兵長と守銭奴/9


「3年分・・・ですか?」

事務員は困った風に眉根を寄せた。

「そうです。お手数をお掛けして申し訳ありませんが、確認したいことがありますので。この部分に関する書類だけで結構です」

少し俯きがちにはい、と小さな返事をすると、彼はなまえから受け取った分厚い書類の束を手に、部屋を出た。
閉じられたドアを眺めその音を確認し少しの間を置いてから、彼女は大きく安堵の息をつく。
目を綴じると真っ暗な瞼の裏で今さっきまで確認していた書類の文字たちがぐるぐると回った。
無理も無い。
明け方と言って良い時間まで、彼女はこの部屋で今渡したばかりの書類を精査し確認する作業に追われていた。
全ての確認が終わると一旦家に帰り、シャワーを浴びてほんの1時間の仮眠の後、再びここへ戻り最後の見直しをした。
急遽今朝一番の船便で中央へ届けなければいけなくなったボリューム有る書類を昨日の午後に渡されたのだから、覚悟はしていたのだけれど仕方ない。
目を擦りながらふらふらとした足取りでなまえはソファに力なく腰掛ける。
近頃しばらく不安定な天気が続いていたが、今日はいい天気だ。

(終わった・・・何とか間に合って良かった)

部屋にはあたたかい空気が籠もる。
朝だからまだそれを暑苦しくは感じない。

(・・・明日は資金パーティか・・・ずっとバタバタしてたから・・・、ドレスとか、まだ全然考えてない――――――)

開けられた窓からはそよそよと風が入り込む。
さわやかな空気を感じたのと同時に、彼女の身体には重たい疲労がどっと押し寄せる。
更に、どうしようもない程の眠気にワーカホリックとも言える不思議な心地良さのある達成感を混ぜ込んで、重たい瞼は否応なしに彼女の視界を消した。



「・・・おい、入るぞ」

クソ守銭奴、と続け、リヴァイは彼女の部屋のノブを回す。
いるはずの部屋の主が何度か繰り返したノックに応えないものだから、痺れを切らしたリヴァイは了承を得ずドアを開けることにしたのだった。
そこにあったなまえの姿に、彼は目を丸くした。
元々鋭い目つきの彼なのでそれを丸くしたところで、見た目には殆ど変わらなかっただろうが。

執務室としては団長であるエルヴィンの部屋と同じくらいに広いであろうその部屋に釣り合うよう置かれている立派なソファになまえはぐったりと腰掛け、肘置きを枕代わりに、深い眠りに落ちているようだった。
だらりと片腕は落ち、いつも凜としているその目元にはしっかりと疲労の色が塗りつけられている。
こうして仕事中に眠る事自体、彼女にとってはありえないことなのだろうが、その無防備な寝姿の方が、リヴァイにとっては関心があるようだった。
一つ二つの悪言の後彼女に突き返してやろうと思っていた書類を音無く机の上に置くと、彼はなまえの隣に腰を下ろす。
憎たらしい程落ち着き払っていたり、キッと睨んだり、はっと驚いたり、たくさんの表情を見せながら自分に向けられる瞳は、縁取る睫を今は静かに下ろして綴じられている。
ムカつく程冷静な言葉を並べ立て可愛げなくズバズバと意見を主張したり、時折思いがけない言葉を繰り出すその唇は、無防備に少し開けられて、穏やかな寝息を立てる。
リヴァイはしげしげと眠るなまえを見つめた後、何気なく、その手を伸ばした。
彼女の髪に触れてみると、さら、と素直にそれは揺れる。
そういえばいつか、こいつが俺の部屋に泊まったことがあったか、とリヴァイは彼女の寝顔を初めて見た朝を思い出した。
あまりに無防備で幸せそうに眠っている彼女の顔を見つめるうちに、半ば無意識に、彼女の髪に触れ、そこへ唇を落としていた。

“・・・随分子どもみたいな顔して笑うんだな”

口づけた唇をそっと離した時、寝顔が子どものような笑顔に変わったのを今でもすぐに浮かべることができる。

なまえの寝顔を見つめたまま、リヴァイは水面をなぞるようにゆっくりとした動作で指を下ろしていく。
やがてそれが彼女の唇に触れると、彼は静止した。
テーブルに片手を置いて、体重を掛ける。
少しずつ、なまえの顔へ、リヴァイの顔は近付いていく。
そして、2人の唇が近付き、今にも触れそうな距離でしばらく向かい合う――――――けれどそれは、触れは、しない。

リヴァイは顔を上げると、大きく息をついた。



大広間にはぞくぞくとゲストが到着して、にぎやかに会場を彩っている。
資金調達パーティとはいえ華やかなムードは必要不可欠だ。
艶やかな深紅のドレスを纏ったご婦人はホストである金髪の体躯の良い男に声を掛けられると、隣に立つ夫にも構わず黄色い声で彼に応えた。
にこやかに軽く挨拶をしながら彼に向かって笑顔を作る多くの人の間を縫って、エルヴィンは大きなドアの外に立ち中を眺めるなまえを目指す。
辿り着いて間近に向けられた、細められた真っ青な彼の瞳に、なまえは思わず赤面した。
正装の彼を見るのはこれで二度目だが、やはりそれは彼にとても似合い、エルヴィンの持つ紳士的な雰囲気、大人の男の魅力を更に高めているように見える。
今回も前回同様なまえのパートナーはエルヴィンだ。
リヴァイのエスコートだけは避けたいとお願いをしたのは自分自身だと言うのに、どうにも自分はエルヴィンの隣に立つには釣り合いが取れないのではないかと、気が引けてしまう。
気後れする様子で、彼女は昨日の夜、迷いに迷った末に選んだドレスの胸元で頼りなく自分の手を握った。
光沢あるアイボリー、シンプルだがいかにも上質で、今日彼女に会ったその瞬間に、そのドレスはとても彼女らしいとエルヴィンは思った。
すっきりしたベアトップに、ふわりとしたシルエットのフルレングスのドレス。
清純なその雰囲気とバランスを取るように、時折、幾重かになったプリーツフリルの間から左足の膝下がさりげなく覗いて彼をどきっとさせる。

「すまない。行こうか」

何か自分に照れているらしいなまえに微笑みかけると、エルヴィンは彼女の前に手を差し出した。
なまえはドキドキとしながら、その大きい手の上に、彼女の手を載せる。
横に並ぶとエルヴィンが「頼んだよ。私は君だけが頼りだから、なまえ」と冗談を言って彼女の腰をぐい、と引き寄せたので、なまえは硬直し、ますます赤面した。


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