泥酔、後、爆睡。
私と話したこと、エルドは覚えてるんだろうか。
お父さんと二人がかりでエルドを家に運ぶと、何だかどっと疲れた。
体、酒臭くなってるんじゃないかな。
やだなぁ・・・。

「あの・・・なまえちゃん」

家に入ろうとした時、か細い声に名前を呼ばれて私は立ち止まった。
先に家に入った父親は立ち止まった私に気付かず、どんどん家の中に入っていった。

「・・・どう、したんですか?」

声の主が誰か、私にはすぐに分かった。
あの人だった。

「エルド・・・酔っ払ってるの?」
「・・・はい、今は爆睡してますけど。見てたんですね、今」

こく、と彼女は細い首を縦に動かした。

「明日の朝に、エルドはここを発つと思うんだけど・・・伝えてほしいことがあるの」

私の心臓は、ドキ、と動いた。
これは十中八九、エルドとこの人にとって、とても重要なことを伝えられるパターンだ。
綺麗な彼女の顔をしげしげと見つめ、私は無言で彼女の言葉を待った。
この人が、エルドの愛している人だ。
いつも側にいてやれないのに、それでも別れたくないと思ってしまうくらい、エルドが好きな人だ。

「“どんなことがあっても、私はちゃんと受け止められるから”・・・“それがあなたに教えてもらったこと”って・・・。・・・こんなお願いしちゃって、ごめんね」

切なく笑う顔がまた格別に綺麗。
私に笑いかけると、おやすみなさい、と彼女は言った。
おやすみなさい、と私も答える。
さらさらと揺れながら遠ざかる彼女の美しい髪を見つめながら、私はとても嫌な気持ちになった。

最後、本当は、“これが私の愛”って言いたかったんでしょ。
私の心の中にはどろどろしてどす黒い、どうしようもない感情が渦巻く。
こんな気持ちが自分の中にあることを知りたくなかった。
ましてや、エルドにフラれたその直後に。



次の日の朝早く、エルドを見送るんだと母親に叩き起こされて私は戸口に立った。
ちっとも眠れなかったから、目の疲労感が半端ない。
眩しい朝日に頭がズキズキ痛んだ。

「行ってらっしゃい、エルドくん。無事に帰ってきてね!」

母親はミーハーそのものにエルドを見送る。
エルドはありがとう、と言うと、重たい瞼を擦る私を手招きした。
ちょっとこっちに、とエルドの家の庭の方に呼び込まれる。
後ろめたさに心臓が止まりそうになった。
私は自分の心を見透かされて、“アレ”を“請求”されるんじゃないかと思ったからだ。
彼女に伝言を任されていることなんて、エルドは知ってるわけないのに―――――

「なまえ、お前に最後のキスをさせてくれ」
「・・・え?」
「昨日の話の続きだよ」

私の肩にそっと、エルドの大きな手が下りてくる。
咄嗟に彼から逸らしてしてしまった視線をもう一度上げてエルドを見上げる。
エルドは私が今まで一度も見たことの無い顔をしていた。

ちゅ、と軽い、でも、一生忘れることが無いと分かる、音がした。

額に触れたエルドの唇の感触も、私は一生忘れることはないだろう。

そしてぎゅっと、抱きしめられる。

そのどれもが“妹”にではなく、“一人の女性”にしているんだということが分かった。

「――――また会うまで、必ず元気で」

すっと体を離すとエルドはまたいつもの笑顔を浮かべて、私を見つめていた。

「・・・・・・うん、・・・エルドも、元気で・・・・・・」

頭には何度も彼女の顔がちらつく。
エルドの背中に彼女が絡みついているようにも見えた。
でも私は、言えなかった。
いや、言わなかった。
言いたくなかったのだ。
伝えたくなかったのだ。
彼女からエルドへの、最上の、愛の言葉なんて。



悲しい知らせは、すぐに私にも伝えられた。
母親は泣き崩れていた。
私は泣くことができずに、ついこの間エルドと並んで寝転んだベッドに、その時と同じように横になって、ただ、あの時のエルドの顔を思い出そうとしていた。

そして、あの人のことを考えていた。

私は伝えなかった。
あの人からエルドへの、愛の言葉を。
だからエルドはそれを知らずに、行ってしまった。
もう二度と会えない、もう二度と触れることのできない、遠い遠いところへ。

