兵長と守銭奴/9


庭には濃い緑にぶらさがる無数の滴が室内の明かりに照らされてきらきらと光っていた。
夜の香りと雨上がりの香りが一緒に立ち上り、夏の、すっきりとした夜を鼻腔に感じさせる。
美しく星の輝く静かな夜空を見上げれば、なまえにはパーティの最中に雷に怯えていたことがまるで夢か何かであったかのように感じられた。
人がまばらになった広間には、もうゲストは残っていない。
颯爽とこちらに歩いてくる体格の良い男は、目が合っていることが確認できる距離になる頃には白い歯をちらりと見せにこやかに微笑んでいた。

「――――――お待たせ、なまえ。行こうか」

あなたはお忙しいのですし家が遠い訳でもないのですから、送って頂かなくても結構です―――――なまえは今夜のパーティのホストであったエルヴィンにそう申し出たのだけれど、彼女にとってはいかにも紳士に映るらしいエルヴィンはいかにもそれらしく、彼女の申し出を固辞した。
にこやかに彼女に話し掛けた彼の顔は酒に酔ってかほんのり赤く染まっており、なまえのエルヴィンに対する印象として彼は常に柔和な笑みを浮かべているのだけれど、今の彼のそれはいつもよりずっと人懐っこいものであるように感じられた。
彼女も酔いで“いい気分”だったのかもしれない。
向けられる笑みに思わず微笑むと、彼に話し掛けた。

「―――――何だかとても楽しそうですね、エルヴィン団長」

その通りだよ、とエルヴィンは答える。
そして手袋を着けた白い手を、なまえの前に差し出した。
彼女がその手を取ると、エルヴィンは一層微笑みなまえの腰にもう片方の腕を回す。
あっ、となまえが言うより早く、エルヴィンはステップを踏んだ。

「ダンスは嫌いかな」

戸惑う様子のなまえに構わず、エルヴィンは鮮やかに彼女をダンスに引き込む。
鼻歌を口ずさみ、彼女をより自分に引き寄せた。

「次回はダンスの時間でも作ろうか。随分色気の無いパーティだと言われてしまったよ」
「エルヴィン団長、ダンスは嫌いではないですけど、あの、・・・・・・」

なまえは広間にエルヴィンと自分を見ているように感じられる何人かの兵士がいることが、気になって仕方ないらしい。
そちらに気を取られてバランスを崩したなまえを支えると、エルヴィンはダンスを止めた。自分の腕に捕まる彼女に、エルヴィンは不思議な満足感を抱く。

「ありがとう、なまえ。シュミット氏が今後我々への協力を惜しまない、と言って早速資金を提供する旨を申し出てくれた」
「それは私のせいではないと思います、エルヴィン団長」

確かに彼はエルヴィンとは面識が無く、なまえとはほんの少しの面識があった。
けれどそのシュミット氏が彼女に言うには、エルヴィンの冒頭のスピーチを聞き大きな感銘を受けたと。

「―――――そうかな。でも君に礼を言いたいと思った。それから・・・シュミット夫人が君の事を心配していたよ。顔色が優れないようだったと」

長話に付き合わせてしまったからかしら、と夫人がなまえを心配していたことをエルヴィンが伝えると、なまえは赤面した。
体調が優れなかったからなどではなくて雷に怯えていただけだなんて、とても言えない。
リヴァイに外へ連れ出され落ち着き広間に戻った後、夫妻には上手くお詫びができたと思っていたのに。

「もう、大丈夫です。色々お気遣い下さってありがとうございます・・・それから、お忙しいのに送って頂くなんて」
「私がそうしたいんだ。むしろ待たせてしまって申し訳なかった。行こう、馬車を待たせてる」

エルヴィンは彼女に向かって腕を軽く曲げると、なまえににこりと微笑みかけた。



覚束ない足取りでベッドに辿り着くと、なまえはドレスのままベッドにうつぶせで倒れ込んだ。
投げ出された足から片方の靴が脱げ、コトリと床に音を立てた。
ベッドサイドに置いた明かりで彼女の纏うアイボリーが艶やかに照らされ暗い部屋に柔らかく浮かび上がる。
エルヴィン達のようにホストとしてあれこれ働いた訳では無いというのに彼女の身体にはずしりと疲労がのしかかってくるものだから、なまえは自分に呆れて深いため息をついた。

――――――彼は忙しいのだからと辞退しなければと思っていたのに、またもやエルヴィンに家まで送って貰ってしまった。
瞼を閉じれば二度と開かないような気がして、薄目を開け暗い部屋をぼんやりと眺める。
このままでは皺になってしまうからドレスを脱がなければいけないし、メイクだって落とさなければいけない。
それからどうしてもシャワーを浴びてからでなければ、ベッドの中には入りたくない―――――――

