ハンカチと王子




その日なまえは医務室の屋根裏のようになっている二階の、膨大なカルテや使うのか使わないのか分からないような備品が置いてある部屋で、久しぶりのカルテの整理をしていた。
そもそもこの部屋に人が入ること自体がしばらくぶりだったので、中はとても埃っぽい。
中庭に面している窓を開け放して作業をしていたものの、端っこの棚のカルテを引っ張り出した時もわっと埃が立ち上ったので、なまえはハンカチで口元を隠した。
けほけほ、と咳き込みながら、片手でページをめくり、内容を確認する。
それを棚に戻すと、なまえは窓辺に立ち、ハンカチを広げて窓の外へ埃を払うようにした。
ぶんぶんとハンカチを振る。

「あっ・・・!」

勢い良く振りすぎて、振り切られてしまったハンカチはふわりとなまえの手から離れ、真下の医務室の庇に引っ掛かってしまった。
しまった、となまえは慌てて辺りを見回す。
いい具合に昔使っていたと思われる物干し竿が埃をかぶって床に転がっている。
たまにここに上がって来る度に視界に入ると捨てればいいのに、と思っていた物だけれど、なまえは今回ばかりはそれがあって良かった、と思った。

まず、長い物干し竿を窓の外に出すのに苦労した。
背の高い窓だったおかげで、よたよたとしつつも何とか物干し竿を窓の外に出すことができた。
けれどその物干し竿は庇に届かせるには長すぎて、やっとの思いで外に出したもののハンカチの引っ掛かっている場所をすっかり通り過ぎてしまっている。
てこの原理でその重さに苦しみながら、なまえは物干し竿の手持ちの部分を少しずつ上に上げて、庇に引っ掛かっているハンカチを目指した。

(もう、少し・・・)

あと少し物干し竿を引き上げれば、ハンカチにちょうど届く。
先はゆらゆらと、ハンカチの近くを行ったり来たり。
なまえは身を乗り出して、竿を動かした。

「!!」

上に上げすぎた竿が重たく負担を掛けて、窓から身を乗り出しすぎていたなまえはぐらりと窓の外へ傾く。
危ない、と思った瞬間、乗り出し落ちかけた上半身を何かに強く止められた感触がした。ガランガラン、と竿が下に落ちる音が後から聞こえてくる。

「・・・何してるの、一体」

力強いその腕でぐいっと窓の前に押し戻されて床にしっかりと立つと、なまえは目を白黒とさせて、突然現れた端整な顔を呆然と見つめた。

「ナ・・・ナナバさん」

ナナバは窓の外から彼女の顔を見て苦笑した。

「驚いた。物干し竿を窓から出して一体何をしてるかと思ったら・・・危なっかしくて見てられないな」

どうして、となまえが窓の外の彼女の姿を確認すると、彼女は立体機動で壁にしがみついていた。
危ないなぁと眺めていたなまえがとうとう落ちそうになったので、咄嗟に立体機動を使って助けてくれたのだろう。

「すみません、あの・・・ハンカチが下の庇にひっかかっちゃって・・・」

ふっと笑うと、ナナバはアンカーを伸ばして下に少し降り、ハンカチを掴むとまたなまえの待つ窓辺まで戻ってきた。

「はい・・・?・・・××ハンカチーフ店・・・?」

ハンカチを差し出したナナバは、そこに書かれた文字を見てぷっと吹き出した。

「あ、ありがとうございます、本当にすみません・・・」

顔を真っ赤にしてなまえはそのハンカチを受け取った。
それは、リヴァイが男物と間違われて馴染みのハンカチ屋から貰ったという、開店何周年か記念のレースのついたハンカチだった。
彼はこんなハンカチは使えないからと、先日なまえにそれをやっていた。

「これ・・・そんなに大事だったの?」

窓越しになまえを見つめて、ナナバは面白そうに笑う。
なまえがあんな危険を冒してまでどこかの店の名前の刺繍の入ったいかにも粗品で貰った風のハンカチを必死に取ろうとしていたのが、彼女にはおかしかったらしい。
顔を真っ赤にして「い、いえ・・・」とどもりながら答えると、なまえはそれを素早くたたみ、胸元に両手で握った。
ナナバはそのターコイズ色の美しい目をやさしく細めると「じゃあ」と、壁から地面へと華麗に着地をした。
窓からまた身を乗り出してなまえはもう一度、「ありがとうございました!」とナナバに呼びかける。
彼女はなまえを見上げてにこりとさわやかに笑うと、小さく手を振って歩いていった。

歩いていくナナバを見ながら、なまえは熱い顔に手を当てた。

(・・・女の人、って分かってても、何だか緊張しちゃう)

そう、とても中性的な彼女は王子様のように見目麗しく物腰も柔らかで、小部屋に遊びに来る女子たちの定番の、“調査兵団で誰がカッコイイと思う”という話題には必ず名前を挙げられる存在だ。
女性であるにも係わらず、熱狂的なファンも多い。
窓から落ちそうになってしまったことと、彼女に接近したこととで激しく音を立てる心臓を治めるように、なまえは深呼吸をした。





定例の班長以上の集まるミーティング、お決まりのハンジの独り舞台が始まったので、彼女の熱い話に聞き疲れたナナバは頬杖をつき、窓の外に目をやった。
医務室の前で、なまえが長い竿を持って医務室へ持ち込もうとしている。
さっき彼女が窓から落としてしまった、古い物干し竿だった。
やっぱり竿が長すぎて、医務室に入れるのにも苦労している。
ナナバはつまらなさそうに結ばれていた口元を緩ませ、ふふっと笑った。

「何だ・・・気持ち悪ィ」

隣に座るナナバが急に笑いだしたので、リヴァイは小声で彼女に言った。

「いや・・・さっき面白いことがあってさ」

くっくっ、とこらえきれないように、ひそひそとナナバは話し始めた。
「医務室のあのコね、」と窓の外を指差す。

「二階の窓から身を乗り出して、無駄に長い棒を使って何かしようとしてたんだよ。見てるうちに落ちかけて、助けてあげたんだけど。一階の窓の庇に引っ掛かってたハンカチを取ろうとしてたんだって。」
「・・・・・・・・・」
「そんなに必死に取ろうとしてたもんだから、そのハンカチさ、さぞかし高価な物なのかと思ったら・・・××ハンカチーフ店って刺繍で書いた、ただの安っぽいハンカチだったんだよ」

緩く握った手で口元を隠して、ナナバは更なる笑いをこらえようとしているようだった。
もっとやりようがあるよね、と彼女はリヴァイに言ったけれど、リヴァイは「ほう・・・」と言ったきりほくそ笑んで、窓の外で長い物干し竿を何とか医務室に入れようと必死ななまえの姿を見つめていた。



 
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