You got me


それはもう、目を覆いたくなるような光景だったことは間違いない。
ただ、この何日間のことを、なまえはしっかりと覚えていない。
そこは本当になまえが必要とされる場所だったかは分からないが、彼女はトロスト区まで借り出されていた。
“遺体があるだけマシだ”という声がどこからともなく聞こえていたのを覚えている。
夥しい、“不完全”な遺体の中から、本当に生きている人間がいないかを確かめる為に、なまえはそこにいた。
とは言っても、それは殆どありえないことであるのは自明なことだった。
悪夢というのは、きっとこういう光景のことを言うのだろう。
嘆く暇などなかったから、なまえは必死に目の前のことだけを見ようとしていた。

普段働く調査兵団の本部に戻ってきても、なまえは抜け殻のようになってぼんやりとしていた。
きっと壁外に行く兵士達は、程度の違いこそあれ、ああいう光景をいつも見ているのだろう。
それに比べて壁の中で彼らを待つ自分は何と安全な場所に身を置いていることか。
普段ここに来る兵士達が出掛けていくのは、疲れた時にハーブティを飲もうと思えるような暢気な環境では無い。
そう思うと、自分の小部屋に並べられている小瓶たちが、とても暢気で、間が抜けて、浅はかな顔をしているように見えて、それはまさに鏡に映った自分であるような気がして、なまえはとても気が滅入った。
だからか、トロスト区から戻った数日、兵士に頼まれることがなければ、なまえは自主的に小部屋に行くことはなかった。
行く気になれなかったのだ。
戻ってきた兵士達はいつもよりもずっとバタバタしていたからハーブティやマッサージを頼まれることも殆ど無かったし、第一彼女もトロスト区に行く前のように小部屋に行ってハーブやオイルの勉強をしようなんて気持ちにはなれなかった。

「!」

夕日の差す頃、なまえが持ち出した本を返そうと小部屋に入ると、そこにはベッドに眠る兵士の姿があった。
昼過ぎに医師から小部屋にある本を貸してほしいと言われ鍵を開けて、そのまま鍵を掛け忘れていたのだ。
勝手にベッドに横になっていたらしい彼は、日が眩しかったのだろうか、腕で目元を隠し、決して寝心地が良くないであろう簡素な、狭いベッドで眠りこけていた。
彼は小柄であるから、普通の男が寝るよりは窮屈でなかったかもしれない。
その薄い唇は、僅かに開いている。
“侵入者”の無防備な寝姿に、なまえは苦笑いを浮かべた。

(疲れてるんだろうな、リヴァイ兵士長)

1週間くらいしか経っていないはずなのに、何だかとても久しぶりに彼の姿を見た気がする。
確か、掃討戦以降中央との大きな交渉ごとがあって、幹部組はこの本部には殆どまともに来ていないはずだ。
掃討戦で酷使した身体で頭も使い、疲労が溜まっているのにゆっくり眠れる暇などなかったのではないか。
よく眠れないらしい、しかも神経質そうな彼がこんなところで眠れるということは、最強の兵士と言われる彼でも、きっと相当疲れているということなのだろう。

なまえはベッドの前でしゃがみ、リヴァイの寝顔をしげしげと見つめた。
壁外調査に行く前、人通りの多い街中で彼の腕を掴んで歩いたことが、遠い昔のように感じられる。
どきどきと彼を見つめて歩いたのは、夢か何かだったようにすら思える。

(あなたたちは、いつもあんな場所に行かれるんですね)

ゆっくりと胸を上下させて静かに呼吸を繰り返すリヴァイに、なまえは心の中で呼びかける。
それは自分が考えていたよりも、ずっと過酷で残酷な場所であるようだった。

「・・・私がやってること・・・、随分暢気で、あんな場所で働いてるみなさんのことを思ったら・・・単なる自己満足だったんだなって、恥ずかしくなっちゃいました」

ぽつり、とその寝顔に、ここ数日、彼女が考えていたことをつぶやく。
それだけで少し楽になった気がした。
聞かれない方がいいのだけど、口に出すだけで、気が楽になった気がした。

小さく息を吐き出すと、なまえは立ち上がった。
そして音を立てないように窓を開ける。
随分窓を開けていなかったから、空気が籠もって、リヴァイには息苦しく感じるだろうから。