ほぼ徹夜明けだった昨日も、ドレスと靴選びで疲れを癒やせる程眠れていない。
重たい瞼に抗えず、なまえはうとうとと目を綴じ、少し開け、を繰り返す。
夢と現が混じり合う中、彼女の瞼の奥には、ざわめく暗闇の中自分に唇を重ねようとするリヴァイが映り、あの時と同じように彼女を見つめていた。

やっぱり彼が苦手だ、となまえは思う。
言葉も態度も無愛想で乱暴で強引で、それなのに、彼は何であんなにやさしいキスをするのだろう。
そしていつも、悔しいけれど、それにドキドキとしてしまう。

(メイクを落とさなきゃ・・・シャワーも)

だけど重たい彼女の身体は起き上がらない。
その時、静かな家中にベルが鳴り響いた。
ナイトテーブルに置いた時計を見れば、針は0時を回っている。
こんな夜中に一体誰が、と不審に思いながらも、それを鳴らしたのが誰なのか、彼女は分かっていたのかも知れない。
少しずつの間をあけて繰り返し鳴らされるベルにゆっくりと身体を起こし明かりを手に、落ち着かない足取りで玄関へ歩みを進める。
ドアの前に立ち一度深呼吸をした後ドアスコープを覗けば、そこには黒髪の、いつも通り神経質そうな顔をした、彼女の頭を悩ませる小柄な男が立っていた。

「・・・何か、ご用ですか」

なまえはチェーンを掛けたまま、ドアを僅かに開けた。

「いるならさっさと出て来いグズ野郎。客を随分待たせやがって」
「何のご用ですか、と聞いています」
「わざわざてめぇの為にここに出向いてやったってのに、何て言い草だ」

私の為?となまえは眉根を寄せる。何のことですか、と尋ねれば、リヴァイは彼女よりも深く、眉間に皺を刻んだ。

「これはお前のじゃねぇのか、クソ守銭奴。尤も、いらねぇとお前が言うのならその辺に捨ててやるが」

リヴァイが差し出した手にはきらりと光る細いスティックのようなものが握られている。
明かりを頼りによく見れば、それは確かに彼女のリップブラシであるらしかった。

「それ・・・、」

彼女は驚きチェーンを外す。
ドアが開ききると、リヴァイはまだドレスを着たままのなまえの姿を足先から頭までじろじろと見回した。
リヴァイもまた、先程会場で会ったときと同様、タキシードを着ていた。パーティが終わり、慣れないのであろう蝶ネクタイを少し緩めてはいたけれど。

「・・・お前のだろう。いるか?」
「いっ、いります!どうしてこれを・・・?」
「お前を匿ってやった部屋があるだろう。鏡の前にこれがあった」

リヴァイはそう言うと、驚く程簡単になまえへそれを渡したので、彼女は少なからず驚いた。
いつもなら何だかんだと難癖をつけてそれを渡すのを焦らしたり、セクハラめいた条件を突きつけてきたりするのに、と。
彼女のリップブラシは、パーティが終わった後他の兵士がドレッサーに置き忘れられていたそれを見つけどうしようかと話していたところにリヴァイが居合わせた為、ここに無事帰ってこられることになったらしい。

「あの部屋に入ったはずの奴は皆それが自分の物ではないと言った。それなら持ち主はこの部屋でしょうもないもんに怯えてたお前くらいしかいないだろう」

もう少し言い方というものがあるのではないだろうか。
がっくりと頭を下げると、なまえはそれでもありがとうございます、と礼を言った。
頭を持ち上げた時ばちっとリヴァイと目が合ったので、なまえはとっさにドアノブを握り、身構えた。
それはいつもなら、彼が家に上げろと言い出すタイミングだったので。
けれど今夜は、またも彼女の予想は覆された。

「じゃあな」

一言言うと、リヴァイは背を向ける。
ツカツカと足音が遠ざかっていくので、なまえはぱちぱちと瞬きをした後、ドアを閉めた。
そのまま彼女は狐につままれたような顔でドアの前に立ち尽くしていた。
心にこみ上げてきた認めたくない気持ちが、彼女の心臓をざわめかせる。

―――――期待、とまでは言わない。
けれど、外れた“予想”が、彼女の心を幾ばくか、動揺させていた。
―――――リヴァイを部屋に入れたかったというのか?・・・まさか。
良からぬ考えが彼女の頭に浮かび、それを否定する。
ふと目に入った、彼女が手に握るリップブラシはリヴァイが持っていたからか、少しあたたかい。
持ち上げて柔らかく光るそれを見つめると、考えるよりも早く、なまえは再びドアを開けていた。

