「おはようございます、みょうじさん」

背の高い、優雅なスーツの着こなしの“いかにも”な紳士。
嫌味無く爽やかにニコ、と微笑む精悍な顔が、朝日に照らされた綺麗なブロンドと一緒にキラキラと輝きとても美しい。
その目映さはここがゴミ捨て場の前だということをすっかり忘れさせてしまう。
ゴミ袋を持ったまま、なまえはクラクラとした。

「いってらっしゃい、スミスさん…」

惚けた顔で何とかそう返事をする。
行ってきます、とスミスが応えたものだから、なまえはもうその場に倒れてもいいような気持ちになった。

なまえのマンションのちょうど下の部屋に住むエルヴィン・スミスは独身で、このマンションに住む奥様方のアイドルだ。
ウィークデーに彼が家を出る7時には、ゴミ捨て場に、出勤するスミスを一目見ようと何人もの奥様が集まってくる。
彼女たちと目が合う度、声を掛けられる度、「おはようございます」「行ってきます」とスミスが愛想良く挨拶をするものだから、タイミングが許せばマンションに住む奥様方は戦争の様に忙しい朝の僅かな時間を縫って、日頃の癒やしにと彼をこっそり見にやってくるのである。

そんなある土曜日、なまえに大きなアクシデントが起こった。
わざとではない、神に誓って決してわざとではないのだけれど、彼女の部屋のちょうど下の階のスミスのベランダに、落とした洗濯物が引っ掛かってしまったのだ。
物干し竿で取れないかと何度かチャレンジしたものの、全く取れる気配はない。
いっそ知らないフリをしようかとも思ったけれど、スミスに処分してもらうにしても自分の使い古した物を彼に触ってもらう事さえとても申し訳なく、恥ずかしく感じる。
半日考えすっかり日も暮れた頃、なまえはとうとうスミスの部屋を訪ねる事にした。
しかしながらこのマンションの住人でスミスに憧れる女性たちの間には平和を保つため『スミスさんに過ぎた接触は禁止』の不文律がある。
他聞に漏れずスミスに憧れる住人の1人として、やましさが全く無いのかと言われれば、そう言い切れる訳でもないのも確かで…。

「あっあの、みょうじです。夜分に申し訳ありません…」
「こんばんは。どうかされましたか?」

ドアを開けたスミスの姿に、なまえは思わず息を飲んだ。
けれどそれは色っぽい理由からではない。
目に入って来たスミスは、着古したらしいくたくたの生地の、逆にどこで売ってるのか聞きたくなるような、余りにもファンシーな動物らしきキャラクターがプリントされたパステルカラーの紫のスエットを身に纏っている。そしてそのスエットは、何でそれに合わせちゃったんだろう…というレベルの、これまた着古され褪せた、元はまばゆい程の発色だったのであろうエメラルドグリーンのスエットのパンツにインされている。まさか上のパステルカラーは色褪せた結果の紫色なのではとさえ思われてくる。そして作り物のように綺麗なブロンドは、今はバサバサとして何とも、、いや、はっきり言って総合的にものすごくダサい

「…も、申し訳ありません…実は――――」

次第にスミスの背後にある景色が見えてくる。
玄関から奥へ伸びる廊下には空だと思われる酒の缶やビンがずらりと並び、ゴミらしき袋や何故そこに落ちている…という紙くずなどがパラパラと散見された。
そしてその奥の部屋にはこれまでのスミスのイメージからは最も遠い、“こたつ”が鎮座している。しかもその机の上は色々な物で山盛りになっており、更に悪い事には何回もの食事の後放置されていると思われる大量の空容器などが含まれているのが、なまえには見えてしまった。

「どうかされましたか?」

スミスは朝見掛ける普段の高貴な笑みと全く同じ表情を浮かべ、時が止まってしまったなまえの様子を伺う。
この怯える程ダサい服、この恐ろしい程に汚い背景に信じられない程不釣り合いな、優雅な笑顔と声、、いやでもこの笑顔と穏やかな声はいつもの美しくカッコいいスミスさんそのものなのだ、となまえは考える。
そう、衣装と背景が絶望的にひどいだけで、そう、きっと80年代後半から90年代前半のビバリーヒルズのハイスクール物のドラマに出てくるような…いや、これだけイケてるフェイスなら何にだって出てくるかもしれないけれど、どうしたって今は80年代でも90年代でもない。

「――――あ、あ、あの、な、何でもないです、、し、失礼致しました……!」

なまえはもう自分が何を言っているのかよく分からなくなってきて、スミスは何かを話していたのだけれど、それにも構わずゆっくりとドアを閉めた。
スミスの部屋の前から立ち去り呼吸を整えようとするのだけれど、震えて呼吸が戻らない。
そう、素敵なスミスさんには近付いてはいけなかったのだ――――
なまえはそう譫言のように唱えながら、まだ震える指でエレベーターの上がるボタンを押した。

けれど女子とは本当に複雑な生き物で、翌週の月曜の朝、まぶしい程さわやかなスミスを見たらやはりあの土曜の夜、自分は夢を見たに違いないとまばゆい朝日に笑顔で語り掛けた(しかしその後例の洗濯物を取りに行こうとする事はなかった)。


おわり(落ちた洗濯物の行方やいかに)
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