にぎやかな夜に





壁外調査を間近に控えたその日、リヴァイ班の面々は決起集会と銘打っていつものように飲み会を開いていた。
このところ出席率のよくなかった彼らのボスも参加できるというので、ペトラを始めとした班員たちはいつもより少しだけ大人しく、それでも楽しく酒を酌み交わしていた。
女子がペトラだけということで男臭いこの飲み会に花を添えるため呼ばれた特別ゲストのなまえも同様に、その場を楽しんでいた。

「兵長ー、飲んでますかぁっ!?!」

顔の真っ赤なエルドが調子よくピッチャーを高々と掲げると、リヴァイはいつも通り眉間に皺を寄せたまま、「あぁ、十分だ」と答えた。
二人の温度差に、なまえは笑う。
リヴァイ班の飲み会に参加するのはこれが3度目だが、リヴァイのいる飲み会に居合わせるのは初めてだ。
彼はやっぱり難しい顔をしていつも通りの彼のまま、酒を飲んでいる。

「なまえさん、おかわり大丈夫ですか?」

隣に座るペトラがにこにことなまえの顔を覗き込む。
ほんのり赤いペトラの笑顔はその大きな目がとろんとしていて、かわいらしい。

「はい、大丈夫です」

なまえが笑って答えると、そろそろお開きかなぁ、とペトラはグンタと何かを話しているリヴァイの方を見た。
オルオとエルドは小競り合いをしているようだ。
目の前の楽しそうな彼らの様子に、なまえは目を細めた。

彼らとそんなに親しい訳ではないけれど、こうして一緒に彼らと時間を過ごさせてもらう度に、エリート中のエリートと呼ばれる彼らも普通の人間なんだなぁと不思議な気持ちになる。
こうして酒を飲みにこにこと話し騒いでいる彼らも、一歩壁外に出れば超人的な動きを繰り出し一瞬で巨人を仕留めるスペシャリストなのだ。
彼らに限らず兵士たちと親しくするたび、同じように何とも言えない複雑な気持ちになる。
確かに自分と同じ「普通の人間」である彼らが進んで過酷な壁外での任務に身を投じることを思うと、なまえは彼らへの尊敬の念を深めずにはいられないし、切ない思いにもなる。

長い飲み会を終え店の外に出たリヴァイ班の面々は先程まで騒いでいた雰囲気を引きずりながら、それぞれが家路に着こうとしていた。
オルオはペトラを送れ、とグンタがニヤニヤ笑いながら言った。

「なまえさんは――――、」

オレが送りましょうか、と言おうとしたのだろうか。グンタがそう口にした時、リヴァイが「オレが送る」と静かに言った。
へべれけになっていたエルド、別に送りなんかいらないといつものように押し問答していたペトラとオルオ、もちろん目の前のグンタもなまえも、目を丸くしてリヴァイを見た。

「行くぞ」

一言言って、リヴァイはさっさと歩きだす。
なまえは目をぱちくりとしながら、勝手に進んでいくリヴァイの背中と店の前にたむろしているリヴァイ班の面々を交互に見た。

「あ・・・あの・・・」

その場に作られた意味深な間に、なまえは戸惑い彼らの表情を窺う。
グンタとエルドはニヤニヤしながら彼女を促すように、「なまえさんおやすみなさい」と言った。
オルオは「ほう・・・」と笑い、ペトラの肩を叩く。
ペトラはまだ赤い顔のまま、驚きの表情を浮かべていた。

「さぁ、早く行かないと兵長に怒られますよぉ!」

ニヤつくエルドが「兵長はせっかちですからね」と続けてなまえの背中を押したので、彼女はあたふたとしながら「おやすみなさい」と挨拶し、リヴァイの背中を追い掛けた。



「あっあの・・・リヴァイ兵士長・・・、その、すみません・・・」

早足で彼の背中に追いついたなまえは、半歩後ろでどきどきとしながらリヴァイの顔を見た。
彼は変わらず前を向き、スタスタと歩いている。

「さっさとしろ、グズ野郎・・・ちゃんとお前の家まで案内しろよ」
「は、はい!あの、目抜き通りに出たらしばらくまっすぐで・・・薬局の角で、左です」

この間はオルオに送ってもらった訳で、今夜リヴァイに送ってもらったとしても特に何かがおかしいわけではない。
それなのに今、何だか変にリヴァイを意識してしまう。
それは、リヴァイがなまえを送ると言った時のリヴァイ班の面々の反応のせいであり、自分を見送った時の彼らの雰囲気のせいであり、この間二人が小部屋で妙に接近してしまったせいだった。

町は彼女たちと同じように、食事を終えて真っ赤な顔をした大人たちであふれかえっている。
店から漏れるあたたかな灯りと通りを彩るたくさんの灯りたちで、彼らの歩く、居酒屋の立ち並ぶ通りは昼間のようにこうこうとしていた。
賑やかな人混みの中を、リヴァイはスムーズに進んでいく。
どきどきとして落ち着かないなまえは、歩きながら彼の顔をこっそり見つめていた。
半歩後ろを歩いている彼女がリヴァイの横顔を盗み見ても、きっと彼には気付かれないだろうと思ったから。

