茶の道は1日にしてならず6


ナナバさんに連れられて和室を出ると、私はもう一度閉められた障子を振り返った。
世間では彼はどうやらとても茶道の有名な流派の高名な家元らしいのだけど、何て自由なおじいちゃんなんだろう。
私はおちゃめなそのおじいさん―――ナナバさんやリヴァイさんにとっては、お父さん―――を、“おじさま”と呼ぶことにした。
おじさまは全くの健康体で、乾布摩擦を毎朝欠かさずしてるらしい。
それにしてもいたずら好きというおじさまの挨拶代わりらしい随分凝ったいたずらに、私は妙に感心してしまった。

「なまえちゃん、そろそろ生徒さんたちも帰られた頃だから、お稽古に使ってる茶室へエルヴィン兄さんに会いに行こうか」

歩いている姿が映りそうなくらいぴかぴかの長い廊下をナナバさんに連れられて再び歩き出した私は、このおうちでまだ出会っていない最後の1人である“エルヴィン兄さん”は、果たしてリヴァイさんタイプなのか、ナナバさんタイプなのか、おじさまタイプなのかをぐるぐると考えていた。
最初にリヴァイさんに出会ってしまったからこの家でお世話になることにかなり恐怖を感じていたけれど、ナナバさんとおじさまを見る限り、この家の人は皆リヴァイさんのような恐ろしい人ばかりではないようだ。
4人家族の、あと一人。エルヴィンさんという人は、一体どんな人なんだろう。

「ところでなまえちゃん、カール、好きなの?」

尋ねられた質問に、私ははっとして手に持っていたしっとりカールの入った袋を見た。
すっかり忘れていた、私の可哀想なカール。
彼はリヴァイさんに謎の液体をこれでもかという程にかけられて、私といっしょにしょんぼりとしていた。

「い、いえ・・・そんな特別好きってわけじゃないんですけどね・・・あの、話すと長いんです・・・」
「リヴァイにだめにされちゃってごめんね・・・後で一緒に買いに行こうか」
「えっ・・・!?」

何というおいしい展開、と私が目を輝かせると、ナナバさんは後で別の袋に入っていた服は洗濯しようねと言ってくれた。

「いえっ!!洗濯機を貸して頂けたら、自分でやりますので・・・!!」

できればそのことは、もう思い出したくなかったのに。
それに、自分で洗濯というものをしたことはないのだけれど、ナナバさんと一緒に私の服を洗濯してもらうだなんていうのは絶対に避けたい。
だって髪の毛とか食べカスとかいっぱい服についてると思うし・・・たぶんシミとかは(そんなには)ないと思うんだけど・・・。
まぁ、リヴァイさんに執拗にかけられた液体のおかげで、部屋でしわくちゃになっていたのがごまかせているのだけは幸いだった。
そればかりはリヴァイさんにグッジョブと強くサムアップを送りたい。

失礼しますとナナバさんが声を掛けてふすまを開けると、座っていてもとても背が高いと分かるその人は、私の顔がふすまの間から見えた瞬間、ゆっくりと微笑んだ。
引いたくじは当たりだ、と私は思った。(当たりは、ナナバさんタイプ。はずれは、リヴァイさんタイプ。)
ナナバさんと同じ、いかにも血統書付きのやわらかで優雅な微笑みだ。
この二人と同じ兄弟だというのに、リヴァイさんがこんな微笑みを浮かべている姿なんてとてもじゃないけど想像できない。
腹違いという彼のお母さんは、よっぽど鬼か閻魔さまみたいな人だったのだろうか。
リヴァイさんに死に際に「最期にお願い・・・笑顔を見せて・・・」とお願いしたってこんな微笑みを見せてくれることはないだろう。いや、できないだろう。
お願いしたのが私なら、最期に薄ら笑いでも浮かべられるのがいいところだ。
微笑みかけてくれたその人はナナバさんから「みょうじなまえちゃんだよ」と私を紹介されると、「エルヴィンです、よろしく」とにこやかに挨拶をしてくれた。
ナナバさんといい、このエルヴィンさんといい、どうしてこんなにも正座がカッコよく見えるんだろう。
たくましい身体にぴしっと着物を着て和室に佇んでいるエルヴィンさんの姿は、とても貫禄があって重みがある。

「君のお母さんからは家事やお茶を教えてほしいと頼まれているんだけど・・・」

はい・・・、と私は自信のない小さな声で答えた。
家事などまともにやったことはないし、お茶だってこんなすごいところに連れて来られてなんだけど、苦いらしいということしか知らないし全く興味もない。
ズボラな私はその使えなさと飲み込みの悪さで、こんなにも穏やかな顔をした人たちの顔をさっきのリヴァイさんのように鬼のような恐ろしい顔に変えてしまうんじゃないだろうか。

