彼女は以前のようによく笑うようになった。
自分がしていたのは最低なことだったから、素直に気持ちを伝えたとして図々しくこんな関係になれるとは思っていなかったが。
泣きながら彼女はそれを受け入れてくれて、ずっと前から好きだったのだと言ってくれた。
随分前から本当はお互い思い合っていたようで、もっと早く説明していればよかったのに、と悔やんでも悔やみきれない。
しかし、過去を振り返っても仕方がないのだから、もうお互い謝るのはやめて、これからは素直になろうと二人で決めたのだ。
その約束通り、彼女は自分の気持ちを素直に言ってくれるようになった。
やはり今までは自分のせいで感情を押し殺していたのだと理解してまた申し訳なくなってしまうのだが。
彼女は、家でしか会えないことが寂しくて、他の女性が羨ましかったのだと恥ずかしそうに教えてくれた。
それを聞いて、これからはいろいろな場所に二人で行こうと言って、休みの日はしばしば彼女と出かけるようになった。
新しくできたレストラン、近所のマーケット、女性陣の間で話題のカフェ。バラが見頃だという郊外の公園に行ったり、汽車でイーストシティの方まで行ったりしたこともある。
その度に、こんな日が来るなんて、と嬉しそうに呟いていた。
自分に付き合わせていたときは苦しそうで、いつも辛そうな顔をしていた。
自分が好かれていないからだと思っていたが、本当は好きだということを言えずにこんな関係を続けていることへの虚しさだったという。
あんな顔はもう絶対にさせたくないと思うと、彼女の笑顔のためならなんでもしたくなるのだった。
「一緒にいられるだけで嬉しいんですよ」
「それは俺も、そうだけど」
でも、それだけじゃ気が済まない。そう言うと彼女はふふっと笑う。
「忙しいのに、こうやって時間を作って会えるだけで嬉しいです。今日もこの後、司令部に行くんですよね?」
「…ああ、悪いな、約束してたのに」
元々休みの予定で出かけようと約束をしていたが、急に仕事が入り司令部に行かなければならなくなった。
せめて近くの店で食事だけでも、と言ったら名前が用意してくれて、彼女の家で朝食を一緒に取ることにしたのだ。
コーヒーとトーストの香りが漂う部屋には窓から朝日が差し込んでいる。
本当は司令部なんか行かずにずっとこうして名前と一緒にいたい。しかしもちろんそうもいかず、食事を終えたらすぐに出なければいけない。
「いいんです、気にしないで」
今日は汽車に乗って少し遠出をして、この前地方に出張したときに見つけた小さな町に行こうか、なんて言っていたのに。
「…我慢してない?」
そう言ってみれば彼女は少し困ったように笑う。
「こうして会えたし、忙しいのはわかってるから、いいんです」
「…そうか」
我慢させてないならいいんだが。
今までのこともあり、彼女は一人で溜め込んでしまう癖があるので心配だった。
「でも、ほんとは」
寂しいから早く帰ってきて欲しい、と呟いた。
会いたい、とか、寂しい、という言葉を正直に言っていい関係がすごく嬉しいのだと彼女は以前言っていた。
もちろん自分もそうで、素直にそう言ってくれることが嬉しくないわけがなかった。
「…18時には帰る。約束する」
「本当ですか?」
「ああ、帰ったら食事に行こう。そのワンピース、今日のために用意したんだろ」
彼女が着ていたのはやわらかな色のワンピース。
初めて見たもので、きっと今日のために下ろしたのだろうと思ったのだ。
「違った?」
「…違くない。気付いてくれるなんて、嬉しいです」
顔を輝かせて喜ぶ名前を見て、いとおしい、という気持ちが満ちていく。
「本当は行きたくないけど、仕事も頑張れそうだ」
「…うん、待ってますから、頑張ってください」
以前と違う作られた笑顔ではなく、心からの笑顔が嬉しくて、自分の顔も綻んでしまう。
食事を終えていよいよ家を出る段になって。扉を開ける前にやはり名残惜しくなって彼女を抱き締めた。
「…行かなくていいんですか?」
「行くよ、でも最後にちょっとだけ」
そう言えば、彼女は黙って自分の背中に手を回した。名前も同じ気持ちだということはわかっているのだから、それだけでもう十分だ。
最後にひとつキスをして、恥ずかしそうに笑う名前をもう一度抱き締めた。
「いってきます。できるだけ早く帰るよ」
「…うん、いってらっしゃい」
名前に見送られ、扉を開けて家を出る。
以前は見送られることもなく、彼女の家から逃げるように帰っていたのだと、そんなことを思い出していた。
あのときこうしていれば、こうしなければ、と思ったことは数知れない。
でもやはり後悔したとしても仕方がないことで、これから先には未来しかないのだから。
これまでの自分は選択を間違えてばかりだった。
もしかすると、これからも間違えることがあるかもしれない。
しかし、間違えてもやり直すことができる。
今の自分には、それが許されるのだとわかる。
彼女のそばにいられるたったひとつの条件。
それは自分の気持ちに素直になることだったと、今ならばわかるから。
2020.12.4
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