兵長と守銭奴/11


到着した港は行き交う人と物で活気に溢れている。
なまえはタラップを降りると、ローゼとは異なるミットラスの賑やかな風景を見渡しいつも通りここへ帰ってきたことを確認した。

「じゃあ、また」

歯並びの良い白い歯をちらりと覗かせて、いつも通り、いかにも爽やかにエルヴィンはなまえに会釈をした。
彼女も穏やかに会釈を返す。
エルヴィンが背を向けると、側に控えていたリヴァイはなまえに向かって口をパクパクと開いた。

『来、い、よ』

“分かってしまう自分が悲しい”――――船の中で告げられた、今夜彼の泊まる宿に来るよう念押しされているのだろうと、なまえはすぐに理解して、しまった。

『行きません!!!!』

口は開けずとも、リヴァイにはしっかり伝わっただろう。
彼女は信じられない、という風に目を激しく見開き眉根を思い切り寄せ、エルヴィンには決して見せぬ険しい形相をリヴァイに押し付けるようにして返した。
彼はそれをしげしげと見つめるとエルヴィンに倣って歩き出したのだが、なまえは余計に腹が立った。自分の返事を正しく受け取ったはずの彼の目の奥が、少し笑ったように見えたので。




彼女を王都まで呼び出した高官は、彼専用の広い執務室の大きな椅子にどっかりと収まっている。
調査兵団とその壁外調査についての報告書類をパラパラとめくるのもそこそこに、彼はデスクにそれを置くと「おめでとう」と言った。
一瞬何のことだか分からず固まるなまえを見て、高官は笑った。

「今度こそ素直に嬉しそうな顔を見せてもらおう、みょうじくん」
「――――では、」

なまえははっとして、やっと彼が何を言わんとしているのかを察知する。

「そう、君に決まったよ。今日はそれを伝えたくてこの中途半端な時期にわざわざ出向いてもらったんだ」

前回まさにこの部屋に来た時、良いポストが空くのでなまえを推薦しておいたと告げた彼は、とても上機嫌なようだった。

「後任はすぐに決めよう。良かったな、君。これであのむさ苦しい僻地から解放されるじゃないか」
「ありがとうございます・・・、光栄です」

そうだろう、と彼は満足気に応えた。

「もう少し物足らない反応だが、まあいいだろう。来月にはあちらにも正式に通達が行き、君の後任も決まる。再来月には異動になるから、円滑な引き継ぎの為準備を始めておくように。但し、まだ周りには悟られぬよう」
「かしこまりました、滞りなく進めます。ありがとうございます」

感謝してくれたまえよ、君。高官はそう言って、声を上げて笑った。




「おめでとう」

高官の部屋を出たところでふいに掛けられた声に、なまえは足を止めた。
よく知る、亜麻色の髪の、端正な顔をした上官が、にこやかに手を差し出していた。

「ルー審議官、ありがとうございます・・・ご存知だったんですね」
「そりゃまだ内密な話だけど、僕より上の立場の人たちは知ってるんじゃないかな」

握手した手を離すと、ルートヴィヒは小さく笑った。

「不思議な顔をしているね、なまえ」
「え?」
「ひょっとして調査兵団を去るのが寂しい?」

一瞬きょとんとした後、なまえは驚いた顔をして、そんな訳ないじゃないですか!と答える。彼女にしては少し、ムキになって。
ルートヴィヒはそうかな、といたずらっぽく笑った。

「そういえば、この間君が言ってた調査兵団付きの前任のホフマンさんの件だけど。どうやらこちらも連絡が取れないらしい。書面を送っても応答が無いみたいでーーーーまぁ、定年で退官したところだから旅行にでも行かれているのかもしれないけど」
「そうですか・・・分かりました。ありがとうございます」
「これから引き継ぎや引っ越しで大変だね。力になれることがあれば遠慮なく言ってほしい」
「ありがとうございます。ご期待に沿えられるよう努めます」

君ならできるよ、とルートヴィヒは言って、彼女の腕を優しく叩いた。




官舎を出た後、なまえはメモを片手にホフマンの自宅へ向かっていた。
彼は調査兵団付きの彼女の前任の財務官で、それを最後に定年で退官している。
同じ財務官ではあるものの引き継ぎの1週間程をローゼで一緒に過ごすまでは、お互い関わりがなかった。
なまえは少しの胸騒ぎを感じながらホフマンの家に向かっていた。
彼が残したらしい“違和感”を確かめる為3週間程前に彼へ送った手紙には、未だ返信が無い。
先程のルートヴィヒの話だと、職場としても彼と連絡が取れないのだという。
数ヶ月前、どうやら彼が執務室に残したらしい数枚の不審な資料をなまえが見つけて以来、彼女の胸には小さな不審と不安が生まれていた。

