次長と守銭奴/掠れた声


良くも悪くもなまえは個人的な事で何があろうと職務上の態度が変わる質ではない。
だから周りの誰にも分からなかったものの、人事異動の掲示が掲げられたその日まで、なまえは仕事の充実感とこれからの希望いっぱいにこれまでになくうきうきとした気分で毎日を過ごしていた。
理由は、先月半ばに上司のルートヴィヒから告げられた内示だった。
社を挙げて立ち上げる新事業の経営企画メンバーに選ばれたのだ。しかも、役付きで。

毎日就業時間1時間以上前に出勤する彼女がその日初めて彼女と部下のエレン2人の事務室を出て廊下を歩いたのは、10時頃だった。
何となく気恥ずかしくて人事異動が掲示されている場所から少し距離を取り歩いていると、なまえはすれ違った女子社員の会話をはっきりと聞いてしまった。



「リヴァイ次長、ニューヨークに転勤なんてさびしくなるよね」





きらびやかな夜景をはめた大きな窓枠を背景に、2つだけデスクが並んでいる。
今は1人だけが座るその事務室には、タイプ音がカタカタと床を這うようにひたすら続く。
はたとその行進が途切れた時、なまえは瞼が目に貼り付くような感覚に、目を綴じしばらく眉間に皺を寄せていた。
やがて目を開けぼんやり視界に浮かんだ時計に目をやれば、針は23時を指している。
急ぎの案件の段取りもできた事だし今日はそろそろ帰ろう、と力なく息をついた。

「・・・随分ショボくれたツラをしてやがる。クソ守銭奴の事だ、出世に浮かれて張り切って馬鹿みてぇに残業してると思ったが」

不意に投げられた雑言になまえがはっと戸口を見れば、いつの間にかそこにはリヴァイが立っていた。

「・・・入室される時はノックをしてくださいと何度もお願いしてきたはずですが」
「フン・・・相変わらず可愛げのねぇ女だ」

台詞とは裏腹にリヴァイは部屋の中へと歩みを進め、とっくに退社したエレンの椅子へどっかりと座った。

「・・・出世はあなたの方でしょう。ご栄転、おめでとうございます」
「何が出世だ。俺はお前と違って役職は何も変わりゃしねぇ・・・遠くの支社へ飛ばされるだけのことだ」
「ニューヨークへの異動はそういうことだと誰でも分かっていることです」

さぁ、どうだろうなとリヴァイは応えた。
この会社ではニューヨーク支社の彼が所属する部署への異動は将来の幹部になることにお墨付きを得たのと同じことだと、誰もが知っている。

「少なくとも、俺の決めることじゃねぇ」

淡々と話すリヴァイの言葉はどれも謙遜でも嫌味でもないことが明らかで、いかにも彼らしいとなまえは思う。普通の社員ならきっと舞い上がってしまうだろうに、と。

「・・・期間は決められているんですか?」
「聞いてねぇな。少なくとも3年は向こうだとは聞いているが」

そうですか、と応えると、なまえはキーボードに向かって無意識に、小さく息を吐いた。
しん、と空気が静められる。

「さびしくなるな」

がらんとした部屋へぽつりとこぼされたリヴァイの言葉に、なまえは目を見開き顔を上げた。

「憎たらしいクソ守銭奴の顔でも、しばらく見れなきゃ恋しくなるかもな」

キーボードから彼の顔に視線を移せば、リヴァイはいつものしたり顔で意地悪く笑っていた。

「ハァ、、せいせいするの間違いでしょう」

一瞬でもドキッとしてしまった自分が情けない。なまえは今度は大きくため息を吐いた。

「守銭奴よ、お前も俺に会えなくなるのはさびしいだろ?」
「いえ、スッキリして精神衛生上ありがたいです」

きっぱりいつもの調子で応えたなまえに、リヴァイは冷たい女だ、と鼻で笑う。
少しの間を置いた後、リヴァイは無言でなまえの眼をしっかりと見据えた。
眼を捕らえられた彼女の心臓は、また性懲りもなく、重たく音を打つ。
気まずいなら視線を外せばいいのに、彼の眼は何故かそうした時、絡めたなまえの視線を逃がさない力を持っている。

「・・・何、ですか」

それは恐らくほんの少しの間であったはずなのに、なまえは耐えることができず声を上げた。
さっきとはうってかわった真剣な表情で、リヴァイはなまえを見つめたまま、ゆっくりと口を開く。

「・・・なまえ」

言葉の出ないなまえは、返事の代わりに、こく、と喉を鳴らした。
喉は、何故かひどく渇いている気がした。


「俺と一緒に来てくれよ・・・ニューヨークへ」


何とか唇を開けたものの、彼女の掠れた声は、答えにはならなかった。


続く
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