ルージュにみとれて



パチン、と薄い金属の板が合わせはめられた音が、一切の物音のしない無人の部屋に陰気に響いた。
何重にも塗り重ねられた蜜色の扉の向こうからは、さっきまでの騒がしさとは少し違う、賑やかな声が聞こえてくる。
きっとゲストが到着し始めているのだろう。
本来彼らを迎える役割であるはずの私は一人ホスト側の控室でコンパクトミラーを開けては閉じ、ため息をつく。
もう何度繰り返しただろう。
手の中の小さな鏡に映る憂鬱な顔の自分に、不似合いな真っ赤な口紅。
すっかりしぼんだ情けない顔にとってくっつけたようなそれは、鏡に映る自分の姿を笑っているように見える。
今回の資金調達パーティ用にドレスを新調したところ、せっかくだからとテーラーから紹介された美容院でセットを頼むことにした。
メイクもサービスするからというのでお願いをしたら、断る間もなく最後の仕上げにと深紅のルージュを施されてしまった。
私はどうにも苦手なのだ。
真っ赤な口紅は。

真っ赤な口紅というのは私にとって色気あるオンナの象徴で、自分の顔に似合わなければキャラでもないことも知っている。
新しい口紅を買うときには毎回毎回飽きもせず代わり映えのしない沢山の色を試してはこれだという色を決めてきたけれど、深紅というのは候補に挙げたことすらない程、私にとっては縁遠い。
これまでずっと避け続けてきたというのに、自分の意思と反して塗られてしまった深紅の口紅は私の唇を真っ赤に燃やして、はっきりと私の顔から浮いている。
口紅は別の色がいいですと訴えた私に「今日のドレスには絶対に赤い口紅が似合うから」と美容師たちは聞く耳を持たず、そのまま私は呼んでいた馬車に押し込まれてしまった。
それでもまぁ同僚たちに見られる前に口紅を塗り直せばいいかと考えていた私は、揺れる馬車の中、バッグに手を入れて青ざめた。
口紅が、無い。
バッグをひっくり返して散々振っても、いつもの口紅は落ちてこない。
忘れた。
いつもと違うパーティ用のバッグだから、口紅を入れ替え忘れてしまったのだ。
真っ赤な口紅とは正反対に、私の顔は真っ青になった。
町外れにある、パーティ会場はもう近い。
これから町に引き返して店に買いに行くべきか。
口紅無しがいいのか、それともこの顔から浮いたルージュのままで同僚の見慣れた唇たちに笑われるのを待つか。
迷いながらも時間に追われ会場に辿り着くと、私は口元を隠したまま控室に逃げ込んだ。
同僚の兵士たちは皆ドレスアップした姿で忙しそうに動き回っているが、やがてここにきっと“誰か”は入ってくるだろう。
そのタイミングで慌ただしくしている友人を捕まえて、何とか口紅を借りなければいけない。
真っ赤でさえなければ、適当な色でいい。

懲りずに開けたコンパクトをまた閉じたタイミングでついに待ちわびた音が聞こえたので、私は期待に胸を弾ませ椅子からさっと立ち上がった。
けれど、開けられた扉から覗いた期待外れの顔に、口元を隠して再び腰掛ける。
私の望みとは違った、ドアを開けた不機嫌顔の男は細い眉の間に皺を寄せた。

「間抜けなツラを見ねぇと思えば、こんなところでサボってたのか。このクソ忙しい時に何してやがる。自分の立場を分かってんのか?」
「分かってるよ!ごめんてば。ただちょっと事情があって・・・そうだリヴァイ、そこら辺にいる女子、誰でもいいから呼んできてくれない?」
「なまえ、どうやらてめぇは言葉が分からねぇらしいな。今俺たちは忙しい。それも、クソが付く程にだ。サボってるお前に付き合える人員は一切無い。何の下らねぇ事情か知らねぇがてめぇもさっさと表に出て仕事をしろ」
「だってリヴァイ、私、!」

問答無用とリヴァイは口元を覆っていた私の腕を掴み強引に持ち上げて、座っていた私を無理矢理立たせる。
その時リヴァイの目に映った私の顔は、最高に間抜けな表情を浮かべていただろう。
――――ああ、最悪だ。
見られてしまった。
必死に隠そうとしていたものが、他人の目に触れてしまった!
一瞬の狼狽の後私は慌ててもう片方の手でまた口元を覆ったけれど、もう遅い。
この姿を見られてしまった。
しかも、リヴァイに。

「・・・何だ」

黙り込んだ私にリヴァイは眉間の皺を増やし、怪訝な表情を浮かべる。
じろじろと様子のおかしな私を見つめた後、彼は呆れ顔を浮かべた。

「なまえよ・・・まさかお前、てめぇの真っ赤な口が恥ずかしくて外に出られないだのとクソみてぇなことを言い出すんじゃねぇだろうな?」

今、私の顔はたぶん青い。
だからほら、また余計にこの真っ赤な唇が間抜けに映る。

「このクソ忙しい時にガキみてぇな駄々をこねてんじゃねぇ。てめぇの口が赤かろうが青かろうがそんなことはどうでもいい。さっさと行くぞ」

リヴァイは掴んでいた私の腕をぐいぐいと引っ張り、ドアへと進む。
私はというと、お願い許してなんて半泣きで叫びながらリヴァイに引っ張られるまま、ずるずると引きずられていく。
これでは本当にただの駄々をこねる子供のようだ。
無情にも開けられたドアに、私は必死にしがみついた。
外に見えた華やかな光景は私を更にひやっとさせた。
この際ドレスもセットももうどうでもいい。
この世の終わりとばかりに必死な形相でドアにしがみつく私に、リヴァイは大きく舌を打った。

「本当に面倒臭ぇ女だ」

“面倒臭い”私に観念したのか、リヴァイはゆっくりとドアを閉じていく。
悪魔と契約したんじゃないかと揶揄される程強い意思と力を持つリヴァイにも、きっと人の心があったのだ。

「――――そんなにそれが嫌なら、俺が取ってやる」

そう私がほっとしたのも束の間、次の瞬間には私の口はリヴァイの唇で塞がれていた。

「・・・・・・・・・!?!!?」

たぶんそれはびっくりする位、普通のキスだったと思うのだ。
リヴァイの薄い唇は怖い程やさしく動いて、私の真っ赤な唇にキスを重ねていく。
人間味が無いと思っていたリヴァイの唇は意外とやわらかくて、あたたかい。
二人の唇で重ねられていくそれはまるで、スローモーションみたいに感じられて。

「・・・どうだ、なまえ。これで少しはてめぇの真っ赤な唇も薄くなっただろう」

少し離されたリヴァイの唇とその周りには、鮮烈に紅い、絵に描いたようなキスマークがいくつもできていた。
さっきまで必死に隠していた私の唇の周りも、きっとリヴァイと同じようになっているだろう。

「バ・・・、バカ言わないで。口紅がぐちゃぐちゃになって、余計外に出られなくなったじゃん・・・」

何だかリヴァイを正視できない。
だって、真っ赤なキスマークをたくさんつけたリヴァイが、余りにも強烈に、色っぽく感じて。

「・・・ずるいよ、リヴァイ。私よりずっと、真っ赤な口紅が似合うんだもん―――――」

フン、と意地悪く笑ってから、リヴァイは「そうだろう」と囁くように言った。

「気が変わったぜ、なまえ。優しい俺が少しだけ、お前のサボりに付き合ってやる」

リヴァイの綺麗な手が伸びてきて、私の顎に触れる。
再びリヴァイの唇が重ねられたのを感じた時、ガチャリとドアの鍵が掛けられた音がした。

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