兵長と守銭奴/9


なまえの腕を引っ張ったまま、リヴァイは彼女を振り返ることなく広間の端にあるドアの方へ進んでいく。
この世で一番恐ろしい雷に気を取られなまえは彼に連れられるまま歩いていたが、手を引かれる自分とリヴァイを彼がかき分けていくゲストの何人かがちらと見たのが分かったので、彼女は急に恥ずかしくなって、ドアの前で足を止めた。

「―――――何かご用ですか、リヴァイ兵士長」

ハッ、と息を吐き出し笑った後、リヴァイは初めて彼女を振り返り、答えた。

「随分面白ぇツラをしてたな、守銭奴よ」
「!」
「痩せ我慢する必要なんてどこにも無ぇだろうが。さっさと逃げ出せばいいものを」

青ざめた顔のままムッとして眉根を寄せると、なまえはリヴァイの腕を振り払った。

「お気遣い感謝します。でも私は――――――」

その瞬間、鋭い閃光が再び会場を照らした。
恐怖で反射的に綴じた彼女の瞼には、目の前にいるリヴァイの顔が真っ白に焼き付いている。
同時になまえが身をすくめた瞬間、地を割るような激しい音が鳴り響き、広間と一緒に明かりも揺れた。
思わず叫んだ彼女の悲鳴は雷の音にかき消される。
リヴァイはその姿を涼しい顔で眺めていた。

「いつも俺の前じゃそうやってビービーと泣きわめいてるだろ?」

言い返す余裕なんてない。
だって、世にも恐ろしい雷雲がこのすぐ近くにあるのだから。
そして今、こんな場でいつものように騒ぎ立てる訳にはいかない。
ここはプライベートのパーティなんかじゃない。調査兵団の、資金調達パーティなのだ。
確かにリヴァイの言う通り雷が怖ければ会場の外に出て1人怯えているのが最善の対処法なのだろうが、さっきはそれが憚られる状況だった。
一緒に話していた夫婦は初めてこのパーティに参加したゲストで、多額の資金支援を検討しているという名の通った資産家だったからだ。
エルヴィンは彼らがこのパーティに参加したことを、とても喜んでいるようだった。
会話を続けたがっている様子の彼らから簡単に離れられる程、なまえは無責任で、軽率ではいられなかった。
尤もそんなことは本来、彼女には関係の無いことであったはずなのだけれど。

「―――――あ・・・、くる・・・、」

ちかちかと光る窓の外に、大きな稲妻が走る。
譫言のようにそうつぶやいたなまえの言葉にリヴァイが窓を見上げた瞬間、耳をつんざくような雷鳴が轟き、建物を揺らした。
広間の中にはなまえのものだけではない、いくつかの悲鳴が上がる。
ビリビリとした強い衝撃は空気をも揺らし、広間を照らしていた火を一斉に、消し去っていた。
恐らく雷はこのすぐ近くに落ちたのだろう。
真っ暗になった会場はざわめき、人々は戸惑いながら辺りを見回す。
にわかに騒然となった中で、明かりを早く、とエルヴィンやハンジ、そして若い幾人かの兵士が急ぎ動く声が聞こえた。
リヴァイはというとそんな騒ぎにはお構いなしで、目の前で必死に耳を押さえ目を綴じるなまえをじっと見つめている。
後退りしたのか恐怖に足下がふらついたのか、なまえはドアに背をぶつけ、それでも縮こまるその体勢を変えようとしない。
こんな時の最大の防御は、悲しい程にこれくらいしかないのだ。
片手を伸ばしリヴァイは彼女が背を預けているドアのすぐ横に手をつくと、その小さな顎に手をやり、くいっと上へ向けた。
恐怖に怯える瞳は僅かに開かれ、彼を見る。
彼女の唇に何かが触れたのを感じたその時、激しい光が真っ暗な会場中を瞬間的に、真っ白に照らした。
差した光は人差し指を彼女の唇に立てたリヴァイの顔と自分に伸ばされている腕を彼女の瞳に焼き付けて、雷鳴が鳴り響く頃には、彼女の唇は彼に奪われていた。

柔らかく、あたたかな感触が、恐怖で凍ったように感じたなまえの身体のうち、彼女の唇だけを、溶かしていくようだった。
普通であれば例え暗闇であっても、こんな多くの人のいる中顎に手をやられただけではっきりと彼を拒んでいたであろうなまえは、驚き目を見開いたものの、抵抗はしない。
真っ暗な視界の中でも、リヴァイの肩越しにたくさんの人影が蠢いているのを僅かに確認することができる。
リヴァイが少しずつ位置を変えながら彼女の唇を挟みゆっくりと口づけを重ねていくのを、なまえはただ受け止めていた。
――――まるで2人だけが、雷と、突然の暗闇にざわざわと騒ぐ周りから切り離さているようだった。
襲いかかる恐怖と不安、普通それとは同時に起こり得ないであろう、大勢の人中に紛れての、秘密のキス。
こんなに大きな部屋の隅にいるのだし、これだけ暗ければ騒ぎに気を取られている周りにもなかなか気付かれにくいだろう。
そして同時に、次の瞬間誰かに偶然気付かれたっておかしくない。
けれど今は恐怖や不安と誘惑の混濁の中で生まれた奇妙な陶酔感が、彼女にリヴァイを受け入れさせていた。
唇を舌でなぞられなまえがリヴァイの舌に簡単に侵入を許した時、遠くで2、3の明かりが灯された。
それだけで少し、視界が明るくなる。
あっさりと唇を離すとリヴァイはドアを開け、彼女を外に出るよう促した。



正直その時彼女が、何だか肩すかしを食らったような気になってしまっていたのは否めない。
雷に怯えつつも、必ずリヴァイは自分に何かちょっかいを出してくるに違いないと警戒していたからだ。