「今日もご一緒させて頂いちゃって・・・ありがとうございました」
「別にオレが何かしたわけじゃねぇよ」
「楽しかったです」

つい先程まで目の前にあった彼らの笑顔を思い出して、なまえは微笑んだ。
あぁ、と小さくリヴァイは相槌を打った。

「・・・リヴァイ兵士長は・・・幸せですね」
「何故だ」
「あんなに部下の皆さんに信頼されて、尊敬されて、愛されてます」

なまえの静かな言葉に、リヴァイは少し間を置いてから、それはどうか知らねぇが、とその薄い唇を動かす。
その言葉とは裏腹に、後ろから見える彼のその横顔が少しやわらかくなったのが、なまえには分かった。

「オレはあいつらを信頼してる」

その瞬間、進むたび体に当たる、冷たくなった夜風がふわりと感じられた。
あぁ、だから彼は部下たちに敬愛されるのだ、となまえは心から思った。
彼は多くは語らない。
けれど、その姿と少ない言葉とで、全てを示し、悟らせてくれる。
一体どれだけの深い心を彼が持っているのかは分からないけれど、彼が表に表す少ない何か以上の物を、たしかにそこに持っていることが分かる。
――――何故だろう。胸が甘く締め付けられる。
小さく微笑んだなまえは、彼を見つめる瞳に彼の部下たちと同様に、敬愛の心を込めた。

「・・・はぐれるなよ」

目抜き通りに出るタイミングで、リヴァイがなまえを初めて振り返った。
ずっと彼の顔を追っていたなまえは、間近で目が合い胸をどきりとさせた。

「すごい、人ですね」

ぎこちなく言葉を返すと、リヴァイは彼女を振り返ったまま立ち止まった。

「いつもこんなもんだろ」
「そ・・・そうですか」

顔を赤くして、なまえはとんちんかんなことを言ってしまっただろうかと気まずそうに苦笑いを浮かべる。

「・・・なまえ、てめぇは鈍くさいところがある・・・ちゃんと捕まってろよ」

えっ、という顔をしたけれど、一層鼓動を早めた彼女の心臓は声を出すことを許してくれない。
彼の言葉を何度か反芻してみても、確かに「自分に捕まっていろ」と言われた気がする。
なまえは目を大きく開き顔を真っ赤にして彼の顔を見つめていたけれど、リヴァイはくるりと前を向くと、再び目抜き通りへ歩き出す。
1歩、2歩、3歩。
惚けたように彼の背中を見つめていたなまえは、彼の背中が二人を横切る人の影で見えなくなった瞬間にはっとし、駆け出した。
すぐに彼に追いついて、やっぱり半歩後ろから、彼の横顔を窺い見る。
目抜き通りは彼らが抜けてきた居酒屋の立ち並ぶ通りより、きらびやかな光であふれている。
歩くたび揺れるそのまばゆい視界に、くらくらとしてしまいそうだ。
視線を下にやると、そこにはマントに覆われた彼の腕がある。

(“ちゃんと、捕まって”――――――。)

胸に手を当てて自分を落ち着けるように軽く深呼吸をすると、なまえはリヴァイの腕に、恐る恐る手を伸ばした。
マントの上からその腕に触れ、軽く、それを掴む。
――――確かに今、自分は彼に触れている。
彼を頼りなく掴む自分の手を、なまえはじっと見つめた。
さっきまで肌寒く感じていた体が急に熱く感じてしまうから、不思議だ。
「お前、」と不意に掛けられた彼の低い声に、なまえは再び顔を上げた。

「ハンカチ、落とすなよ」

彼の言葉に、なまえは目を白黒とさせて狼狽した。

「な、何で知ってるんですか・・・!?」
「たかが粗品の為に危なっかしいことしてんじゃねぇ」

なまえは熱い顔で口をぱくぱくとさせる。
先日のナナバとの一件を彼が言っているのは間違いない。
真っ赤な顔で言葉を失うなまえに、リヴァイは前を見たままニヤッと笑う。
やっぱり後ろから見る彼の頬が緩んだのが分かったので、なまえはますます顔が熱くなった気がした。
そして、彼の腕を遠慮がちに掴んでいる自分の手がひどく汗ばんでいるのが分かる。
二人でこうしてにぎやかな夜の町を歩いていると、まるで自分が別世界に来てしまったような錯覚に陥る。
リヴァイと歩くこの町は今、あまりにも明るく、あまりにも平和で、あまりにもありふれた幸せにあふれている。
彼らがもうすぐまた踏み出さなければならない残酷な世界とは、全く切り離されたような、目の前にある、この時間。
いつまでもこの時間が続けばいいのにと思うけれど、それがかりそめの平和であり、幸せであることは痛い程に分かっている。
だから彼らは、壁の外を目指すのだ。

なまえは、リヴァイの腕を掴む手にぎゅっと力を込めた。
彼の体が少しだけ動き、それに反応したのが分かる。

「・・・リヴァイ兵士長」
「・・・何だ」
「・・・一人でも多くの皆さんと帰っていらっしゃるよう、お祈りしてます」

あぁ、とリヴァイは答えると、少しだけ、口の端を上げた。



 
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