「久しぶりだな、なまえ。ちょっと見ない間に随分大人びたなぁ。また背が伸びたか?」

いつものようにポン、と私の頭を軽く撫でると、エルドは笑った。
傍らにはいつもの綺麗な女の人がいる。
お人形さんみたいに可愛い顔に、見ただけで分かる、しっとりさらさらの長い髪。
背もスラッとして、手足も長い。
彼女はエルドの恋人だ。
二人並ぶと悔しい程に絵になる。
私は彼女に会釈してから、ムスッとした顔をエルドに向けた。

「やめてよね。いくつだと思ってんの」
「ハハッそうだな。お前ももう立派なレディか。こりゃ失敬」

笑って手を引っ込めたエルドは、じゃあなと言うと彼女を振り返り、私の隣の家―――彼の家の、ドアを開けた。

エルドはいわゆる、近所のお兄さん。
いわゆる、幼なじみ。
いわゆる、ずっとずっと好きだった、憧れの人――――



「エルドくんが帰ってきてるんだって?」

夕食の席、食事を終えた父親が私に話し掛けた。

「うん。さっき家の前で会ったよ」
「いつもの綺麗な彼女を連れてたわねぇ。エルドくんたらいつ結婚するつもりなのかしら」

そう言いながら、母親がいそいそと父親に食後の紅茶を差し出した。
見た目がどストライクとかで、母は私が生まれる前からのエルドファンだ。

「エルドくんが誰かに取られちゃうのは悲しいけど、美男美女ですごくお似合いじゃない。ねぇ」

母は私にも紅茶を差し出した。

「・・・知らないよ、そんなこと。私たちには関係ないじゃん」
「まぁ、そうだけどぉ。気になるじゃない」
「彼はあの精鋭揃いの調査兵団でも更にエリートだって話じゃないか。早く嫁さんでも貰って落ち着いたらいいのにな。・・・今の状況じゃそれどころじゃないのかもしれないが」

そうだね、と言うと、私はゴクゴクと紅茶を飲み干し、席を立った。
母親の下世話な話にうんざりしたし、私にとってそれは面白い話ではなかったから。

少し前にトロスト区の壁が破られ巨人が侵入した。
それによって私たちに直接何かが起こった訳ではなかったけれど、壁の中の平穏が破られた事で人々の顔にはどこか不安が漂うようになっていた。

「明日には発つんだって、言ってたわ」

背中の方から母親の声が聞こえた。
エルドが壁の外に行くのも近いのだろう。

部屋に戻り、ベッドに伏せる。
目を綴じると、エルドとのいろんな思い出が、すぐ目の前に蘇ってくる。
私の覚えている一番最初の記憶には、多分もうエルドがいる。
それから大きくなってエルドが訓練兵に志願してここを離れるまで、私は毎日エルドと一緒にいた。
7歳くらいまで、本当のお兄ちゃんだと思っていたくらいだ。
(本当のお兄ちゃんじゃないのよ、と聞かされた時、だから一緒の家に住んでないんだ、と気付いた。)
お兄ちゃん、お兄ちゃんと呼んでどこにでもついて行ったし、エルドは何をするにも私を気に掛けてくれた。
エルドは私を本当の妹みたいに可愛がってくれた。
溺愛、と言ってもいいくらいに。
どこに行くにも手を繋いで連れて行ってくれた。
何かがあって泣いていたら、どこにいてもすぐに見つけて飛んできてくれた。
刷り込みみたいなものなのだ、多分。
私は物心ついた時にはもう、エルドに恋をしていたのだと思う。

いろんな記憶を浮かべながら何となしにぼーっとしていると、声が聞こえてきた。
窓、開けっ放しだったんだった。
エルドと、あの綺麗な人の声だった。

「今日はいいわ、送らなくて」
「え?」
「・・・ねぇ、エルド。あなたの本当の気持ちを聞かせてほしいの。お願いよ」
「オレはいつだって本当の気持ちしか話してないよ」
「そうじゃないわ。分かるでしょ?私たちの、将来のこと・・・」

彼女を家まで送っていくところなのだろうか。
これはかなりヘビーな場面に遭遇してしまった。
窓を閉めなくちゃ。
―――でも―――・・・。

「オレはいい加減なことを言いたくないんだ。不確かな約束をして将来お前を苦しめるようなこともしたくない」
「それでもいいの。未来のことなんて、どうだっていいの。私はただ、あなたの気持ちが――――」
「この話はやめよう・・・落ち着けよ。またちゃんと話そう。な?」

――――あ、泣いた。
二人の姿を見てる訳じゃない。
でも私には分かった。
彼女の目に涙が溢れたのが。

「もう、いい。分かったわ・・・あなたを困らせて、ごめんなさい」

エルドは何も言わない。
消え入りそうな弱々しい足音が一人分だけ、静かに遠ざかっていく。
そのまま二人の声は聞こえなくなった。



「なまえ、いいかぁ?」
「?!!?」

考え事をしたままうとうとと眠ってしまっていた私はベッドから飛び起きた。
ノックの後聞こえて来たのが、エルドの声だったから。

「は?エ、エルド?!なん・・・」

慌てふためく間に容赦なく私の部屋のドアは開けられる。
さっきのエルドと彼女の会話を聞いてから2時間以上経っただろうか。
ドアの外からはとてもうるさい騒ぎ声が聞こえる。
よくこれで起きなかったなぁ。
開けられたドアから覗いたのは、エルドの真っ赤な顔だった。

「うっわ酒くさ・・・」
「んん?!誰がオヤジ臭いだと?!」

エルドはドアを力任せに閉めると、私の肩に手を回して思いきり絡んできた。

「いつの間にうちに来てたの?!」
「さっき〜。お袋さんと親父さんに飲みに来いって誘ってもらったんだよォ。近所の人も来てるぜ?寝てたらしいじゃん」

へべれけのエルドは締まりのない顔を私に近付ける。
その表情がまたオヤジ臭くて、その上めちゃくちゃ酒臭くて、本当に参ったね。
至近距離であからさまに嫌な顔をすると、エルドは私の肩から腕を抜き、ベッドに横から倒れ込んだ。

「あぁ〜・・・極楽。こんな風に死にてぇな・・・」

リラックスして目を綴じたエルドの顔は、思いきり締まりがない。
・・・あの綺麗な人は、エルドがこんな姿でも好きなんだろうな。

「あのさぁ!ここ、私の部屋なんだけど!女の子の部屋だよ?何勝手に人のベッドで寝てるの!」
「悪い悪い、なまえももう立派な女だったな・・・」

ヘラヘラ笑うその顔は、全くそう思っていないことが丸分かりな程緊張感がない。
慌ててるのは私だけか。
そう思ったら怒ってるのが何とも馬鹿らしくなって、私はエルドに並ぶようにして、ベッドに横になった。
間抜けなエルドの顔をじっと見つめる。
エルドも同じように私を見つめると、私をギュッと抱きしめた。

「!!!!」
「あああ〜〜、本当に可愛いなぁ、なまえは。もうあんまり大きくなるなよ」

エルドは酔っ払うといつもこうだ。
妙に絡んで私を抱きしめたり、可愛い可愛いとほっぺにキスしたり。

私は最高に泣きたくなった。
そう、エルドにとって私はいつまでも、近所のちびっこなのだ。

「・・・さっき、聞いたよ」
「え?」
「エルドと彼女の会話」

もっとバツの悪そうな顔をするかと思ったのに、エルドの顔は穏やかなままだった。
だから私はもっとエルドに意地悪をしたくなる。

「あの人が可哀想」

それなのにエルドは、穏やかに笑った。

「そうだな。オレは悪い恋人だな」

何故だろう。
私はその言葉に無性に腹が立った。

「何で追いかけなかったの」
「追いかけたって同じだ」

エルドのただ穏やかな瞳の色は全く変わらない。

至近距離でじっと彼を見つめる私から目を離すこともしない。

「お前にまで心配掛けてごめんな」

そっとエルドの手が私の頭に触れる。
そこで私の糸が、ぷつんと切れた。

「!」

思いきりエルドの手を叩いたら、さすがに彼も驚いた顔をした。

「私はもう子どもじゃないって言ってるじゃん!何でいつもそーやって頭撫でるの・・・私は・・・私だって、エルドのこと、ずっと好きだったのに!」

その時エルドは、目をまん丸くした。
一番見たくなかった反応だった。
しまった、とか、やばい、って顔じゃなくて、意外、って顔。

「・・・エルドは私のことずっと、妹としか見てなかったんでしょ。だから私もエルドのこと、お兄ちゃんとしか思ってないと思ってたんでしょ。でも、違うもん。私はずっとずっと好きだった、エルドのこと。だから、お兄ちゃんて呼ばなくなった」

――――あぁ、バカみたい。
子どもじゃないとか言いながら、台詞は丸っきり子どもじゃん。
私はいつの間にか泣いていた。
自分がとことん子どもで、情けなくなる。
さっきと同じように、エルドは泣いてる私をただじっと見つめていた。

「なまえ・・・ごめんな」

何が、ごめんなの、と私は途切れ途切れに答える。
エルドは、気付かなかった、と言った。

「オレは、お前が可愛くて可愛くて仕方なくて・・・それがお前を傷付けてたんだな」

そっとエルドは私の頭を撫でる。
まるで駄々っ子をあやすように。

「子ども扱いは、やめてって、言った、じゃん」

しゃくり上げて、私は上手に言葉を話せない。
この期に及んでまだそんなことをするの。
ひどいよ。

「ここに戻ってくると、いつも幸せな気持ちになる。なまえの顔、家族の顔、近所の人たち、それからあいつの顔――――その顔を見る為に、オレは壁の外に行くんだって思う」

その時私はエルドが何を言いたいのか分からなくて、小さく首を傾げた。
エルドはそんな私に、小さく微笑む。

「大切なんだ、本当に。ただ、オレはいつも側にいてやることはできないから」
「・・・・・・・・・」
「だからなまえは、いつも側にいてなまえを守ってくれる人を見つけてほしい」

目の前にあるエルドの瞳は、やさしく細められる。
振られたんだ、正式に。
胸は抉られるように痛くて、切なくて、何故か少しだけ、甘い。

「・・・何を言ってんのか、よく分かんないよ。エルド・・・」
「そうだな。まだ分からないかもしれない。でもそのうち分かるようになる」
「あの人は・・・分かったの」
「・・・分かってるよ。でもオレが悪い恋人だから、ダメなんだ」

やっぱりエルドの言うことはよく分からない。
ただエルドは私の目から流れる涙をそっと手で拭うと、にこりと微笑んだ。
小さい頃に泣いていた私にそうしてくれた時と、全く同じように。



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