(自分は棚にあげています)




「先生、すみません!なまえさんを貸してくださいっ・・・!!」

夕日の差し込む医務室へ勢いよく駆け込んできた女性兵士は、ぜいぜいと大きく肩で息をしながらバンと開いたドアにもたれかかる風にして叫んだ。

「あ・・・ああ、いいよ。もう片付けも終わったところだから」

医師は呆気にとられながら、最後に床へモップ掛けをしていたなまえにもう帰ってもいいよと伝えた。
女性兵士はすみません、と医師にことわると、医師に「それでは」と挨拶をしているなまえの腕を掴み小部屋へとずんずんと歩いた。
彼女はなまえが小部屋の鍵を開ける時間さえ待ちきれないように、周りをキョロキョロと見回す。
部屋に入るといつものように窓を開け放したなまえに「早くこれを見てください」と急かすと、彼女は何やら意味ありげな白い紙袋をずいっと机の上に差し出した。
彼女の勢いに圧されたなまえは戸惑い、袋と彼女を交互に見て、口を開いた。

「ど、どうしたんですか、一体・・・?」
「これ。これですよ。ほら、教えてくれたでしょ?“イランイラン”!!!」

彼女は大きな目をキラキラと輝かせると、白い紙袋から小さな青い小瓶を大事そうに取り出した。
“イランイラン”とラベルに書いてある。
なまえは以前この小部屋でペトラたちと“よしなしごと”を話していた時に、彼女が「媚薬効果のあるハーブはないか」と聞いてきたことを思い出した。
イランイランは熱帯地域でしか育たない花で、その濃厚な甘い香りから陶酔効果や催淫効果があると言われている。
壁の中ではとても高価な貴重品だ。

「――――ああ!!す、すごいですね!どうされたんですか?」
「ふふ、この間の壁外調査から無事帰ってこれたら、ご褒美に買おうと思ってたんですよ!」
「どうして・・・あっ!?」

彼女がイランイランを自分へのご褒美にしたのは何故かを尋ねようとした瞬間自分にもその理由がビビッと伝わってきた気がしたので、なまえは口元を手で隠すとうれしそうな、驚いたような笑顔をつくり、彼女の言葉を待つことにした。

「そうなんですよ。えへ・・・まだ付き合ってないんですけど、いい感じのカレがいて。今度うちでご飯をごちそうすることになってるんです。その時にムード作りで使おうかなって・・・!」

頬を赤くして照れた様子で彼女がそう言ったので、なまえも何だか胸がどきどきとしだしてしまった。
恋する女の子というのは、何故こんなにきらきらとして一生懸命で、可愛いのだろう。

「なまえさんにはいつもお世話になってるし、これの存在を教えてくれたでしょ?だから、ちょっとおすそ分けしたいなって」
「だ・・・ダメですよ、すごく高かったでしょう!?」

いえいえほんのちょっとだけですよ、と彼女は笑って言うと、空いている小瓶を出すようなまえに言った。
なまえはしばらく悩んでいたが、結局彼女の言葉に甘えさせてもらうことにした。
何しろ勉強熱心なハーブおたくの彼女に、出会ったことのないハーブを親切に差し出してもらえたわけだから。

なまえは茶色の小瓶と小さなろうとを机の引き出しから取り出しセットすると、彼女の持ってきた青色の小さな小瓶からほんの少しのオイルをそこへ流し入れた。
ろうとに僅かに残るオイルでさえももったいないくらいの少量だ。
おそらくアロマポットで1回楽しめるくらいの量だろうか。
女性兵士はわくわくとしながら開けた青い小さな小瓶に鼻を近づけると、「何だかすっごくオンナっぽい、素敵な香り!」とさらにきらきらとした笑顔を作った。

「うまくいくといいですねぇ」

今日は、美容にいいとされているローズヒップか、クランベリーがいいだろうか。
彼女の様子に目を細めながら、なまえはせめてものお礼にとハーブティーを淹れるため、ポットにお湯を沸かし始めた。




お茶を飲みながらしばらく女性兵士の意中のカレの話で盛り上がった後、彼女はやっぱりきらきらとした笑顔を振りまいて小部屋を出て行った。
彼女がいなくなった小部屋は、まだ彼女の振りまいていったきらきらとした可愛いオーラが残っている気がする。
なまえは机の上に残された茶色の小瓶を眺めて、早速その香りを堪能してみようか、と思った。
なぜならば、自分にはそれを必要とするような意中の相手がいるわけではないし、ハーブを曲がりなりにも職務上で扱う彼女はプロの端くれとしても、未知のハーブに対し興味をそそられていたからだった。

