甘い香り




その日の朝、リヴァイは馬を走らせていた。
馬の散歩と、自分自身の気分転換の為に。

見渡す限りの野原は、雨上がりで、緑が濃く美しい。
リヴァイは上体を反らし馬を止めると、遠くに掛かる虹を眺めた。
朝の爽やかな風が吹きぬけ、とても気持ちがいい。

遠く、人影が見える。
背中に大きな籠を背負い、前にも大きなバスケットを抱え、ひょこひょこと歩いている女性。

(・・・なまえか)

本部からここまで歩くには30分以上かかるだろうか。
恐らく、ハーブでも採りに来たのだろう。
リヴァイは馬の腹を蹴ると、帰路に着いた。


なまえにカモミールティーを薦められて以来、眠りに「難のある」彼は毎晩それを口にしていた。
何かが劇的に変わるという訳ではなかったが、飲めばこれまでよりも寝つきが良く感じる為だった。
一日を終えて口にするその香りとあたたかさは、彼にとってのちょっとした癒しにもなっていた。
そろそろなまえに分けてもらったカモミールのドライハーブもまた少なくなってきた。
出先で彼女を見掛け、ふとそんなことを思い出していた。



「・・・いない?」

夕方、リヴァイはなまえにカモミールを所望するため、もしくは買える店を聞くため、医務室を訪れていた。

「ええ、そうなんです。朝ハーブを摘みに行くと言って出かけたんですがね。昼過ぎには戻ると言っていたのですが・・・遠くまで行ってるのかな」

医師は戻る予定の遅れているなまえを心配しているようだった。
医務室を出たリヴァイには、小さな予感が頭を過ぎった。
まさか、今朝野原にいた彼女にあの後何かが起こったのではないか?と。

リヴァイは馬を出し、今朝彼女を見かけた辺りへ向かっていた。
野原は調査兵団の敷地内だから、何か事件に巻き込まれた可能性は低いだろう。
彼は、なまえがどこかで迷っているか、何らかのアクシデントで立ち往生をしているのではないかと考えていた。
遠くまで聞こえるよう口笛を吹き、辺りと足元を見回しながらゆっくりと馬を走らせる。
もし今朝彼女を見かけた後に何かが起こっていたとしても、ここからそう遠くではないだろう。
何しろ、ここまででも歩いて30分程はかかる場所なのだから。

口笛を吹きながら野原を行ったりきたりして、20分程経っただろうか。
小さな女性の声が聞こえた気がして、リヴァイは馬を止めた。

「・・・・・・・・・」

確かに人の声だ。
耳に神経を集中して、そちらの方向へ馬をゆっくり歩かせる。

「すみませーん・・・」

なまえの声だ、と思った瞬間、リヴァイは気が抜けた気がした。
緊張感のない、何とも悠長な。

辺りは花が密集して咲いていて足元が見えにくいが、足場が少し悪くなっている。
彼は馬から降りると、ゆっくり、声のする方を探った。

「・・・何してる」

直径2mくらいだろうか。
高さは大体2.5m。
突然現れた大きな窪みの中に、なまえはいた。

「リ・・・リヴァイ兵士長!」

なまえは泥だらけの顔を輝かせた。

「あは・・・落ちちゃいました・・・」

落ちちゃいましたじゃねぇだろうが、とリヴァイは言うと、立体起動装置のアンカーを引き出し、窪みの中へ下ろした。
彼女が真っ先にそこへバスケットを引っ掛けたので、リヴァイは呆れて笑った。
大きなバスケットには、ハーブがいっぱいに入っているのだろう。
見たところ、彼女の背中の籠にもパンパンに何かが詰まっている白い袋が入れられている。
バスケットを引き上げ再びアンカーを入れると、なまえは少し緊張した面持ちでそれを握った。
リヴァイは全く楽な表情で、それを引き上げる。
少し斜面を滑りながらも、なまえはゆっくりと地上に引き上げられた。