彼らが控え室の一つとして使っている小さな部屋に入ると、リヴァイは窓辺のソファに腰掛けた。
なまえはびくびくと窓の外とリヴァイの様子を窺いながら、壁際にあるドレッサーの椅子を引く(もちろん窓から一番遠いところにあるからだ)。
また光が差したので彼女は縮こまり、やがて響いた雷鳴に精一杯押し殺した悲鳴を上げた。
それでもその間隔から、雷が先程よりはまだ遠くなったのは明らかだった。

いつものパターンならば、リヴァイはこうしてなまえを外とは隔離された場所に誘い込めば、必ず彼女を求めるような行動を取っていたはずだった。
思い返せば雷が起こった時運悪く彼と居合わせてしまったことで、リヴァイとの間にこうした歪な関係ができあがってしまったのだった。
それにかこつけて犬猿の仲であったはずの2人は一線を超えてしまい、また、あれが現実であったかどうかは定かでないけれど、命の危険さえ感じるような恐ろしい雷に襲われたあの部屋でもまた、関係を持ってしまった。
そして雷なんて無くとも、今まで彼女の心にどこか隙ができた時、リヴァイは鋭くそれを見抜き、そこにつけ込むようになまえを求め、奪っていたはずだ。
まさに今はこれまでのそうした状況に近い。けれど、今のリヴァイは彼女に手を出してきたりはしない。
さっきは(暗闇の中とはいえ)公衆の面前で、あんなにも情熱的なキスを彼女に仕掛けてきたというのに。
リヴァイはソファに深く腰掛け背もたれの上に頭を載せると、ひっくり返った視界で重苦しい真っ暗な空を気怠げに見上げた。

(―――――一体何を考えてるんだろう、この人は)

耳をふさぎ目を綴じ、なまえは恐ろしい外界との係わりを精一杯排除しながら、すぐそこにいるリヴァイのことを考えた。
彼といる時、彼女はいつだって妙な居心地の悪さを感じる。
それなのに今日はまた何だかリヴァイの様子がいつもと違う気がして、雷への恐怖も手伝って、いつもより更におかしな居心地の悪さを感じてしまう。
雷が怖くてたまらないというのに、リヴァイのせいで妙に心がそわそわとする。
彼に何もされなければそれが一番いいに決まっている。
それなのに、そのせいで何だか調子が狂う。

(・・・それってまるで、私がリヴァイ兵士長に“何か”期待してるみたいじゃない!)

ぐるぐるとした思考の末ハッとそう思い至ってしまった時、何者かに肩を叩かれなまえは思わず大きな悲鳴を上げた。
見開いた目には、驚き顔のリヴァイが映っている。
彼女が目を瞑っていた間にも他者が入り込んだ様子の無いこの部屋で彼女の肩を叩いたのは、勿論彼な訳で。

「全くてめぇはおかしなヤツだ。何をそんなに驚いてる・・・力んでクソでも漏らしたのか」
「―――――あ、・・・・・・!」

片眉を釣り上げたリヴァイの顔を目の前に、言葉を失ったなまえの顔は一瞬でみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
それはまるで無邪気な少女のそれの様で、今まで彼が見たことの無いような、(目の覚めている状態の)彼女の、全く取り繕われていない、素の表情のように思われた。
リヴァイはその変遷を眺め、鋭い目を丸くした。
そして彼女と同じように、次の言葉に少し、迷ったようだった。

「・・・おい守銭奴よ、本当にクソを漏らしたって訳じゃねぇだろうな」
「バッ、バカな事を言わないで下さい!!」

リヴァイの言葉に憤慨し立ち上がったので、なまえは膝の上に置いていた手持ちのバッグを床へ落としてしまった。
フンと鼻で笑って、リヴァイはそれを拾い上げると、彼女の前に差し出す。

「・・・ありがとうございます」

なまえは真っ赤な顔のまま悔しそうな表情でリヴァイから奪い取るようにバッグを受け取ると、彼を睨み付けることのできなかったその視線は窓の外へ逃げていく。
外はまだ少しだけ、雨が落ちているようだった。
用心深い彼女は更にじっと、外の様子を注意深く見つめる。
しばらく眺めても、先程までのような雷鳴も稲光も、もう見えはしない。

「残念だがご覧の通り、お前の大好きな雷は遠ざかったようだ。騒がしかった広間も元に戻っているだろう・・・さっさと戻るぞ、クソ守銭奴」

不本意だが戸惑いながらもそれに従おうとした時、通り過ぎようとしたドレッサーの鏡に映る自分の姿を見て、なまえは立ち止まった。

「――――すみません、リヴァイ兵士長。・・・先に戻って頂けますか」
「・・・あ?」
「あの、・・・・・・メイク直しを、したいので」

なまえは口元に手をやり目を伏せて、まだ彼と目を合わせようとしない。
何か言いたげに彼女を見た後「好きにしろ」と言うと、リヴァイは部屋を後にした。
ドアが閉じられ足音が遠ざかっていくのを確認してから、なまえはバッグを開け、急ぎその中に手を入れる。
――――――早く会場に戻らなければ。
ただ、彼女がメイクを直さなければと思ったのも本当であったし、リヴァイと並んで広間に戻るというのも憚られた。
口紅とリップブラシ取り出すと、鏡に映る自分の唇を見た。
グラスに口を付けていたこと、それから、リヴァイとしたキスのせいで、彼女が丁寧に塗ったはずのそれは、いつの間にか大分、落ちていたようだった。

(バカみたい、私ばっかりこんなに焦って!)

真っ赤な顔はまだ治まってくれそうにない。
一緒にバッグに入れた持ち歩き用のファンデーションを使っても、それをカバーすることは難しそうだった。


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