いつもはこの魔女のような部屋にあるいろんなハーブの香りがこもらないように開け放している窓を閉め、棚に置かれたアロマポットを机の上に置くと、先程イランイランを入れたばかりの小瓶の蓋を外し、何とか2滴、受け皿に入れた。
それだけでもその独特な香りがほのかに香ってくる。
キャンドルにそっと火を灯すと、少ししてその香りがふわりと漂うように広がってきた。
なまえはその前に頬杖をつき目を綴じると、彼女は一人その香りを堪能した。

(強烈な香りだなぁ・・・エキゾチックで個性的な・・・でも、甘くて、女性らしくて、魅惑的―――――)

陶酔効果や催淫効果があると言われるのも分かる気がする。
あの女性兵士がさっき自分に教えてくれた“作戦”通りこれを部屋に香らせて、意中のカレといい雰囲気になっているのが何となく浮かんで、その甘い光景に自分までうっとりとした気分になってくる。

(いいなぁ・・・私もそんな風に・・・・・・!!?)

その時、ぱっと頭の中に浮かんでしまったある顔に、なまえは綴じていた目をぱちりと大きく見開いた。
そういえばこの間この部屋で、イランイランを自分なら誰に使いたいか、と話していたときにも、彼の顔がふいに浮かんでしまったんだった。
急に顔が熱くなり、ぶるぶるとなまえは頭を振る。

「だ・・・だから、何でリヴァイ兵士長が―――――!」

「・・・オレが、何だって?」
「!!?!?!!!?」

なまえは全身の毛を逆立たせるようにして立ち上がった。

「リッ・・・リヴァイ兵士長!ど、ど、ど、どうされたんです、か?!」
「ノックは一応、した」

何というバッドタイミングなのだろう。イランイランの濃くて甘い香りに思いを馳せていたあまり、ノックの音もドアが開く音も全く聞こえなかった。
顔を真っ赤にしたなまえは、落ち着かない風に前髪を撫で付け彼を見つめる。

「これをお前にやる・・・もらいもんで悪いが」
「え、え・・・?」

リヴァイが差し出したのは、手のひらくらいの大きさの正方形の封筒だった。
受け取りよく見てみると、“粗品 10年のご愛顧に感謝して ××ハンカチーフ店”と書いてあった。
彼の馴染みのハンカチ屋の開店10周年の記念品だろうか。
中からは、可愛らしいレースのついた淡い水色のハンカチが出てきた。

「女物と間違えやがって・・・使えねぇ」
「あは・・・はは、そ、そうですね」

水色のハンカチだったから、男物と間違えて店員が彼に渡してしまったのだろうか。
ありがとうございますとなまえはぎこちなく礼を言い、ハンカチを封筒へ戻した。
ふと、おかしな沈黙が流れる。
リヴァイはまだ出て行く様子がない。

「あ・・・ああ、お茶でも、飲んでいかれますか?」
「・・・ああ」

なるほど彼の中ではここに来るとお茶が出てくるというのが当然だと思っているのだろう。
本当ならば今は何だかとても気まずいのでなるべく早く彼にここを後に欲しかったのだけど、お茶を所望している彼の気分を害さず帰ってもらえるような良い理由も思い浮かばない。
なまえはまだ熱い顔のまま、どれにしようかとたくさんのハーブの瓶が並べられている棚の前に進んだ。

「・・・あっ!リヴァイ兵士長。さっきちょうど食堂から今日余った牛乳を分けてもらったんですよ。よかったら飲んでみられませんか?カモミールミルク」
「カモミールミルク?」
「そうです。いつかおすすめしたいと思ってたんですけど。普通のカモミールティーより安眠効果があるらしいですよ。しかも作り方もすっごく簡単なんです」

そうか、とリヴァイが答えて椅子に座ったので、なまえは小鍋を取り出し牛乳をそこに入れた。
ジャーマンカモミールのハーブを2さじ弱そこへ入れて、そのまま火に掛けた。

「これで沸騰する直前まで煮たら出来上がりです。簡単でしょ?」

リヴァイは何も言わず、今日は閉じられている窓の外を眺めていた。
煮出している牛乳に、本当にわずかに、カモミールの黄色が色づいていく。
カモミールと牛乳のほのかに甘くてやさしい香りがふわりと香ってくる。
そう、イランイランとは正反対の――――――