「怪我はないか」
「はい、大丈夫です」

さすが看護士だな、とリヴァイは思った。
見たところ、彼女の腕も足もところどころ擦りむいて、血がにじんでいた。
何か骨を折るなどの大きな怪我はなければ大丈夫だと思っているのだろう。

「足を滑らせちゃって・・・必死で自分で上がろうとしたんですけど、土が濡れてるからか滑って上れなくて。日は暮れかかってくるし、どうしようかと思いました」

恥ずかしそうに笑うなまえに、普通ならパニックになっても仕方ないだろうに、とリヴァイは思った。
そして、意外に度胸が据わっているのだな、と。

「リヴァイ兵士長に見つけていただいて、本当に良かったです。土がもう少し乾いてきたら上れるかなって思ってたんですけど・・・」
「医務室に行ったらお前が戻ってないと言われた。朝この辺りでお前を見かけたんだ」
「そうだったんですか・・・ごめんなさい、ご迷惑をお掛けして」
「まぁ、いい。帰るぞ、馬に乗れ」

そう言うと、リヴァイはなまえの背負っていた籠を取ろうとした。
彼女は不思議そうな顔をしたが、彼は構わずそれを取る。

「貸せ。そうじゃなければどうやって馬に乗るんだ」

彼がそのまま籠を背負ったので、なまえは口を手で押さえ少し笑いを堪えるようにした。
あのリヴァイが籠を背負っている。
何というありえない光景。
ムッとしたのだろうか。リヴァイは、「早くしろ」となまえの尻を叩いた。

スカートを履いている彼女が恐る恐る鞍に横向きに座ると、リヴァイは大きなバスケットを彼女に手渡した。

「いいな?バスケットは持ち手を腕に通して、手はここを握るんだ」

なまえはぎこちなく、鞍の一番端に付いている突起を両手で握った。
横向きに乗っているので、体がちゃんと安定するのだろうかと思うと少し心細い。
そして、大きな籠を背負ったリヴァイも、その後ろへ颯爽と騎乗する。
彼が手綱を持つと、なまえは彼に後ろから抱きかかえられているような体勢になった。
馬に二人乗りするのだからそうなることは分かっていたのだけど、彼女は思わず赤面した。
リヴァイが馬の腹を蹴ると、馬はゆっくりと動き出した。
もう一度軽く馬の腹を蹴り早足になると、なまえは体をぐらつかせて小さく悲鳴を上げた。

「おい、もう少しこっちに寄れ」

耳元でリヴァイの声がしたので、なまえの心臓はドキリと音を立てた。

(か・・・顔・・・!近い・・・!)

そう、自分の顔のすぐ近くに彼の顔がある。
高くはないけれど鼻筋がすっと通った気高そうな鼻、神経質そうな細い眉、鋭く印象的なその瞳。
前に眠っている彼の顔をこっそり盗み見たことはあるけれど、上品な、小作りな彼の顔立ち。
暮れかかる淡いオレンジがかった光の中で、彼のきめ細かな肌が一層きれいに見える。
なまえの胸は、ドキドキとその鼓動を早めた。

「は、すみませ・・・」

もう待つのは面倒だったのだろう。
リヴァイは彼女の腰に腕を回すと、彼女の体をぐいっと引き寄せ、自分の体にぎゅっと密着させた。
背中に感じる彼の体の感触と間近に感じる彼の息遣いに、早鐘を打っていた心臓は逆に止まりそうになる。

「!」

「行くぞ」

リヴァイはスピードを上げる為、再び馬の腹を蹴った。
二人乗っているので、実際はそんなに速いスピードではないのだけれど、横乗りでバスケットを抱えるなまえにとってはそれがとても速く、怖く感じられた。
そして、密着している二人の体に緊張して――――――

(ああ・・・怖いし緊張するし・・・)

なまえは目をぎゅっと瞑った。

(・・・女の体だな)