「!!」

勢いよく開けたドアの先にリヴァイの顔があったので、なまえは驚き声を失った。

「おい・・・急にドアを開けられちゃびっくりするだろうが」
「な、何です、か」

お前こそ何だ、とここを立ち去ったはずのリヴァイは言う。
驚きでうまく呼吸することができないなまえは彼の顔を確認するように見た。
そして少し目を泳がせた後、そうだ、こうして彼を追いかけるようなことをしそうになったのは、雷が去った後言い忘れていた礼を言いたかっただけなのだ、と自分に言い聞かせる。

「あ、あの・・・、今日は、ありがとうございました」

気を遣って頂いて、となまえは付け加える。

「お礼を申し上げるのを、忘れていたので」

――――ああ、とリヴァイは答えた。

「俺はお前と違って親切な男だからな」

はぁ、とため息をつくようになまえは答える。
一気にこの場が馬鹿馬鹿しくなって、一体自分は何をしているのだろう、と彼女は思った。
そもそもこの人はこうしたことで礼を言われただの言われていないだのと気にするようなタイプではないし、それによって自分がリヴァイにどう思われようと、どうでもいい事ではないか。

「お前が言いたいのはそれだけか?守銭奴」
「え?」

リヴァイは開けられたドアを手で押さえると、なまえをじっと見つめた。
やはり彼にこうしてじっと見つめられるのも、彼女は苦手だ。

「・・・あなたこそ、帰られたんじゃなかったんですか」

怪訝に眉根を寄せて彼を見つめ返せば、リヴァイはいつものように片方の口角を上げ、ニヤリと笑うと答えを焦らすように緩めていたタイを外した。
緩められた真っ白な襟にぶら下げられた黒タイは彼を無防備に見せて、何とも色っぽい姿に感じさせる。

「これで借りが2つだ」
「・・・は?」
「金勘定にうるさいお前の事だ。パーティの時の雷騒ぎと、お前の忘れ物・・・他人様に借りが2つもあるんじゃお前も気になって仕方ないだろう。何なら今、身体で払わせてやってもいいが」
「訳の分からない冗談は止めてください、リヴァイ兵士長」
「それにさっき、お前が随分がっかりした顔をしていたからな・・・俺が戻ってきてくれて嬉しいだろう?なまえよ」
「!?!あなた、何を言っ――――――」

なまえの顔は分かりやすく、一瞬で真っ赤に染まる。
見開いた目を白黒させ彼女が口を開いた瞬間、訴えにも構わずリヴァイはその口をしっかりと塞いだ。
拒む暇さえなくて、彼の舌は簡単になまえの舌を捉えて弄ぶ。
やがて唇を解放すると2つの鼻をくっつけたまま、リヴァイはもう一度意地悪く笑った。

「静かにしろ・・・近所迷惑だろうが」

真っ赤な顔のなまえはリヴァイを見つめ口をぱくぱくとさせたまま、何も答えることができない。
その身体を強引に抱き身体を押し付けると、リヴァイは彼女の部屋へいとも簡単に、押し入った。

リヴァイがドアを閉めると、廊下は2人の色を帯びた息遣いでいっぱいになった。
それは今日大広間で、大勢の人の中で彼が仕掛けた“秘密のキス”の続きをしているようだった。
壁に背をつけ身体を押し付けられながら、戸惑いながらもなまえはリヴァイのキスを受け入れていた。
そう、悔しいけれどきっと、彼女はそれを待ちわびていたのだ。
舌を絡ませ身体を抱いて、リヴァイは彼女を求める。
じれったそうに彼女のドレスの裾をたくし上げながらなまえの太股を撫で上げ、まさぐった。
すべすべとした肌触りのそこがしっとりと汗ばんでいるのが彼女の身体を生々しく感じさせて、また彼を欲情させる。
なまえの唇を存分に味わったリヴァイの唇は、そのまま彼女の頬を伝い、耳へ、そして首筋へと移っていった。

「はぁっ・・・、・・・・・・、」

漏れ出そうになる声を何とか押し殺す。
鎖骨を舌でなぞられぞくぞくと震えながら、なまえはリヴァイのタキシードの袖をぎゅっと掴んだ。
彼女の腰に回されていたリヴァイの手は、今はどうやらなまえのドレスのファスナーを探しているらしい。

「なかなかいいドレスだ・・・脱がしにくいことを除けばな」

どうやら彼は笑っているらしい。リヴァイの指はやっと探し当てたスライダーを掴むと、スムーズにそれを下げた。
しっかりとデコルテを覆っていた彼女のドレスがたわむのに合わせて、リヴァイの舌はなまえの鎖骨からバストラインへ、つぅ、と這わされていく。
恥ずかしさに顔を背けながら、なまえはそれでも抵抗はしない。
ただ、これからリヴァイと自分の間に起こるであろう情事を思い胸が甘く痺れていることに戸惑いつつ、悔しくも感じていた。


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