兵長と守銭奴/10


『何だ、てっきり君はもっと嬉しそうな顔をすると思ったが』

内地からの帰り、ウォール・シーナからローゼへと下りゆく船窓の景色を眺めながら、なまえは上官との会話を反芻していた。

『とても光栄ですし、嬉しいです。ただ、まだ決まった訳ではないので―――』
『ハハ、それは君らしい言葉だ。朗報が届くよう祈ろう』

月に一度の内地勤務の折、ルートヴィヒより更に上の上官に呼び出されなまえが聞かされたのは、良いポストが空くので君を推薦しておいた、という話だった。

実際、上官の言葉は当たっていた。
話を聞かされた時、願ってもないことなのに何故手放しで喜べなかったのだろう。
なまえにもよく分からなかった。
ただ、調査兵団付きの任期はあと1年程残されていた事と、当然、もしその推薦が通れば、なまえは任期を残しすぐにも内地へ戻らなければならなくなる事だけは、確かだった。

窓の外の景色がゆっくりと彼女を通り過ぎていく。
水面にちかちかと反射する日の光が、ふいにリヴァイと2人でミットラスへ行った日のことを思い起こさせた。
晴れた空は眩しかったあの春の日よりも、少し褪せた青色に感じられた。






夕方日の傾くウォール・ローゼの港に着いたなまえが向かったのは、自宅ではなく、調査兵団本部だった。
鍵を開け視界に入った執務室の風景は、彼女にとってはすっかり落ち着くものになっていた。

「内地から戻って来られた日くらい、そのまま帰宅されたら良かったのに・・・」

自室に荷物を置いてから向かった事務室で事務長から掛けられた言葉は、そういったことに疎いなまえにも善意とそうでないものが半々であるように感じられた。
なまえが彼らの部屋に何の意図で来たかを分かっていたからだろう。

「不在中はご迷惑をお掛けしました。昨日までの期日でお願いしていた書類は揃っていますか?」

今回彼女は壁外調査から兵士たちが帰還するのと入れ違いに内地へ赴いていた。
はい・・・と答えつつ顔色が曇ったままの事務長の表情で、なまえは何となくその回答が分かった気がした。
手渡されたいくつかの書類の束のタイトルを確認していく。
なまえは大きくため息をついた。

「リヴァイ兵士長に出して頂く分が足りないようですね」
「はぁ、その通りで・・・しかしですね、」

しかし、何ですか。呆れた様子でなまえが答えると、彼は困った様子で、「先程帰られたかと・・・」と申し訳無さそうに言った。

「・・・それは本当ですか?」
「ええ・・・今回の壁外調査で怪我をされたそうで、、お医者様のところへでも行かれたのかもしれません」
「お医者様?こちらには医務室があるのにですか?」
「あっ、いえ・・・専門の治療でしたらその可能性があるかもしれないと――――」

彼女のその言葉は決して詰問するような意図ではなかったものの、冷や汗をかいているらしい彼が何だか気の毒になってきたのでなまえはそれ以上の追及を止めることにした。

「・・・分かりました。では明日以降、リヴァイ兵士長に状況を伺います。こちらにはご迷惑をお掛けしません」
「いえ、そんな」

苦笑した事務長の顔には助かります、と書いてある気がした。

「ところで、カール事務長。別件で伺いたいことがあるのですが」
「何でしょう」
「私が巨人の生態についての報告書を閲覧する場合、どこかの許可は必要ですか?」
「巨人の、生態についての報告書ですか?」

事務長が首を傾げたのも無理はなかった。それはなまえの職務とは全く関係の無い部分であったし、彼女自体、これまで自分に関係がある財務、経理以外の部分に関わろうとしたことは一切なかったので。

「さぁ・・・分かりませんね。何しろそういった依頼を外部の方から頂いたことがありませんので」
「そうですか、分かりました。ありがとうございます」

はぁ、と事務長は不思議そうに返事をした。






「驚いた。君は本当に仕事が好きなんだな」

なまえはハッとして顔を上げた。
事務室から執務室へ戻り、手渡された書類に目を通し始めてから2時間程立っていただろうか。
音も無く開けられたドアの傍らに、薄暗い中大きくがっしりしたシルエットが佇んでいた。

「エルヴィン団長」

失礼、ノックはしたのだが返事が無かったのでね、と話しながら、エルヴィンは部屋の中へと進んだ。

「おかえり、なまえ。窓から明かりが覗いている気がして来てみたら、これだ。旅疲れを引きずってまで仕事をするのは感心しないな。この暗い部屋でランプの明かりでは仕事も捗らないだろう」
「あなたこそ、壁外調査お疲れ様でした――――私は今日は早い船で帰りましたし、お忙しい中期日を守って頂いた書類に対しては早くレスポンスをしなければと思うので・・・」

なぜか少しバツが悪そうに答えたなまえに、エルヴィンは苦笑した。

「まだ仕事をしていくのか?これから幹部達との食事会に合流するんだが、良かったら君もどうかな」

彼の誘いの言葉に、なまえは帰宅したリヴァイの所在が分かった気がした。

「お言葉はありがたいですが、遠慮しておきます。もう少し仕事を進めておきたいので」
「そうか。今日は珍しく怪我をしたリヴァイを励ますという名目で集まっていてね。勿論、名目に過ぎないんだが。気が向いたら後からでも来るといい」

いたずらっぽく笑ったエルヴィンは彼女の机へ近付き、小さな紙にサラサラと店の名前を書くと、なまえにそれを手渡した。
少しの間紙へ落としていた視線を上げると、なまえは意を決した様に言った。

「・・・エルヴィン団長、伺いたいことがあります。巨人の生態に関する報告書を私が閲覧することは、可能でしょうか」

思いもよらぬ質問に、目を丸くした一呼吸を置いて彼は答えた。

「珍しいことを言うんだな、なまえ」
「可能でなければ、それで結構です」
「可能だと言いたいところだが、難しいところだ。私たちが中央へ報告している内容と、市民が知らされている情報には意図された多少のギャップがある――――君は政府の役人だが、領域が違う。本来の筋なら中央の各所へ許可を取らなければいけないだろう。ただ、私たちは君にも助けてもらいながらこの国の金で壁内にその情報をもたらす為にもこうして壁外へ調査に出掛けている。だから君や他の市民がそれを読んだって、全く問題は無い。少なくとも私たちはそう考えている」
「・・・・・・」
「なまえ、君が個人的にそれを閲覧したいと言うなら、私は許可しよう。但し、口外はしない方がいい――――理由なら、我々より中央をよく知る君なら気付いているだろう。恐らく君のキャリアに傷が付きかねないことも。」

少しの間の後、そうですね、と頷くと、なまえは目を伏せ、受け取った紙を机へ置いた。
エルヴィンが部屋を後にして30分程した頃彼女もまた部屋を後にしたのだが、結局彼が手渡したメモは役立つことにはならないのだった。



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