ずっと身を硬くしているなまえを後ろから抱えながら、リヴァイは思った。
普段自分の周りにいる女性たちは、女性であってもやはり兵士なので体つきは筋肉質で、女らしいそれとはやはり少し外観も異なる。
やわらかくて華奢で、頼りなさげななまえの体。
潔癖症な彼が泥だらけの彼女を仕方なく馬に乗せてやったのだから、少しくらい味わわせてもらっても罰は当たらないだろうとリヴァイは思った。
目の前にある彼女のうなじからは、泥だらけのくせに、甘い香りがした。
そう、これはまるで――――――




15分ほどして本部に着くと、リヴァイは馬から降り真っ先に背負っていた大きな籠を降ろした。
そしてなまえの抱えていたバスケットを降ろしてやると、手を貸し彼女も馬から降ろしてやった。

「・・・お前、何を摘んできたんだ」
「え・・・」

なまえはとても気まずそうな顔をした。
一瞬の間を置いて、リヴァイは先に降ろした彼女の抱えていたバスケットの中身を開ける。
――――中には、いっぱいに白い花が。
そう、それは・・・

「・・・カモミールです」

いたずらがバレた子供のように、なまえは気まずそうに笑って答えた。
リヴァイは「やっぱりな」という返事のかわりに、大きなため息をついた。
まるでこれでは、自分も彼女の受けた災難の原因の1つのようではないか。
何故気付かなかったのだろう。そういえばこれは、足場の悪いあの一帯に咲いていた白い花と同じだ。
彼女の体から香っていたあの甘い、りんごのような香りは、たしかにこのカモミールのにおいだった。

「あは・・・この時期にたくさん採っておかないと、冬無くなっちゃうので・・・」

バツが悪そうに笑う彼女に、リヴァイは呆れた。

「それは、俺のためか」

いえ、となまえは大きく首を振った。

「全くそんなわけじゃありませんので・・・!どうかお気になさらないでください」

彼女はそう言うと、しゃがみこんでバスケットの蓋を開けた。

「お礼には足りませんけど・・・これ、良かったらお持ちください。フレッシュで淹れると、ドライより香りもいいしとっても瑞々しくておいしいお茶になりますよ」

量はこれくらいかな?となまえは花をいくつか掴んでリヴァイに見せた。
ドライハーブよりも必要量がかなり多い。

「・・・持って帰る袋がねぇよ」
「あ、良かったら持ってきましょうか?」
「いい。今度貰いに行く」
「じゃあじゃあ、1回分だけお持ちください。ねっ。」

片手いっぱいの花をリヴァイに渡すと、なまえは微笑んだ。

「・・・さっさと医務室に帰れ」
「・・・あっ!!そうですね!?」

そう、医務室では医師が彼女を心配して待っていることだろう。
なまえは慌てて籠を背負いバスケットを持ち上げると、リヴァイに深くお辞儀をして医務室へと駆けていった。
残されたリヴァイはひょこひょこ走る大きな籠を見送りながら、ジャケットに着いた泥を片手で振り払った。




夜、風呂に入る前に、リヴァイはいつもの習慣通り、お湯を沸かしカモミールティを淹れ始めた。
花を軽く水洗いし、ティーポットに入れる。
いつもはドライハーブなので、量が多く生花をティーポットに入れるのも不思議な感じだ。
お湯を注いで、4分くらい経っただろうか。
温めておいたカップへと、それを注いだ。
たしかになまえの言っていた通り、いつものドライハーブで淹れるよりも香りが余計に華やかに、瑞々しく感じられる。
口にすると、うっすらと自然な甘みを感じるやさしい味。
いつもより少し薄味だろうか。
リヴァイは口から少しカップを離すと、その香りを味わうように、ゆっくりと嗅いだ。
あたたかみのある黄色、ほのかなりんごのような香り。
そう、あの時なまえから香っていた、あの甘い香りと同じ―――――

リヴァイは小さく息をつくと、もう一度、カップに口を付けた。


 
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