当なら今日もここに来ていいはずがない。
自分でも呆れるほどずるい人間だ。


「…俺は、最低だよな」

呟いた言葉が薄暗い部屋に響く。
眠っている名前からの返事は勿論なかった。


2020.7.18