あの人ももちろん、もう知っているのだろう。
エルドがもう帰っては来ないことを。

3日後、あの人がエルドの家を訪れた。
青い顔をしていた。
多分ずっと悲しんで、それ以外、何もしていない。
そんな顔だった。

私はベッドに座り、窓辺に頬杖をついて、彼女が家の外に出るのを待っていた。
どんな話をしているのだろう、そんなことを考える余裕も無かった。
ただ、彼女に何て話せばいいのだろうと、そればかりを考えていた。
こんな時、相手に完全に軽蔑されるようなことをしておきながら、ちゃっかり保身を考えるから人間って不思議だ。
軽蔑されるようなことをした相手にも嫌われたくないのだろうか。自分可愛さだろうか。

「―――――あの」

家から出てきたあの人を見つけて、私は慌てて家を出た。
彼女は相変わらず綺麗だった。
そのこけた頬に悲壮感がこびりついていても、やっぱり綺麗だった。

「なまえちゃん・・・どうしたの?」

折れてしまいそうなか細い声で、彼女は私の名前を呼んだ。
振り返ったとき、彼女は倒れてしまうんじゃないかと私は思った。

「あの・・・私、あなたに伝えなきゃいけないことがあるんです」

美しいその瞳は、頼りなく揺れているのに、今から聞かされる何事かにもしっかり心構えができているような気がした。

「私、あなたから頼まれた伝言を、エルドに伝えていません」

私は彼女の目をまっすぐに見て、伝えた。
保身なんて気持ちは、彼女の目を見たら、消えていた。

「だからエルドは、あなたの言葉を聞かないままです。ごめんなさい。私、取り返しのつかないことを―――――」

そこまで言ったらぐっと喉元に何かがこみ上げてきて、私は何も言えなくなってしまった。
そしてそのままそれは嗚咽になって、涙が流れた。
気が付けば、ごめんなさい、ごめんなさいと、私はただ頭を下げて、繰り返していた。
彼女に伝えない方が、彼女は幸せだったはずだ。
きっと自分の愛の言葉を知ってエルドは死んでいったと思ったら、まだ、救われたはずだ。
私は自分可愛さに、秘密を隠し持っているのが苦しくて、耐えられなくて、彼女に白状したのだ。
彼女に非難された方が楽だと思ったのだ。

頭を下げ続けている私の頬に、ふわっと、冷たい手のひらが触れた。
私の頬を包んで、やさしく撫でる。
顔を上げると、彼女が微笑んでいた。

「なまえちゃん。私のせいであなたを苦しませて本当にごめんなさい。自分で伝えたら良かったの。なのに、勇気がなくて直接伝えられなかったのよ。あの人に拒絶されるのが、怖くて―――――」

そう言うと、彼女は私の額に彼女の額をこつんと当てた。
そして私をぎゅっと抱きしめる。
ふわりと、甘くて、やさしい香りがした。

「でも、」と私は幼い子どものようにしゃくり上げていた。

「大丈夫。だって私、大事なことをあなたに託そうと思った時点で、その言葉が彼に伝わらなくても、伝わっても、どちらでもいいって思っていたのよ。そうじゃなきゃ伝言なんて、しないわ」

彼女は泣きすぎて苦しい私の呼吸を戻そうと、ゆっくりと私の背中を上下に撫でた。

「それにね、なまえちゃん。考えてみたらね、私の気持ちなんて全部分かってくれてたの、あの人。だから言いたかったことなんて全部伝わってるの、あの人に。ただそれを上手く言葉にできなかっただけ。だって私にも、ちゃんと伝わってたもの―――――」

そう言うと、額をくっつけた先からきらきらと光る真珠のような涙が落ちていく。
美人から流れる涙は、それすらも綺麗なんだ。
私はただ泣いた。
彼女とただ、子どものように泣いた。
もう私はエルドに頭を撫でてもらうことはない。
彼女ももうエルドに抱きしめられることはない。
だから、お互いを抱きしめた。

「なまえちゃん。頑張って生きようね。もうこれから私たちに何が起こるのかなんて分からない。でも、精一杯生きていこうね。エルドをもう失わないように。私たちの中にいるエルドは、私たちが生きている限り、ちゃんとここにいるもの」

エルドが額にしてくれたキスは、本当に最後のキスになってしまった。
今も思い出せば、エルドの唇の感触をまざまざと思い出せる。
エルドがキスをしてくれたそこには今彼女が額を寄せて、私に想いを寄せてくれる。
そこから彼女の気持ちが流れ込んでくる。
同じように、エルドの気持ちも私に流れ込んできたような気がした。
そして、私の気持ちも同じように、彼女に流れ込み、伝わっているのだろう。

何故かは分からない。
私はまだ涙を止められないまま、彼女の美しい頬に、キスをした。



気 持 ち は 伝 わ る

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