なまえは本を棚に戻すと、小部屋を出ようとした。
今、彼が眠れる時間であるのなら、リヴァイを好きなだけ寝させてやりたいと思ったからだった。
足音がしないよう、そろりそろりと彼の眠るベッドの横を通る。
ひょっとしたら無意識だったかもしれない。
横たわる彼の顔の辺りに差し掛かった時、なまえはぴた、と足を止めた。
何故かは分からない。
でも、ただ、彼女はリヴァイの顔をじっと見つめた。

彼はいま自分の目の前で眠っている。
少しだけ身近な存在になった気がしていた彼は、また、随分遠い存在になったように感じた。
リヴァイを含め、彼らがいつも戦っている場所がどんなところか、少し分かったような気がしたからだった。

(・・・あなたは、すごいひとですね)

何でそんなに強くいられるのだろう、と思う。
それはリヴァイだけでなく、この調査兵団に属している兵士達、みんなに言えることだ。
そして彼はそんな兵士達を束ね、“最強”と呼ばれ尊敬され、名前を挙げられては民衆から無責任な期待をされる存在だ。
彼は男性としては小さなこの身体で、残酷な光景を見ながらもそれらを一身に受け止めて、いつも前を向いている。

しばらくリヴァイの顔を見つめた後、なまえはベッドから離れようと一歩踏み出す。
しかし、二歩目が踏み出されることはなかった。
不意に掴まれた彼女の手が、それを許さなかった。

「!?!?!!」

驚き振り返ると、目を覆っていたリヴァイの腕が、しっかとなまえの腕を掴んでいた。

「盗み見とはいい趣味をしてやがる」

そう言いながら、眠っていたはずのリヴァイはゆっくりと起き上がった。
けれど彼は、決して彼女の腕を解放しない。
目を見開き顔を真っ赤にして棒立ちになったなまえは、きっと、起きてたんですか、とか、ごめんなさい、とか、答えたかったはずだ。
けれど、驚きと恥ずかしさに混乱し呼吸を忘れて、声も出なかった。

「何で俺を見てた?」

彼女が答えられそうも無い状態であるのは分かっているはずなのに、リヴァイはニヤリと笑い質問をする。
動揺していて言葉が出ない、プラス、何故彼をじっと見つめていたのか、自分でも分からない。
けれど彼女はリヴァイを見つめていたいとさっき思ったし、彼を見つめていたことは、紛れもない事実だ。
まごつくなまえは目を白黒とさせながら、意地悪く笑うリヴァイの顔と、視界の端に映る、彼にしっかり掴まれた自分の腕を見る。
じっと自分を見る彼の目からは、逃げられそうも無い。

「答えろ、なまえ」
「―――――あっ、あ、あの、」

やっと動いた彼女の口は、一体何と言おうとしたのだろうか。
その時大きな音を立て、小部屋の小さなドアが勢い良く開けられた。

「リヴァイ!!いたね!!!」

何サボってんの、もう!と大声で叫びながら、ハンジは眼鏡の下の大きな瞳を獲物を見つけた獣のようにギョロギョロとさせて、小部屋にズンズンと入ってきた。
チッ、と舌打ちをし、リヴァイはなまえを捕まえていた手を離す。

「俺はお前みたいな変態と違う。三日三晩ロクに寝ずあくせく働けるか」
「今はそんな場合じゃないだろ、リヴァイ!何としても“エレン”を私たちの下に置かなくちゃ!」

ギラギラとした瞳をリヴァイの細い目に近付けて、ハンジは彼の両肩を掴む。
眉間に皺を寄せると、観念したようにリヴァイはベッドから降りる素振りを見せた。

「さぁ早く!エルヴィンも待ってるよ」

ハンジは戸口へとリヴァイを引っ張る。
部屋を出ようとした時、リヴァイはまだ戸惑いを浮かべた表情で突っ立ってその様子を見ていたなまえを振り返った。

「・・・おい、なまえよ。お前が暢気なヤツだってことは誰もが知ってることだ。違うか?」
「・・・・・・?」
「それを知った上で兵士たちはここに来る」

はっとしたなまえは、息を飲み、小さく肩を上げた。
見つめるリヴァイは真っ直ぐに自分を見ている。
その顔に、さっきまでの意地悪い笑みはない。

「俺もそれなりに助かってる。お前がややこしいことをどうこう考える必要はない」

息を抜くようにほんの少し口の端を上げ笑うと、リヴァイは小部屋からすっと姿を消した。

「・・・・・・いつから起きてたんですか、リヴァイ兵士長・・・」

なまえはただ彼が出て行ったドアを見つめて、一人そこに立ち尽くしていた。
彼の残した言葉にまた真っ赤に染まってしまった、頬のままで。

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