「うちは今、お世話になっているお手伝いさんがお休みでね。ナナバの家事を助けてやってほしいんだ。お茶は初心者ということだから、しばらくは私とリヴァイで基本的なことを教えて、それから稽古に来る生徒さんたちと一緒に稽古をしよう」
「!!!」

私と“リヴァイ”で、だって!?
リヴァイさんだって言われてみればこの家の人なんだから、お茶を嗜んでいたっておかしくはない。
でも、リヴァイさんがお茶をするところなんて全く想像できない。
しかもあの怖い怖いリヴァイさんにお茶を教えてもらうだなんて・・・バイ菌と言われてあのお茶を泡立てるやつで叩かれまくるんだろうか。
いや、あのお茶を泡立てるやつならそんなに痛くなさそうだ。
いやいや、そんな問題ではない。
とにかくそんな恐ろしい先生に教えてもらうのは遠慮したい。
・・・などと考え青ざめ絶句していた私に、さっきからその顔に微笑みをたたえたままのエルヴィンさんはお菓子を差し出した。
うすいピンクで、花の形をしていて、とてもかわいらしい。

「抹茶を飲んだことは・・・あるかな?」
「あ・・・ない、です」

とても気まずい気持ちになった。
抹茶を飲んだことすらないのにこの家にお世話になりに来ただなんて。

「せっかく茶室に来たんだから、一服どうだい」

にこりと笑うと、エルヴィンさんは小さな柄杓のようなものを手に取った。

「えっ!!わ、私、全然飲み方とか分かりません!!」

今度は別の意味で青ざめて、私は慌てふためいた。

「はは、ただ飲むだけでいいんだよ。お茶が美味しいって思ってもらえたら、なまえちゃんもお茶を習ってもいいかなって気になるだろう?」

「さ、お菓子を食べて」とナナバさんは私にお菓子を食べるよう促した。
わぁ。何という公開処刑だろう。
本当にいいんだろうかと私は二人の顔色を窺いながら、ぶるぶると震える手で楊枝のようなものを手に取ると、とりあえずお上品に見えるようお菓子を2つに割ってから、口に運んでみた。
・・・おいしい。上生菓子というやつだろうか。和菓子が別に好きというわけじゃない私がこんなに美味しいと思うくらいだから、きっとめちゃくちゃ高い有名なお店のお菓子なんだろうな。さすが有名な家元の家で出されるお菓子は違う。お母さんはお菓子を避けてお酒を用意して、本当に正解だった。
もう半分を口に入れて味わい感動している間にお茶を点ててくれたエルヴィンさんは、私の前にとても優雅な手つきで抹茶を差し出してくれた。
当たり前だけど、とても綺麗な抹茶色だ。表面は細かい泡に覆われて、ふわふわとしている。

「作法も何も考えずに、普通に飲めばいいよ」

にこりと微笑んでエルヴィンさんが掛けてくれた言葉に甘えて、私は器を手に取るとそのまま口に運んだ。
ごくり、と一口飲んでみる。

「!」

苦く、ない。
口にさっきのお菓子の甘さが残っているからだろうか。
むしろ、美味しい。しかも、とても。

ごくりごくりと喉を動かしてお茶を飲み干すと器を口から離し、「おいしいです!」と私は少し興奮した面持ちでエルヴィンさんに伝えた。

「それはよかった」

エルヴィンさんはその大きな瞳を少し細めた。

「今まで勝手に、苦手だと思ってました」
「なまえちゃんくらいの歳の子だと、みんなそんな感じかな。喜んでもらえたようで嬉しいよ」
「あの・・・、“結構な、お点前でした”・・・?」

畳に器を両手で置いて私の知りうる全ての茶道の知識を総動員して挨拶をしてみると、エルヴィンさんは「ありがとう」と血統書付きスマイルをしてから、とても綺麗なお辞儀をした。

「こんな家だけど、堅苦しく思わなくていいからね。何しろあんな親父だから・・・」

それは私を安心させる為の言葉だったのだろうけれど、先ほど出会ったおじさまを思い出すと妙に納得してしまった。
エルヴィンさんとナナバさんの優しい顔を見て、夏休みの間、このおうちになるべく迷惑を掛けないように頑張ろうと、私は思った。

「ところでなまえちゃん、そこに置いてあるカールは一体何だい」
「!」

ええとこれはですね、話すと長くなるんですよ・・・と私は顔を赤くして、エルヴィンさんに答えた。


back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -