兵長と守銭奴/12


― get under my skin ―


健康の為、なまえがいつも朝の食卓へ並べる事にしている野菜か果物は、今日は用意ができなかった。
苦くなってしまった紅茶でパンを力無く流し込む。

(・・・良かった、目、腫れてない)

鏡で身だしなみを整え終わった時ちょうど半刻の鐘が鳴ったのは、予定通りだ。
その鐘は、エルヴィンにも伝えた彼女が出勤する合図でもある。
鞄を手にすると、彼女は部屋を出た。
エントランスでいつもの守衛に挨拶をして通りに出れば、朝の冷たい空気が心地良い。
視界には入らないけれど、今朝も調査兵団の兵士が護衛をしてくれているのだろう。
スウ、と息を吸い込むと、なまえは歩き出した。



執務室に入り、彼女は日課通りにまず窓を開け空気を入れ替える。
外の景色を見て、あと何回この景色を眺める事になるのだろうとふと思った。
直に、次の赴任者がここへ来て引き継ぎが始まる。
それまでには資料の作成や整理をしておかなければならない。
残された時間はある様で、全く無い。
今の彼女の気分としてはここを去る日が早く来てほしいと思った。

デスクに向かい数日後に迫る壁外調査の為の申請済の書類を整理していた時、ふと、リヴァイから出されていたそれが気になった。
束ごとに日付と、リヴァイのサインがされた小さなメモが1枚目に付けられていた。
考えてみればこれまではそんなメモが添付されていた事は無かったのに、と。
良く見れば、裏に薄く透ける文字がある。
ひっくり返して見てみれば、「20時頃」と書いてあった。

(・・・・・・)

じっとそれを見つめているうち、もしかして、と他の書類も見てみる。
するとやはり、同じ様に1枚目に小さなメモがある。
裏返してみると、次は「× 悪い」と書いてあった。
慌てて取り出した他の書類にも。

(これって、ひょっとしてその日来れるかどうかを連絡して――――)

その時、ドアがゆっくりとノックされた。

「なまえ?エルヴィンだ。少しいいかな」
「!、、はい、どうぞお入りください」

何か後ろめたい物でも見ていたかの様に、なまえは慌ててリヴァイの書類の束をひっくり返し机に伏せる。
急いで椅子から立ち上がった瞬間、何かが足に当たった。
視線を足元にやれば、蹴り出してしまったらしい小さな紙袋がデスク下からはみ出している。
半ば無意識にしゃがみ込み、紙袋の中を覗けば――――そこには小さな黒い缶と、今見たばかりのメモたちと同じ物が入っていた。
表には昨日の日付とサイン、裏返すと「21時頃 これはお前にやる」と書いてある。
缶を取り出し見てみれば、すぐにその光景を思い出した。・・・あれは休日になまえの部屋でお茶をしていた時だろうか。
本当に紅茶が好きなんですね、とふとなまえが口にした事から、リヴァイが一番気に入っているという紅茶の話をし始めた。

『まぁ、なかなか手には入らねぇが・・・美味い紅茶がある。黒い缶に入ったヤツで――――』

「――――なまえ?」

エルヴィンに名前を呼ばれなまえはハッとして我に返り、すみません、と言いながら急ぎ立ち上がった――――はずだったのだが。
ゴス、と鈍く大きな音がしたのみで、彼女の頭がデスクの下から覗く事はなかった。

「・・・・・・!!!」

彼女の目の前に火花がバチバチと散った様だった。
大きな音だったので彼も驚いただろう。
あまりの痛みでその場へうずくまるなまえに、エルヴィンが慌てて駆け寄る。

「大丈夫かなまえ?!」

声を掛けられしばらくしてからようやく上げたその顔に、エルヴィンはぎょっとして言葉を失った。
彼女はボロボロと大粒の涙を流しながら、何故か、笑っていた。
見た事もないような、彼女のあどけない笑顔だった。
それは普段の彼女からすれば考えられないくらい、無防備で。

「はは・・・すみません。本当に私、バカですよね、、何してるんだろう・・・」
「・・・・・・・・・」

エルヴィンがただ彼女を見つめていたしばらくの間の後、なまえの瞳からはまた大きく涙がこぼれ落ちた。
驚き涙で溢れる目を、見開いたので。

「!」

彼女の濡れた唇には、エルヴィンの唇がやさしく重ねられていた。
なまえは何が起こっているのか分からない様子で硬直している。
やがて唇をゆっくりと離したその青い瞳は柔らかく細められていたが、どうしてか、ほろ苦い色を帯びている様に感じられた。

「――――ごめん。あまり君が、可愛く笑うから」

エルヴィンは彼女の涙をその大きな指でそっと拭った。

「・・・君は、そんな風に無邪気に笑うんだな」

微笑むエルヴィンに、一体どうしたらいいか分からない様子でなまえはただ彼を見つめている。

「なまえ、私は――――君をもっと、知りたかった」

その金色に縁取られた瞼を少し伏せた後、しっかりと彼女の瞳を見つめ、彼は続けた。

「通知が来たよ。君が来月にも中央へ異動になると。おめでとうと言わなくてはいけないが、寂しくなるな」

そしてエルヴィンは、徐に彼女を抱き寄せた。

「・・・君の抱え切れない程の不安や苦しみから、私が本当の意味で救ってあげられたらいいのに」

エルヴィンの大きな腕に包まれて、らしくなく、なまえはまた少し泣きそうになる。
そう、いまの彼女は、余りにも色んな、しかもこれまで経験した様なことの無いものに引っ張られ過ぎている。
何もかも、どうすればいいのか分からないし、それを自分で制御することもできない。
けれど彼女はすぐに唇をかたく結び、それを堪えた。

「――――すみません、エルヴィン団長。みっともないところをお見せして・・・少しびっくりしただけで、、もう大丈夫です」

彼女に促され身体をすぐ離すと、エルヴィンはやっぱり少し苦い笑みを浮かべたまま、言った。

「なまえ。君は君の矜持として、常に感情は制御すべきものだと考えているだろう。だけど、君の苦手な制御できない程の感情こそが、本当の君の心なんじゃないかと私は思う。そしてそれは決してみっともない事ではない。自分を苦しめる程抗う必要も無い。抱えきれない程の不安なら不安なんだと言えばいいし、否定したくても自分を騙せない程の気持ちなら、それを認めて前を向いた方がずっといい。・・・君も分かってるんだろ?」

エルヴィンの言葉はなまえの何もかもを見透かしている様で、彼女はやっぱり何と応えればいいのか分からない。
彼はもう一度、ふっと、笑う。

「君がここを離れるに当たって、そして我々が壁外にいる間についていくつか話をしに来たが、まずは君を医務室に連れて行かなくては」

そう言ってエルヴィンは立ち上がり、彼女へその手を差し出した。


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