「!!!!!」

なまえは慌てた。
そういえば自分は今、イランイランのオイルをこの部屋に香らせているのだった。
しかもそのアロマポットは、何を隠そう彼の目の前の机に置かれている。

「リ・・・リヴァイ兵士長、今日はちょっと・・・医務室で、お茶を飲まれませんか?」
「何故だ」
「えっ、そうですね、ちょっと・・・ほら、今日はにおいがこもってるでしょう、この部屋。アロマオイルを焚いてて・・・カモミールミルクの香りを邪魔しちゃうといけないので・・・」
「オレは別に気にならない」

イランイランは決して媚薬ではない。
あくまで、「そんな気分を盛り立ててくれる効果があると言われている」だけのハーブだ。
けれどそんなハーブのオイルを焚いている部屋にリヴァイを居させているということに対して、なまえはどうしても落ち着かない。
さっき頭にふいに顔を浮かべてしまったリヴァイに、なまえは何やら変な後ろめたさを感じていた。

「で、でも・・・」

そうこうしているうちに鍋肌がふつふつと煮立ち始めていた。
沸騰させてはいけない、となまえは急ぎ火を消し、鍋からティーポットへとできあがったカモミールミルクを注いだ。
こっそりあたたかい日差しを溜め込んだような、ほのかに黄色くてやさしい色をしている。
あたためておいた二つのティーカップにそれを注ぎ、リヴァイへと差し出した。
そのままなまえはアロマポットに灯していた火を消そうと、リヴァイの目の前にあるアロマポットに慌てた様子で近付く。

「?・・・何だ」
「えっ・・・あ、あの、ほら、やっぱりカモミールミルクのにおいを邪魔しちゃうとよくないと思って・・・」
「・・・別に気にならねぇと言ってるだろうが」

明らかに様子のおかしいなまえに、リヴァイは怪訝な顔をした。
彼にそう言われてしまうとなまえはどうにもキャンドルの火を消しにくい。
ぎこちない笑いを浮かべたまま彼女はリヴァイと同じように椅子に座り、ティーカップを手にした。
リヴァイはリラックスした様子でカモミールミルクを口にしていたが、なまえはリラックス効果のあるそれを口にしても、今はどうしてもそわそわとして落ち着かない気分だった。
彼の様子をちらちらと窺っているうちに、リヴァイの唇がカップにつけられている光景がどうにもセクシーなもののように感じ始めてしまい、目を逸らす。

(ああ・・・何考えてるんだろう、私・・・)

カップを傾けるたびにわずかに揺れる、リヴァイのさらりとした黒髪。
そこに付けられる、形の良い、彼の薄い唇。
今までここにいたときと同じように足を組み、自分からは少し身体をそらすようにして椅子に座っている。
ごく普通にお茶を飲んでいる彼が、どうして今はこんなにセクシーに感じてしまうのだろう。

(イランイランを焚いたせいで変に意識しちゃって、私がおかしくなりそう)

なまえはティーカップを両手で包んだまま、自分に呆れたように大きなため息をついた。

特に何も話さずそれを口にしていたリヴァイのカップはやがて空になった。
彼が早くここから帰ってくれるようなまえはそのカップを下げようかとすら思ったが、彼はまだカモミールミルクの残っているティーポットをじっと見つめた。
“おかわりをくれ”ということらしい。
とりあえず彼がそれを飲み終わるまではここを後にすることはないようだ。
少し強張った笑顔で、なまえはティーポットを彼のカップへと傾けた。

「い・・・いかがです?カモミールミルク・・・」

沈黙にそわそわとしながら、リヴァイの顔色を窺うようになまえが口を開いた。
今まで彼といる間の沈黙なんて、あまり気にしたことはなかったのに。

「・・・ああ、悪くない」
「そうですか・・・、それはよかったです」

会話はすぐに終わる。
はぁ、と小さくなまえはため息をついた。
さっきの女性兵士の話を聞いたときのように、少し胸がどきどきとしている。
イランイランの効果なのか、さっきこれを分けてくれた女性兵士のきらきらに当てられて自分もそうなってしまっているのか、分からない。

(もう・・・変な私・・・!早く帰ってもらえないかなぁ・・・)

