兵長と守銭奴/3




彼女の部屋の見晴らしのいい窓から外を眺めると、ちょうど緑色の布にくるまれた兵士たちの遺体を載せた荷馬車が通っていくところだった。
馬を引いて歩いていく兵士たちの表情はどれも皆暗い。
兵士たちがこうして壁外調査から帰ってくると、調査兵団本部は数日、一層空気が重苦しくなる。
壁外に行けばこうして死者が出るのは当たり前のことであるし、それが彼らの仕事であると思っていたので彼女がこちらに赴任して数ヶ月、特にそれを気に留めたこともなかった。
せいぜい感じるのは、彼らが帰ってきたことによってこれから仕事が忙しくなるということくらいだった。
けれど今回は確かになまえにも、調査兵団本部の空気は重たくなったように感じられた。





カチ、と小さく音がした気がして、なまえは一瞬話を止めた。
目の前の経理担当者は、不思議そうな顔をしている。

「すみません。話を続けましょう」

彼女は彼らの目の前に広げた書類を指差すと、この数字とこの数字も、と示した。

「矛盾しています。ありえません。きちんと確認をなさった上でこの書類を提出されたんでしょうか?経理が中央に出すような大切な書類でこんな簡単なミスを犯すようでは困ります」

調査兵団本部の事務室のミーティングテーブルで、なまえは3人の経理責任者とその補佐を相手に提出された書類についての確認を行っていた。
簡単に目を通しただけで分かる数字のミスがいくつかあったので、彼女は次々とそれを指摘した。
彼女には調査兵団が壁外調査から帰ってこれば、じきに彼らが提出してくる報告書を元に予算が適正であったかを検証するという大きな仕事が待っている。
それまでに経理と財務の仕事を片付けておく必要があったので、間違いのある書類を出されればそれを見つけるだけでも大変な時間のロスな訳で。
厳しく彼らにそれを指摘したのも無理はない。
彼らは申し訳ありません、となまえに頭を下げると、書類を見ながら冷や汗を垂らした。
彼女が指摘した数字が間違っているのならば、早急に全ての数字を見直す必要があったからだ。

「どうぞよろしくお願いします。修正した書類をなるべく早く拝見したいのですが」
「そ・・・そうですね、3日もあれば・・・」
「・・・2日。できれば、明後日のお昼までにお願いします。今回も1週間程お待ちしていましたので。数字の整理さえできていれば、あとは計算して訂正していくだけで済むはずです」

なまえの前に並ぶ彼女よりも年が上であろう経理担当者たちは、諦めたように「分かりました」と返事をした。

「では、失礼します」

事務室を出ると、なまえは大きくため息をついた。
仕事の予定がズレてしまった。
財務関係の仕事はもう殆ど片付いている。
明後日に彼らの経理関係の書類が再提出されれば、細かな確認作業と検証を含め数日はかかるだろう。
壁外調査の報告書が上がってくるまでに、もう一度見直しをしたい案件もあったというのに―――――
何しろ中央政府の財務官としてこの調査兵団本部に派遣されているのはなまえただ一人。
仕事は有り余る程あり、1ヶ月に1度弱のペースで壁外調査に行かれては休む暇もない。
壁外調査の予算案を検討し、中央へ提出。彼らが壁外に行っている間に経理や財務関係のチェック。そうしている間に壁外調査から兵士たちが帰ってくると、今度は予算案が妥当なものであったかの検証が始まる。そして、次の予算案へ――――
これからの仕事量を思うと、ますます彼女は気が滅入った。

自分が事務室へ持参した参考資料の束を片手に、なまえは失望を隠せない顔で回廊を歩いていた。
前方から見慣れた顔がこちらに向かってくるので、少し身構える。
周囲からは彼女とは犬猿の仲と専らの噂の、リヴァイだった。
なまえは一瞬、彼に何と声を掛けようかと思案した。
壁外調査から帰った直後でなければ、彼とすれ違う時に自分から声を掛けようと思うことすらないだろう。

「・・・お疲れ様でした」
「ああ・・・」

すれ違った時、なまえは少しだけ視線を彼にやったが、リヴァイは彼女をチラリとも見ずに歩いていった。
他にすれ違う兵士たちは明らかに絶望の色を顔に宿しているような者たちが多かったが、リヴァイはいつもとはそんなに変わらないように見えた。
自分は調査兵団本部にいるとはいえ壁外には直接関係のない仕事をしているし、彼らの仕事そのものに関しては全く自分と関係のないことだ。
彼女は目の前に見える、それ以上のことは考えなかった。
だってそれは、彼女にとっては必要のないことだったから。





経理の書類の提出が遅れた関係で、なまえは財務関係の仕事を前倒しして全て先に片付けておくことにした。
自分の為に与えられている財務官室で一人、とっくに誰もが帰ったであろう、辺りが真っ暗になった時間まで残業をしていた。
目がしょぼしょぼしてきたこととある程度のキリがいいところまで作業を進められたので、なまえはそろそろ帰ろうかと書類を整理し始める。

(・・・あれ?)

何気なく首元に手をやると、いつもの感触がない。

「うそ!」

独り言をあまり言わない彼女だが、思わず声が出た。
ない。
ないのだ。
いつも彼女が首元にしている、大切なネックレスが。

彼女は青ざめながらあたふたと周りを見回し、灯りを手に部屋中の床に這いつくばってどこかに落ちていないだろうかと探し回る。
今日に限ってわざわざ事務室までミーティングに行っているので、この部屋になければ探さなければいけない範囲は広がってしまう。
その時、彼女の頭にあの瞬間が蘇った。

カチ、と音が聞こえた気がした、あのミーティング中のあの瞬間。

(あの時ネックレスが落ちたんじゃ・・・)

自分が思い当たるのはあの時しかない。
事務室に行くしかない、となまえは思った。

この時間に事務室に行くというのには勇気がいった。
そもそも調査兵団の事務室はこんな時間まで残業をするような職場ではないからで、この時間に事務室を訪れるというのは勝手にそこに入ることを意味しているからだった。
幸いドアに鍵はかかっていない。
重要書類が入っているような棚や引き出しにはもちろん鍵がかかって見られないようになっているのだろうが、そもそも調査兵団に属している訳ではない部外者の自分が勝手にその事務室に立ち入るというのは気が引ける。
自分はここではあまり快く思われる存在ではないことも分かっていたから、見付かってしまった場合それに上手く対処できる自信もない。
彼女は灯りを手に、周りに人目がないことを確かめてから恐る恐るドアを開け、中へ入る。

ミーティングテーブルの周りをぐるぐると歩き回り、椅子を引き、床を確認する。
床に這いつくばり何度も見てみるが、それらしきものは見当たらない。

(どうしよう・・・)

その時、ギィ、と事務室のドアが開かれる音がしたので、なまえは反射的に近くにあった事務机の下に灯りを隠し、その影に身を潜めた。
部外者で財務官である自分が事務室をうろついていれば、調査兵団本部の事務室で一体何をしようとしていたのかと問題になる可能性も十分にある。
ミーティングテーブルは事務室のドアから少し死角になった、左奥にある。
外からなまえの持つ灯りを見て、誰かが様子を見に来たのだろうか。

カツ、カツとゆっくりと足音が近付いて来る。
なまえは冷や汗をにじませながら、何と言い訳をしたら信じてもらえるかを必死に考えていた。
足音が近付くたびに空気がひやりとしてくるように感じ、心拍数は上がり、顔には冷や汗がにじんでくる。
間近で足音が止まったので、なまえはとうとう見付かった、と観念したように目をぎゅっと閉じた。

「・・・そのまま壁を向いて立て」

迫力のある低い声に、なまえは手を挙げ震える足で恐る恐る立ち上がる。

「―――すみません。怪しい者では――――っ!!?!」

その瞬間、なまえは恐怖で心臓も息すらも止まったかのような衝撃を感じた。
近付いてきた何者かにガバッと後ろから羽交い絞めにされ、口を手で塞がれたからだ。
悲鳴を上げて助けを呼ぼうにも、恐ろしさの余り声が出なければ抵抗するための身動きもできない。
むしろ、自分が助けを呼ぼうがどうにもならないのかもしれないが。
だって自分が不審者だと思われるようなことをしていたのだから。

「・・・バカ、オレだ」

「!!?!?!?」

その瞬間、なまえを羽交い絞めにしていた人物は彼女をパッと解放した。
目を白黒させたまま振り返ると、机の下に隠した灯りでぼんやりと彼の顔が浮かび上がる。

「リ・・・リヴァイ、兵士長・・・!!!」
「何してんだ、クソ守銭奴が。こんな時間に事務室に忍び込んでまでウチの粗探しとは趣味が悪ぃな」
「あ、あ、あ、なた、ね・・・!!」

なまえは大きく肩で呼吸をしているが、まだ心拍数が治まらない。
うまく息ができなくて、切れ切れにしか言葉を話せない。
自分の瞳にうつるリヴァイが大きく上下している程に、緊張が解けない。

「さっさと帰れよ、何時だと思ってる」
「・・・あなた、こそ・・・」

なまえは心臓を沈めるように、胸に手を当て大きく深呼吸を繰り返した。

「これから帰るところだ。お前にさっさと出せと言われてる書類があるから仕方なく、壁外から帰ってきたばかりなのにこんな時間まで仕事をしてたんだろうが」
「――――いえ、・・・ゆっくりでも、構いませんけど。・・・尤も、あなた方の予定通りの計画で、調査が終わっているのならば・・・ですけどね。それなら、・・・検証に時間も、かかりませんから。」
「・・・相変わらずのクソ守銭奴だ」

彼女らしいズケズケとした物言いも苦しそうに切れ切れで、いつも程の厭味がない。
まだ心拍数は元通りではないが、呼吸が整ってきた。

「てめぇの憎たらしい顔も、壁外から帰ってくると懐かしく感じるもんだな」
「そんなに長い間出られていた訳でもないでしょう」
「そうだな、お前にとってはな・・・ああ、そういえばお前のおかげで今回いいことがあった」
「?」
「お前の憎たらしい顔のおかげで巨人共のアホ面が愛想良く見えたぜ」
「・・・・・・それは、どうも」

なまえは呆れた風に目を細め、肩を落とした。

「あなたは全くお変わりないようで何よりです。個人的には年相応にもう少し大人らしく、紳士らしく変わっていただけるといいのですけれど」

リヴァイはフッと鼻で笑うと「そうだ、お前も全く変わらない」と言った。

「当たり前でしょう、私はいつも通りここにいただけですから。何の変わりもありません」
「壁外調査にオレたちが行こうが、兵士がどれだけ死んで帰ってこようが、お前には全く関係のないことだからな」

彼の台詞になまえはギクリとした。
今までそれが普通だと思っていた自分のその考え方に対して、少しの罪悪感を覚えさせられたような気がして。

「・・・すみません」
「――――いや、お前はそれでいい」
「・・・え?」
「どこもかしこも四六時中辛気臭ぇツラ見せられたらたまったもんじゃねぇ」
「・・・・・・」
「だから、お前はそれでいい」

彼の真っ直ぐ自分を見る目に、なまえの静まった心臓はドキリと音を立てた。


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