兵長と守銭奴/9


ゲストに応対するのに忙しいエルヴィンから離れ歩くこと十数歩、なまえは知る声に名を呼ばれ足を止めた。
できれば喉が渇いたので、飲み物を置いたテーブルまで辿り着きたかったのだが。

「ゲルグさん。ご無沙汰しています」

挨拶をされた紳士はにこりと微笑んだが、その隣にいた男のせいで彼女の顔は口角を上げたまま固まった。
以前調査兵団への出資を申し出たゲルグが人類最強の兵士と謳われる彼と是非会食をしたいと、以前から面識のあったなまえに依頼したのが縁だ。
リヴァイはなまえに上機嫌で話し掛けるゲルグの隣で、目線だけをちらりと彼女にやりながら、白ワインの入ったグラスを傾けた。

「今日も素敵なドレスだね、みょうじくん。こう天気が悪いとご婦人がたのドレスが汚れてしまわないか心配になるよ」
「最近変な天気が続いていますから、皆さん今日は気を遣われたでしょうね」

まるで自分が“ご婦人”に含まれていないみたいな言い方だなとゲルグが言ったので、なまえは赤面した。
そう、仕事中心の生活を繰り返していると、たまに自分が女であることを忘れてしまう。

「自覚があるのはいいことだな、守銭奴よ」

フン、と意地悪く笑ったリヴァイの言葉になまえは先ほどの固まった笑顔でゲルグに丁寧な挨拶をすると、その場を後にした。
いつものように下らない挑発をしてくる彼に腹が立った、というのもある。
けれど、彼と会話をしなければいけない状況を避けた、というのも事実で。

―――――ここ数ヶ月、なまえはリヴァイへの接し方が分からなくなっている。

元より彼女は彼と接するのが苦手ではあったけれど、それは彼と王都ミットラスに行って以来特にそうであったし、上司であり、かつて彼女がほのかに想いを寄せていたルートヴィヒが彼らを訪ねてからはことさら顕著だった。
リヴァイが自分をどう思っているかが気になること、また、自分がリヴァイにどんな気持ちを抱いているのかが分からないことがその原因であったけれど、なまえにとってはそれはただ胸騒ぎのような、(極度に)落ち着かない気分として処理されていたので、彼女にとってそれは半分自覚の無い不思議な混乱といっても差し支えない。
実際それは彼女が不得手な好きだの嫌いだのといった色恋沙汰のジャンルの話であったのだけど、彼女の認めたくないという気持ちがあったからなのか、本人はこれがそうした問題であるということにからきし無自覚だった。
ただ、仕事の支障にだけはなってはいけないと、表面上は懸命に今まで通りを装っていた。
だから、他者はそんなことに一切気付きはしなかっただろう。
だって彼らは元々“犬猿の仲”と専らの評判だったのだから。

ようやく手にしたグラスを傾けながら、なまえは大広間の天井に近い窓を見上げる。
目をこらすとぽつぽつと、窓に落ちる雨粒がある。
何とか降らずに止まっていた雨がとうとう降り出したようだった。



「この間ミットラスで評判のレストランで・・・そしたら主人がね・・・」

ここは資金調達パーティであるのだからホスト側であるエルヴィンやリヴァイ、他の調査兵団の兵士達と会話するときはそうでもないのだろうが、招かれたゲスト達がなまえと話をするのは殆ど経済的な話題と、彼らの日常に起こった話題に終始する。
特に経済的な話題については仕事柄彼女も興味があることなので退屈ではないが、彼らに同伴する婦人達も一緒に長々と彼らの日常の話題をにこやかに頷いて聞き続けてやるにはなかなか厳しいものがある。
少し離れた場所では会話が一段落したらしいエルヴィンが、誰かを探す様子で周りを見渡している。
彼と別々になってから20分以上が経つだろう。
ひょっとしたらエルヴィンが探しているのは自分かもしれない。
にこやかな貴族の夫婦に囲まれるなまえがそわそわとし始めた頃、彼女の鼓膜を揺らす音が、少し引きつっていた笑顔をさらに強張らせた。
まだ安心して良いであろう距離の遠雷が、ごく僅かに、聞こえた。
それはこの賑やかしい会場の仲では彼女にしか聞こえないような小さな音だっただろう。
彼女がそれを極度に恐れているからこそ、彼女にだけ、それが届いた。

「おいおい、よく君はそんなことを言うな・・・彼女はね、その時・・・だなんて言うんだよ・・・私はすっかり困り果てたね」

会話は上流階級独特の悠長とも言える和やかさで進んでいくが、それと同時に悪い予感のように彼女に届いた遠雷は、次第に重く近付いてくるように感じる。
この大広間のごく僅かな人数の耳にもそれが認められるようになった頃にはなまえの顔はすっかり青ざめていた。
そうなんですか、なんて無難に応えながら、なまえは先ほどと同じように見える笑顔を無理矢理作る。
内心気が気ではないけれど、こんな場で自分の恐怖心を露わにすることなど、とてもできない。

―――――何とか普通に会話を続けてこの場をやり過ごさなければ。

けれど彼女がこの世で一番恐れるそれは、容赦なくおどろおどろしい足音を近付ける。

「本当にひどい人。あなたはどう思う?なまえさん」

ご婦人が笑う口元をふわふわとしたファーのついた扇子で優雅に覆いながら、なまえに話を振る。
何か応えなければと口を開こうとした、その瞬間だった。

ちかちかとした閃光の後、ゴゴ…、と誰の耳にもはっきりと、その音が届いた。

光に硬直したなまえはやがて訪れたその音に、ひっ、と思わず声を上げる。
口元を押さえると、再び引き攣り笑いを作った。

「やだ、また天気が荒れてきたみたい。嫌だわ、私雷って苦手なの」

彼女の真っ赤な口紅がそう動いたのがやけに目に焼き付いたような気がした。
ご婦人がそう言って眉根を寄せたので、なまえは引き攣り笑いのまま、妙に深く頷く。
思わず上げてしまった声に気付かれていないようだったので、なまえは少し安堵した。

「せっかくのパーティなのに残念だな―――――ところで君、こちらに赴任してどれくらいになるんだったか」

窓を見上げていた紳士はなまえにすぐ視線を戻すと、そう話し掛けた。
おかしな間の後、そうですね、と彼女は応える。
―――――しかし。

ぱっと、先ほどよりも強い光が大広間を照らす。
なまえは目を見開くと、反射的に耳を覆っていた。
バチバチ、と激しい音が響く。
雷がすぐ近くにやって来てしまったことは明白だった。

「今度のは大きかったなぁ。割と近くに落ちたんじゃないか」
「あら・・・なまえさん、大丈夫?」

雷って苦手なのと言ったご婦人は窓を見上げて、怖いわ、とご主人につぶやいた後、青白い顔で耳を押さえ硬直しているなまえを気遣った。

「・・・ええ・・・ええ、大丈夫です」

それは自分に言い聞かせているようでもあった。
そしてきっと、自分が耳を押さえている自覚も無いのだろう。
力ない手で耳を押さえたまま彼女は青ざめた顔で無理矢理口角を持ち上げ、心にも無い台詞を口に、その場を取り繕おうとした。

「―――――あら、リヴァイ兵士長」

少し弾んだご婦人の声に、なまえはぎこちなく振り返る。

「・・・失礼。“これ”を少しお借りする」

すぐ後ろに立っていたリヴァイはなまえの腕を掴むと、彼女を連れて、歩き出した。


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