分かってるのに




壁外から兵士たちが帰ってくると、まず看護兵から医務室への負傷兵士の引継ぎがある。
重傷者から最優先に彼らのリストと負傷兵士たちを一人ずつチェックして、順に治療を施していく。
医務室主体でこの治療を行うが、この時は看護兵と臨時手伝いの医師や看護士と一緒に、最低丸1日は目まぐるしく働かなくてはいけない。
もうどうあがいても手遅れの者も含む重傷者、手足が無くなった者、失明の危険がある者または既に失明してしまった者。骨折や巨人に噛み付かれた肉の抉れなどはまだ軽症の部類だ。
目の前の光景はひどく悲惨なものだけれど、彼らに同情する暇もなければ一緒にそれを悲しむ暇もない。
とにかく目の前の負傷者たちを少しでもマシな状態にできるように、一分一秒を争って処置していかなければいけない。
なまえは医務室と、そこからあふれた兵士たちの待つ外とを必死に行き来しながら時間の感覚も無くなるほど動き回った。

係わりの深かった兵士たちが死ぬことも当たり前に起これば、重傷になって帰ってくることも当たり前に起こる。
彼らの覚悟を知っていたし自分の職場はそういう過酷な運命を背負っている場所だということも分かっていたので、なまえもそれなりの覚悟を持って見送っていれば、迎えもしていた。

自分のマッサージが癒しだと喜んでくれていたベテラン兵士が腕だけになって帰ってきた。
お菓子を作ったから一緒に食べようと言っていつも小部屋に遊びに来ていた兵士の遺品だけが帰ってきた。
姉のように慕い憧れていた美しい兵士が一生消えぬ傷を顔に負って帰ってきた。
そんなことは毎回起こっているわけで。
ただの一個人として向き合うには余りにも耐え難い現実を、彼らが帰ってくるたびに受け止めなければいけない。

よく知る兵士であろうとなかろうと、今は目の前の負傷した兵士たちに何らかの思い入れを抱いてはいけない。
とりあえず今、最大限にできることを彼らにしてあげるのが自分の仕事なのだから。



兵士たちが壁外から帰ってきてから丸一日。
夜の帳が下り、なまえはようやく一息つける時間を得る余裕ができた。
とは言ってもまだ治療を続けている兵士たちが残っているので、本当に「一息」しかつけないのだけれど。

医務室の前の、いつも洗濯物を干している場所に出ると夜の空気が澄んでいて、思い切り深呼吸をしたくなった。
すう、と大きく息を吸い込み夜空を見上げる。
・・・何ときれいな星空だろう。
いつもと変わらない、雄大で、きれいな星空。
それでも、それを見られなくなってしまった人たちがたくさんいる。
今日、救ってあげられなかった人たちが大勢いる。
そして多分、まだ把握していないけれど、自分のよく知る何人かももう二度と話ができない状態で帰ってきているのかもしれない。

考えないようにしていたのだけれど、今日運び込まれた重傷の兵士の中に、ペトラたちと一緒によく小部屋でおしゃべりをしていた女性兵士がいた。
日常のことや、下らない噂話など。
そうそう、リヴァイと自分との噂が流れたときには彼女にずけずけと厳しい質問を浴びせられて、困ったっけ。
彼女が医務室に運ばれてきたときは、切れ切れではあるものの、意識が僅かにあった。
けれど、片腕と片足を失くし内臓の負傷も深刻であった彼女は処置を行ってももう助からないと医師が判断し、彼女への治療を断念して他の重傷者の兵士たちの治療を優先して行った。
結果、彼女は死んでいった。
もちろんなまえもそれを看取ってやれるような状況ではなかった。
彼女を知る者たちが彼女の命が尽きていくまでついていてくれていたのは不幸中の幸いだった。

まだある命を切り捨てなければいけない状況は、本当に辛い。
知り合いであってもなくてもだ。
けれどそれが必要な決断であることもよく分かっている。

元気に笑う彼女の顔が、きれいな星空に浮かぶ。
その顔にごめんなさいと語りかけるのがいいことなのかどうか、なまえには分からなかった。

何と自分は無力なのだろう。
彼らの役に立ちたいと看護士を志したけれど、結局は帰ってきた彼らに何か劇的な助けをしてやれているというわけではないという現実。
なくなった手足を生やしてやれるわけではない。
潰れた目を取り替えてやれるわけでもない。
手の施しようがなく切り捨てなければいけない命もある。
やっとの思いで壁内まで連れ帰ってきたのに、精一杯の処置をしても見送らなければいけない命もある。

過酷な運命に身を置く彼らに何かをしてやりたいという自分の強い気持ちと、現実に自分が彼らにしてやれる限られていることとのギャップに、今まで何となく気が付いていた。
初めて壁外から帰ってきた兵士たちを目の当たりにした時以来、こんなに辛く、弱気になったことはなかった。
考えればキリがないと、分かっていたからだった。