カチャリと小さな音を立てソーサにカップを置くと、リヴァイはゆっくりと席から立ち上がった。

「あ・・・、帰られます・・・?」

嬉しそうな声色にならないよう、なまえは注意して彼に聞いた。

「ああ、遅くに悪かったな」

リヴァイは彼女の希望通り、ドアの方へと歩き出す。
ほっとした面持ちで、彼を送り出そうとなまえも席を立った。
すたすたと順調にドアに向かい歩いていたリヴァイが、彼女に何かを話しかけようと急に棚の前で立ち止まる。

「そういえば、―――――」
「!!!」

早足で彼を追っていたなまえが、突然振り向いたリヴァイにぶつかったのも無理はない。
なまえは彼の片腕に捉えられ、しがみつくような格好になった。
彼女は自分でも驚くほどにぎょっと目を大きく開け、予期せぬハプニングに顔が真っ赤になる。

「すっ・・・すみません・・・!」
「・・・お前、今日は一体何なんだ」

リヴァイは自分の腕にすがったまま尋常じゃないほど硬直しているなまえに、眉根を寄せた。
さすがに彼も、今日の彼女の様子はどうもおかしいと思っていたらしい。

「ご・・・ごめんなさい、私、今日おかしいんです。」
「・・・あァ?」
「あ、あの、その・・・と、とにかくこの部屋から出て―――――・・・」

彼に対して変にやましい気持ちを持っている今、彼の身体にがっしりと触れてしまうというハプニングを自ら引き起こしてしまった。
パニックになったなまえが「せめてとにかくこの部屋から早く出たい」と懇願するように顔を上げ言葉を発しかけた時、ばちりと、なまえとリヴァイの目が間近に合わさる。

「・・・あ、あ、あの、・・・・!!」

彼の顔を間近にしたなまえは真っ赤な顔のまままばたきを早め、言葉を失ってしまった。
リヴァイはじっと、動揺の色に揺れているなまえの瞳を覗き込んでいる。

「・・・・・・・・・」

彼はやがてその瞳を少し伏せるようにすると、自分の顔をなまえの顔へとおもむろに近付けていった。

「・・・リ、――――――」

すぅっと迷いなく近付いて来るその顔の名前を呼ぼうとしたけれど、なまえは彼の瞳に吸い込まれるように、その言葉を止める。
近付いて来る彼の顔を見つめ続けているから、自然に彼女の瞳も少しずつ、伏せられていく。
息がかかるような距離まで顔が近付いたとき、なまえは口をぎゅぎゅっと一文字に結び息をのむように呼吸を止め、リヴァイはぴたりとその動きを止めた。
互いの唇がただわずかに触れていないだけの距離だということが分かり、なまえは自分の少しの動きさえ許されないと、息を止めたままでガチガチに硬直している。

「――――どう、おかしいんだよ」

少しの間の後、そう囁くように言った彼の吐息がじんわりと自分に伝わってきた。

「―――――――はぁ・・・っ・・・・・・!!!」

その吐息でなまえは全身が燃えるように熱くなり、反射的にその場にしゃがみ込むと止めていた息を思い切り解放し、真っ赤な顔を両手で覆った。

「ごっ・・・ごごめんなさい、リヴァイ兵士長・・・!あの、あそこのアロマポットで焚いてたオイル、ちょっと色っぽい系のオイルで・・・私、どうしても気まずくて・・・!!」

顔で手を覆ったままなまえは叫ぶようにしてリヴァイに謝った。
何しろ顔は本当に燃えるように熱いし、きっと紅葉した楓のように赤い。
リヴァイの顔を見ることなんてもう永遠に無理なんじゃないかと思うほど、彼に対していま自分のありとあらゆることが恥ずかしい。

「・・・なるほどな」

しゃがみ込むなまえを見下ろして、呆れたようにリヴァイが言った。
華奢な上半身を小さく丸めた彼女の姿が何ともいたたまれない。
リヴァイはため息をつくと、なまえの前にしゃがみ込んだ。
動悸が激しく、先程まで限界まで呼吸を止めていた息も荒い。あまりの恥ずかしさに、彼女は泣き出したい衝動にすら駆られた。

「おい」とリヴァイに声を掛けられ、顔を覆っている指に少しだけ隙間を作り、彼を見る。

「こんな密室でやましいこと考えてんじゃねぇよ、スケベ野郎」

そう言ったリヴァイが、しょうがねぇやつだな、と言うようにやさしく笑っているのが分かったので、なまえはますます顔を熱くして、やっぱり両手で顔を覆ったまま、「すみません」と消え入りそうな声で答えた。



 
back