日が傾きかけた頃、大佐のデスクに電話がかかってくる。
電話が通じると、「ああ、この前はどうも。楽しかったね」なんて言って彼は話し始めた。
「また?嬉しいな。次はどこに行こうか」
大佐の言葉しか聞こえないが、それだけでどんな会話か、なんていうのはわかる。
「また女性と電話かよ」
「モテる男はいいっすねえ」
ブレダ少尉とハボック少尉が茶化すように話しているのが聞こえる。
あの電話の人が本命、なのだろうか。
いや、あの人も遊びなのか。
何もわからない。私は彼のことをなんにも知らない。
他にたくさん女性がいるだろうことはわかっているけど、それでも、こうやって自分の耳と目で、その瞬間を見るというのは、今の自分にはきつかった。
まったく文字が目に入ってこないまま、しばらくぼんやりと書類を眺めていた。
彼の心には誰がいるんだろう。
どうしたら手に入るんだろう。
電話は終わっていたけど、執務室にいたくなくて席を立った。
そこで、自然と涙が出てきた。
最近やっぱり泣いてばっかりだ。
こうなることは承知でこの関係を受け入れたはずじゃなかったのか。
いやなら、求められても拒めばよかったのに。
私は、それもできないくせに。
こうなることは、最初からわかっていたことだったのに。
一人になりたかった。この状態で席には戻れない。
司令部の端にある階段、屋上に続く階であればほとんど人は来ないはずだと気付いて、そこに向かった。
悲劇のヒロイン気取りだと言われてもいい。
あの場にいたくなかった。
大佐をこのまま好きでいるのも無駄だし嫌いになりたいのに、それもできなくて。
あんなことしている人のことなんて嫌いになれればいいのに。
電灯の消えかけた薄暗い階段に腰掛ける。
息を整えて気持ちを落ち着かせようとしていたけど、考えてしまうのは彼のこと。
自分がこんなに恋愛中心の人間になってしまうとは思わなかった。
私たちの関係を、恋愛と呼んでいいのかはわからないけれど。
しばらくそうしていて、ふと腕時計を見ると、18時半を過ぎていた。
階段の踊り場にある窓から見える景色は、いつの間にか夕焼けも終わり夜に変わり始めていた。
30分くらいは席を離れているということになる。
…さすがにそろそろ、戻らなくては。
力の入らない体をなんとか立たせて、とんとんと階段を降りる。
目が真っ赤だと、いかにも泣いてました、っていう感じがして、あからさますぎて。
くだらない意地だというのはわかっているけど、大佐の前では平気な振りをしていたかった。
仕事は終わっていない。戻って続きを片付けなければ。
それはわかっているのに、もう、あの場所で平気な顔をして仕事をするなんて無理だと思ってしまった。
もう一度しゃがみ込む。
もう、何もしたくない。
執務室では、業務を終えた者がちらほらと帰り支度を始めていた。
――名前が、戻って来ないな。
そんな中、しばらく席を離れたまま戻らない名前に気付いて、ロイはホークアイに尋ねる。
「名字少尉、姿が見えないが、帰ったのか?」
「デスク、書類を広げたままですから。まだいるとは思いますよ」
「…そうか」
席を立ったところは見ていた。顔が暗かったのもわかっている。
用事があって席を離れたようには見えなかった。
「ご心配なら、様子を見に行かれてはいかがでしょう」
「…どこにいるかわからないだろ」
それだけ言って、ロイはまた書類に目を落とす。
いつも明るくて、人当たりのいい女性だった。
そんな彼女が、最近は暗く塞ぎ込むことが多くなった。
自分のせいだと、わからないわけではなかった。
好きでもないのに、この関係を受け入れてくれる彼女に甘え、傷付けているのはわかっていた。
上官というこの立場を利用していると言われても否定できないだろう。
彼女は好きな男がいると言っていた。でも、報われない恋だと。
他の男を想いながら好きでもない男に抱かれているのがつらいのだろうと、思う。
彼女はこんな関係が似合う人じゃない。愛をたくさん受けて、幸せになるべき女性だ。
彼女から笑顔を奪いあんな顔をさせているのは自分なんだろう。
自分がこの関係を続けたいと思うエゴのせいなのだと理解していないわけじゃなかった。
彼女が自分に好意を持っているわけではないのもわかっていた。
それでも手放せないと、手放したくないと思ってしまう。恋人でもないのにそんなことを考えてしまう自分は相当滑稽だとは思うけれど。
彼女は、自分の動向を気にしているような感じは全くなかった。
女性といるときに顔を合わせたことも何度かある。彼女は全く気にする素振りもなく、にこっと笑って、お疲れ様でした、楽しんでくださいね、なんて言っていた。
妬かせたくて、見せつけているというわけではなかったけれど、それでも彼女のその顔を見ると、自分に少しも気持ちが向いていないという現実を突きつけられるようで。
何かを期待してしまっていた自分が恥ずかしくなる。
せめて、この関係を割り切って考えられればいいのに、それすらできない自分が哀れだった。
そのとき、名前が執務室に戻ってきた。
目が真っ赤だと気付いて、泣いていたのか、とロイは気付く。
彼女はデスクに広げたままだった書類をばさばさと片付け、お疲れ様でした、と小さく言ってすぐに執務室を出てしまった。
――名前のことが心配だ、なんて俺が言っていいわけがない。
彼女を傷付けているのは、自分なのだから。
それでも、はっきりと拒絶をされるまで、この関係だけでも続けられたら、と考えている卑怯な自分がいる。
彼女の気持ちを無視してこんな関係を強いるのは最低だと頭では理解しているはずなのに。
いっそ、大嫌いだと言ってくれたら。
最低だと自分を罵ってくれたら、諦めがつくのに。
出てくるのは溜息だけだった。
2020.7.7