目の前に広がる圧倒的なその星空に襲われて、弱い自分が押しつぶされそうになる。

「あ・・・・・・」

考えて立ち止まらないように一日必死に働いていたというのに、今こうして思いを巡らせてしまったことで、抑えていた感情があふれてくる。
目が熱くなり、星が滲み、深い紺色の夜空には光の線がいっぱいになる。

(泣いちゃだめなのに)

そう、まだ全て終わっていない。
看護士であるくせに、何を自分はこんなところでクヨクヨと泣いているんだろう。

パキ、と枝を踏む小さな音がした。

驚き袖で涙を拭き、振り返る。

「・・・リヴァイ兵士長」

いってらっしゃいと話した時から全く変わらぬ様子のリヴァイがそこにいた。
なまえはもう一度彼から顔を反らし、彼に見えぬようごしごしと目を擦ってからもう一度彼を振り返った。

「・・・ペトラの様子を見に来た医務室の窓から、お前が辛気臭ぇツラでここに歩いて来たのを見たからな」

しまった、と彼女は思った。
壁外から帰ってきたばかりの兵士にだけは、決して自分の暗い顔を見せてはいけないと思っていたからだ。
なぜならば、彼らの方が辛い思いをしているに決まっているから。

「あ・・・ペトラさん、大した怪我じゃなくて良かったです」
「あぁ、アイツも一応女だからな・・・大した傷じゃなくて良かった」

彼女はリヴァイに向かい合ったものの、壁外から帰ったばかりの彼に何を話せばいいのか戸惑っていた。
「おかえりなさい」か?「おつかれさまでした」か?
成果と犠牲のどちらが多かったかも分からない。
軽はずみな言葉を投げかけて、彼の気分を害するわけにもいかない。

「・・・てめぇは看護士だろうが」
「え?は、はい」
「帰ってきた兵士と同じような辛気臭ぇツラしてんじゃねぇよ。そんなツラする前にてめぇの仕事をしろっていうんだ、てめぇの仕事を」

呆れた様子のリヴァイに図星をつかれて、なまえはドキリとした。

「・・・すみません、分かってるんですけど・・・」
「昼間も気を張ってか、ずっと追い詰められたような顔してたな」
「――――いま少しだけ休憩時間ができて、ちょっと気が緩んだら・・・こんな感じになっちゃいました」

彼女は無理やり笑顔を作って、恥ずかしそうに頭を掻くような仕草をした。

「見付かっちゃいましたか。で、でも、いつもは違うんですよ。分かってるんです。・・・今日はたまたま・・・ほんとダメですよね、まだ全部終わってないのに―――――――」

言い訳がましいなぁ、と自分でも思った。
笑おうと無理やり細めた目に、あっという間に涙が溜まる。
リヴァイはその鋭い瞳を揺らした。

「あ」

時既に遅し。
ボロボロと彼女の瞳からは涙が溢れ出た。

「ご、ごめんなさ――――――、!」

彼女の言葉はそのまま、リヴァイの肩に消えた。
リヴァイはなまえを引き寄せ、その細い肩を抱いていた。

しまった、と彼は思った。
彼女はそういう人間だった。
なまえが頼りなさげに見えるその外見とは裏腹に、自分の職務に対して強い意志と志を持っている強い女だということを分かっていたのに。

「・・・悪かった」
「い、いえ・・・」

リヴァイの体温が体に伝わってくる。
なまえは彼に抱かれていることに対して訳が分からず、ただ頭が混乱していた。
ひょっとしたら涙もびっくりして引っ込んだかもしれない。

自分の顔のすぐ隣にリヴァイの顔がある。
彼の横顔に、自分の頭がしっかりとくっついているのが分かる。
彼の言葉に何と答えたらいいのかもよく分からない。

「・・・泣きたいのなら、いま泣いておけ―――――職務中に、決して涙を見せないために。辛気臭ぇツラもだ」
「・・・・・・・・・・・・、」

その時、なまえは彼に対して、何かの感謝の気持ちを伝えたかったのだけれど、言葉にすることができなかった。
ここでは見せてはいけない弱い自分を、彼はいま受け止めてくれようとしている。
彼のあたたかい感情が、触れている体から染み込んでくるみたいだ。

「過酷な壁外から帰ってきたリヴァイさんに慰めてもらうなんて・・・ダメですねぇ・・・」

少し笑うようにした後、堰を切ったようになまえは顔を思い切り歪めて、彼の肩で声を上げて泣いた。
リヴァイは彼女の背中にそっと手をやると、彼女が泣き止むまでやさしく叩いていてやった。

――――早く戻らなければ。
たとえ自分にできることが限られていても、精一杯彼らにしてやれることをしなければ――――

彼女を受け止めるリヴァイの肩にすがりながら、なまえは心からそう思った。
もう彼女の気持ちは何ものかに押しつぶされたりしない。

夜空に光る無数の星たちは、彼らの頭上で、いつもと変わらず瞬いていた。



 
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