兵長と守銭奴/12


― get under my skin ―


(結局眠れなかった、、)

調査兵団本部の図書室は外れにあり、お世辞にも需要有りとは言えないような利用状況であるらしいのだが、意外と立派だ。
丁寧に塗られたのであろう漆黒の背の高い本棚に、びっしりと書物が並ぶ。
日は既に落ちて、ぽつぽつと配置される明かりがぼんやり重たくそれを浮かび上がらせている。
石造の部屋に充満する本の匂いと、人も疎らでこの気難しい老人のような雰囲気が、なまえは嫌いではなかった。
寝不足であるらしい彼女は血色の悪い瞼の下を重そうにして、ゆっくりとした足取りでうず高い棚の間を進んでいく。
昨夜、訳あって寝たフリをしていたところリヴァイに思わぬやさしいキスをされて戸惑っていたけれど、その後彼はどうやらシャワーを浴び、そのままリビングで眠り、明け方に本部へ戻ったらしい。
なまえはというと、不安が過ぎる頭と彼がその後彼女のベッドまで来るのではないかという変な緊張感で結局よく眠れなかった。
彼女がリヴァイとの奇妙な同居生活にストレスを感じない理由の一つに、これまた意外な事に“行為”をさほど求められないことがある。
毎日もしそんなことになったらどうしようと不安にも思っていたなまえからすると、これまでやや強引に築かれてきた二人の関係の事を考えてみてもそれは“意外”であったし“拍子抜け”の様にも感じられた。

(――――いや、そんな、昨日「してほしかった」とかじゃなくて!)

決してそうではないはずの言葉が頭を過りなまえははっとして、頭をぶんぶんと激しく左右に振った。

(そんなことを考えている場合じゃないのに、、)

自分に呆れたように大きくため息を吐く。
昨日のエルヴィンとの会話を反芻した。



――――なまえ。私は君を信頼して話そう。

椅子に深く掛けていた背中をゆっくりと前傾させ、エルヴィンはその大きな青い目を真っ直ぐなまえへ向けた。

「単刀直入に理由を言えば、我々が壁外の情報を意図的に上へ伝えていないのは、中央を不審に思う事があるからだ。君の言う通り、政府には憲兵と連動して我々調査兵団の壁外での動向を執拗に探ろうとする動きがある。それはまるで、壁外調査が上手くいくのを、巨人の生態を深く知るのを、快く思っていないかのように」
「・・・それは、何故ですか」
「分からない。だから意図的に核心的な情報を報告しない事もするようになった。勿論、全てではないよ。・・・なまえ、君は何故それに気付いた?」
「・・・あなたを信頼して話します、エルヴィン団長」

エルヴィンと同じ言葉を使ってから、なまえはこの“不穏”の始まりを打ち明ける事にした。

「――――半年程前執務室にある本を開いた時、複数枚の書類が挟まれているのを見つけました。それは巨人の生態と壁外での戦略的陣形、それから・・・不正経理の証拠と思われる書類です。前任のホフマンさんのメモも一緒に挟まれていました。そこには自分が不正経理に結果的に加担してしまったこと、そして、もし自分に何かあれば当該書類の調査兵団に保管されている書面と中央へ提出された報告書を照らし合わせれば何が起こっているのか分かるだろうことが暗に書かれていました」

彼女はそのメモにも資料にも何度も目を通し、資料については自分が確認できる範囲で調査兵団に残されている資料と幾度も慎重に照らし合わせ、彼らの反旗を感じ取った事も伝えた。

「・・・ホフマンさんは、今?」

エルヴィンはこの状況で前任者の安否をすぐに案じたのだろう。

「連絡を取ることができていません。・・・実は先日ミットラスへ行った際、彼の家を訪ねました。隣家に住む親戚の方に伺ったところ、ご夫婦共にしばらく姿が見えないようなんです。その方が憲兵に相談をしたら、調査の結果2人は旅行に出ているらしいと言われたそうで・・・留守中その方が郵便物を管理されている様なのですが、私が彼へ2回出した手紙は届いていないと言われました」

なまえの返答に、彼の顔はほんの少し強ばったように感じられた。

「君が出した手紙には、何と」
「貴方の残されたメモについて話が聞きたい、と書きました。詳細は勿論書いていません。2通目は・・・連絡が取れないままでしたが一度お宅へお伺いしていいかと」

