初めて入るその部屋は、確かに豪華な造りでとても広い。
けれど、“自由のツバサ”という誰もが知る有名ホストクラブの幹部が暮らしているような部屋とは思えない程、置かれている物はシンプルだった。
彼が暮らすこの豪華なマンションの部屋自体は店から与えられているらしいのだけれど、そこに置かれているインテリアなどは必要最低限な物しか置かれていない。
この広くて豪華な造りの部屋にはアンバランスとも思えるくらいだった。
それがまた彼らしいと、なまえは小さく笑った。
高層階から見える夜景を堪能できるよう、リビングは壁一面が窓になっている。
脇に置いてあるパソコンの置かれた長細いデスクには、“経営学”とか“起業”とか“イノベーション”だとかの言葉が背に書かれた本が並べられ、積まれていた。
その一冊を手に取りパラパラとページをめくりながら貼られた付箋をなぞり、なまえは眼下に広がる眩しい夜景に目をやった。

だだっ広いリビングにぽつんと置かれた黒い角ばったソファに腰を下ろす。
肘置きにもたれかかり、なまえは先ほど手にした青い本にまた目を通し始めた。
デスクの上にあった本の中でも、一番読み込まれている形跡のあった本だ。
彼女も読んだことのある、有名なビジネス書でもある。
付箋が貼られたり、線が引いてあったり。
あの大きい体で背中を丸め、この本を真剣に読み込んでみるんだろうと想像してみると、何とも微笑ましい。
そこに小さく書き込まれている彼の字を眺め、愛しく感じた。

帰ってきたミケはリビングの光景を見て気が抜けたように肩を落とし鼻で笑うと、中央に置いているソファへと近づいていった。
青い本を胸元に抱いてすやすやと眠るなまえの傍らに膝をついてしゃがみ、彼女の頭を先ほどのように、彼の大きな手でそっと撫でた。
疲れきっているのか、なまえには目を覚ますような様子はない。
彼女の寝顔をしげしげと見つめながら、やがてその髪にキスを落とした。
穏やかで規則正しいその寝息に、ミケは耳を澄ます。
それだけで疲れた体が癒されていくような気がするから、不思議だ。
なまえがここにいるだけで、そして呼吸をする度に、この部屋に彼女の薫りが溶け込んでいく。
それがなるべく長く、この部屋に残ってくれればいい。
そう思いながら、ミケはなまえの唇に夜風を受けて冷えている自分の唇を重ねた。

「・・・随分お疲れだな」

瞼が僅かに動き、薄く目を開けて自分を見つめたなまえに、ミケは囁くように話しかけた。
なまえはまだぼーっとしたまま、彼を見つめている。

「お疲れなのは、あなたでしょ」

今何時、と言いながら、なまえは腕に巻いている、華奢でいかにも高価そうな腕時計を見た。

「感心しちゃった。勉強熱心ね」

なまえは上半身を起こしてすっきりと笑うと、胸に置いていた本をミケに差し出した。
ミケはため息をつくように笑い、それを受け取った。

「オレじゃ何度読んでもなかなか理解しきれない。教えてくれよ。仕事が命のなまえのことだ、読んだことあるんだろ」

彼の顔を眺めて、それまで彼女の纏っていた小さな棘のようなヴェールがふわりとはずされるようになまえは微笑むと、ミケの首へと腕を回した。
本を傍らにあるテーブルへ置くと、ミケは彼女の背中へ手を回した。
なまえは目を綴じて、愛しそうに彼の頬へ顔を寄せる。

「・・・お前の寝顔をしばらく見てた」
「そう」
「幸せだと、思った」

素敵ね、となまえは穏やかな声で答えた。

「お前の棘は、一体どこにいったんだ」
「生えてた方が、お好み?」

なまえは意地悪く笑う。
「まったくお前は」とつぶやくと、ミケは噛み締めるように微笑み返し、彼女を抱きしめる腕を強くした。

彼女は鍵を受け取ってくれた。
その時に彼女は、決めていたのだ。
自分としっかり向き合おうということを。
――――少なくとも、今夜だけでも。

ミケは少し体を離すと彼女を心から愛しそうに見つめ、今度はしっかりと自分を見つめる彼女の唇へと、キスをした。


おわり

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