ホフマンの自宅は住宅街にある立派な一軒家で、今は妻と2人暮らしという話だった。
大きな塀がある、二階建てのしっかりとした家だ。
外から見たところ特に変わりはないように見える。
門を開けるのが憚られてしばらくそこに立っていると、ホフマンと同じくらいの年齢に思われる女性に声を掛けられた。

「あなた、知り合い?ホフマン夫妻ならしばらく留守にしているの」

訝しげな表情に、なまえは慌てて背筋を伸ばし、言葉を探す。

「あ、こ、こんにちは・・・。私はご主人の元の職場の同僚で、、ホフマンさんはご旅行か何かでしょうか・・・仕事の事で連絡を取らせて頂きたくて」

女性はなまえの下から上までじろじろと見渡した後、そうね、と首を捻った。

「私はホフマンの妹よ。隣に住んでるんだけど、1ヶ月ちょっと前から急に姿を見なくなって。怖くなって憲兵にも相談をしたわ。そしたら2人の行方を調べてくれて・・・旅行に出掛けたんだそうよ。いつもなら私たちに挨拶をしてから出掛けるのに、浮かれてたのかしら。困っちゃうわ。」
「そうですか・・・私は少し前にお手紙をお送りしたんですけど、お返事が無かったので心配になりこちらに伺いました」
「手紙?」
「ええ」

女性は不思議そうな顔をした。

「あなた、何てお名前?」

何故?と疑問を感じながらも、なまえは答えた。
その時にはもう、少し“それ”を感じ始めていた。

「なまえ・みょうじと申します」
「・・・届いてないと思うわ。だって私、留守中に頼むって昔から兄のおうちのポストの鍵を預かっているの。兄夫婦が旅行に出掛けてからは、親戚からの手紙しか届いていないはずだわ」

なまえの足元からゆっくりと、ぞわぞわとした寒気が纏わり付いていく。

――――何かがおかしい。
恐らくこの目の前のご婦人も何かの違和感を感じながらもなまえに対応をしているのだろう。

ここ数ヶ月で少しずつ大きくなっていた不審と不安が不穏な重さで彼女にのしかかり、目の前で話す女性の声は、次第に遠くなっていく。
――――自分は何かまずいことに首を突っ込もうとしているのではないのだろうか。
手にしていたメモはいつの間にか彼女の手から足元へ、こぼれ落ちていた。




日が変わる少し前、まどろっこしく叩かれたドアの音に、リヴァイは勿体ぶるようゆっくりと立ち上がった。ノックの主には、想像が付いていたので。

「遅かったじゃね・・・」

嫌味を伝えるよりも先に、ふわりと、よく知る香りとアルコールの匂いが彼を包む。
開いたドアの隙間からするりと入り込んだ彼女は、リヴァイの言葉を遮り彼にしなだれかかるようにして、抱きついた。
なまえはしっかりとリヴァイの背中に腕を回し、彼を抱きしめている。
彼は少し目を見開き意外な状況を把握した後、彼女を受け止めるようにその背に腕を回した。

「・・・お前に出会ってから1番驚かされたな」
「・・・ダメですか?」

その返事は舌足らずで、甘い。

「らしくねぇな。随分飲んでるようだが」
「・・・酔いたい気分だったんです・・・珍しく」

何かがおかしいとリヴァイは小さく息を吐くと、彼女の肩を掴み身体を離してなまえの顔を見る。
その表情に、一瞬彼は固まった。
殊更人に頼るということが不得手に見える彼女が初めて見せる、何かにすがりつきたいと訴えるような、そんな表情だった。

「・・・何があった」
「・・・ここへ来いと言ったのは、あなたじゃないですか・・・」
「・・・ああ。だが――――」

リヴァイの真っ直ぐ自分を見据える瞳に、いつも通り、なまえの心は揺れる。

「・・・仕事で・・・、仕事で、不安な事があったんです。・・・今日はどうしても、一人でいたくないんです」

財務官の仕事がこんなにも彼女を不安にできるものか、リヴァイは不自然に感じる。――――それでも。

「お願いです、リヴァイ兵士長。・・・一緒に、いてください」

普通ではない、何かに駆り立てられているような彼女の表情を、リヴァイは何とも捉えきれない。
諦めのまばたきを1つした後、彼はなまえの背中へ腕を回した。

「・・・何があったかは知らねぇが・・・それでいいんだな?」

ゆっくりと伝わってくるリヴァイの体温を、なまえはもっとほしいと感じる。
彼の腕の中で、なまえは「はい」と答えた。



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