ゆっくりとした動作で顎に手をやるとエルヴィンは少し考え込み、再びなまえを見つめた。

「君の周りで何か変わった事は起こっていないか?」

なまえは一瞬目を見開いた後、ずっと感じているもやもやとした不安と、リヴァイの顔が浮かび、何とも言えぬ表情を浮かべた。

「いえ、今のところは特にありません」
「・・・そうか。これは私の推測だが――――君も感じている通り、ホフマンさんは“旅行”ではなく“失踪”だと思う。しかも、それにはホフマンさんの自宅へ現れた“憲兵”は必ず何かを掴んでいる。恐らく君の存在も、何かしらその“憲兵”は気にしていることだろう。そしてその“憲兵”は我々の知っている憲兵とは系統が異なる気がする」

こく、と彼女が唾を飲み込む音が妙に乾いている。
彼女は同じ様な推測に至ったからこそエルヴィンに相談することにしたのだが、実際に彼も同じ推測になった事を受け止めるのはなかなかに恐怖を伴うものだった。

「いずれにせよ、軍部が出てきているとしたら君の安全が心配だ。不穏な動きがある中、多少でも君の名前を“憲兵”が把握しているというのなら」

その日からエルヴィンはなまえの通勤に目立たぬよう護衛を付けることと、家の周りを警戒することを決めた。
しばらく二人で話し込んだものの、現状はこれ以上この件にこちらから踏み込むことは得策とは考えられないということしか、結論を出すことができなかった。



(そろそろここへ私の異動の通達が届いていてもいいはずだけど・・・)

なまえの中央への異動は既に来月に迫っている。
中央に戻れば彼女の不安が解消されるのか、それとも、彼女の不安を把握してくれている調査兵団から離れることがよりそれを増大させることになるのか、それすらよく分からない。
考えてみれば自分がネガティブに考えているだけで、本当は状況をもっと楽観視したっていいのかもしれない。
けれど、今はそれすら掴めなくて――――

「リヴァイ兵長、お願いです」

突然聞こえた女性の声に、なまえははっとした。
ここは高い本棚に囲まれた図書室の上、更に奥まった場所で日も落ちているので、視界は悪い。
しかし、確かにリヴァイの名を呼んだ“誰か”がすぐそこにいるのだろう。

「一晩だけでいいんです。私を、、私をどうか、兵長の恋人にしてほしいんです」

お願いです、と女性の声が続いた。

「ニナ、落ち着け」

それは確かになまえのよく知るリヴァイの声だった。

「・・・私じゃダメですか?お願いです。一度だけでいいんです。そしたら今度の壁外調査にだって、悔いなく行くことができます。だから――――」
「お前は壁外に行くのが初めてって訳でもねぇだろ・・・不安になるのは分かるがその時々の衝動で動いていいって訳じゃねぇ」
「よく考えてのことです。こんなお願い・・・そうじゃなきゃできません。ずっとずっと、兵長を好きでした。兵長に憧れて調査兵団に入って、それからますます兵長のことを尊敬して、好きになって・・・」

女性の声は震えていた。泣いているのだろう。
ここを立ち去らなければと思うのに、なまえはそこから動くことができなかった。

「お願いです、兵長。そしたら次の壁外調査で私は死んだっていいんです!後悔したくないんです!だから――――」
「・・・ニナ。そりゃ俺も同じだ・・・大切な部下であり仲間であるお前をそんな風に扱いたくはない。お前の気持ちは嬉しいが、俺を後悔させるようなことをさせないでくれ」
「兵長、、、」

すすり泣く女性の声が聞こえる。
二回、靴音が立てられた後、その泣き声は更に大きくなった。
もしかして、リヴァイがニナと呼ばれたその女性を抱きしめてやっているのだろうか。
二人の姿は見えないはずなのに、なまえの脳裏には何故かリアルにその光景が浮かぶ。
そして胸はずしりと重く、言い様の無く、ズキズキ鈍く痛んだ。

どれくらいの時間が経ったのだろう。
しばらくして二つの靴音が遠ざかり聞こえなくなって少ししてから、なまえはようやくそこを後にした。
声の近さからもきっと、あの時彼女があの場を後にしていれば彼らに必ず靴音は聞こえていただろうし、彼らがいた場所によってはそれがなまえであることさえ分かってしまっていたかもしれない。
けれどそれよりも、あの時、彼女の足は鉛の様に重くとてもそこから動ける気がしなかった。

(・・・胸が詰まるみたいな、息苦しい、、この気持ちは何だろう)

――――そう、あの時の彼の“ニナ”への言葉はまるで、なまえは彼にとって大切な存在ではないからお前とはこんな関係になったのだ、と言われたような気がして。

(・・・“大切”?――――今まで彼に大切にされたいと望んだことも、彼の大切な存在になりたいと願ったこともないのに)

不意に、昨夜のリヴァイのやさしいキスが思い出されて、彼女の胸は更に鈍く痛む。
足取りはまだ重く感じるものの、やや早く、なまえは執務室へと歩みを進めていた。



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