兵長と守銭奴/8


広い机の端にはたくさんの書類に追いやられて、途中二度に渡って出された何脚かのティーカップが置いてある。
昼過ぎからエルヴィンの部屋ではリヴァイ、ルートヴィヒ、なまえが集まり、長い時間、打ち合わせをしていた。
それはなまえでは判断しかねる部分において、調査兵団にとってもなまえにとっても、有益な時間だった。

「ではこの部分については今後、こちらのカテゴリで申請をするようにしてください。但し、許可を保証するものではありませんが。ただ、精査する側にとってもう少し分かりやすくなるかと思いますので」

ルートヴィヒの助言に、エルヴィンはなるほど、と何度も頷いた。
二人は昨夜同様、熱心に話し込んでいる。
なまえがふと視線を移すと、いつも通りソファの背もたれに腕を乗せ足を組み、ふんぞり返っていたリヴァイと目が合う。
足を組み替えながら彼が偉そうに顎を上げたので、なまえは呆れてエルヴィンとルートヴィヒが覗き込んでいる書類に視線を戻した。

「ルー審議官、大変参考になりました。ありがとうございます」
「いえ、大したことは申し上げてないですよ。今後お互いにとって役に立てば幸いです」

ニコリと笑うとルートヴィヒはゆっくりとした動作で書類を集め始めた。
彼は夜に出る船でウォール・シーナに戻ることになっている。

「――――そうだ。近々婚約されるとか。おめでとうございます」

エルヴィンの言葉に、なまえは反射的にルートヴィヒの方を見ていた。
ルートヴィヒもまた同じように、なまえの方を見ていた。
見合わせた顔はお互い、何とも形容し難い、不思議な表情をしていた。

「――――そうだったんですか。おめでとうございます」

何か自動的に動かされたように、彼女の唇はそう動いた。
そう動いてくれたことに、なまえは安堵もしていた。

「ありがとう、なまえ。よくご存知ですね、エルヴィン団長」

祝いの言葉を掛けられたルートヴィヒは、小さく彼女に笑うと、エルヴィンの方へ顔を向けた。

「人伝に聞きました。世の女性が悲しむでしょうね」
「僕をからかうのはやめてください、エルヴィン団長。そんなことないですよ」

恥ずかしそうに笑いながら、ルートヴィヒはそう言った。

「リヴァイ、もう戻っていいぞ。私は別件で審議官と話がある」
「・・・ああ、分かった」
「では私も失礼します」

なまえは彼女の前に置かれていたいくつかの書類の束とノートを揃え、ソファから立ち上がる。
リヴァイも気だるそうに立ち上がると、二人はエルヴィンの部屋を後にした。

「おい、クソ守銭奴。俺の部屋に来いよ」
「・・・何故ですか」
「てめぇに持たされた参考資料がさっぱり分からねぇ。頭の悪い俺にも分かるよう教えてくれよ」

そう言ったリヴァイの顔はどこか彼女を小馬鹿にした感じで、全く人に物を頼んでいるように見えないから不思議だ。
眉間に皺を寄せため息をついた後、なまえは分かりましたと渋々応えた。



教えてくれと言った割に、説明を受ける彼の態度はいつもに増して適当だ。
それにリヴァイの相談は驚く程簡単なものだったので、なまえは逆に、それを怪しんだ。

「・・・では、失礼します。説明は以上ですので」

テーブルに置いていた手持ちの荷物を取るとなまえは立ち上がり、部屋の主の答えを待たず、さっさと彼の部屋を出ようとした。
ドアノブに手を掛け扉を開ける。
しかしそれは、後ろから伸びてきた手で簡単に、バタンと閉じられた。

「・・・何ですか」
「特に、何もねぇ」
「じゃあドアを開けて下さい」

リヴァイは間近にあるなまえにの顔に向かって、勿体ぶるように、いかにも意地悪く、口角を吊り上げた。

「フン・・・何が“おめでとうございます”だ」
「!」
「不細工な面でクソみてぇな社交辞令を吐きやがって」

その言葉でリヴァイが何を言わんとするかが分かったので、なまえは不意をつかれ見開いた目を鋭く変えて、彼を見つめ返した。

「・・・何が仰りたいんですか」
「別に。さっきのてめぇの様子が愉快だったというだけだ」
「そうですか、それは良かったです。だから早くドアを開けて下さい」

ハッと息を吐き出し笑うと、リヴァイはなまえに顔を近付けた。

「全くお前は面白くねぇ女だ」
「・・・だったら、どうしたらいいんですか」
「・・・あ?」

リヴァイの挑発めいた返事に、食ってかかるようにしてなまえは彼を睨んだ。

「ショックだったと言えばいいんですか。それとも、傷付いたとでも言えば満足ですか?」
「・・・そうだ。そっちの方が面白い」

返ってきたあまりの言葉に、なまえは息を飲んだ。

――――なまえは、ルートヴィヒが好きだった。

周りの女性たち同様、彼に、憧れていた。
仕事面でも彼を尊敬していたし、自分がどんなに上の立場であっても、誰に対しても偉ぶらず気さくに接する彼の人柄も、尊敬していた。
何より、自分がどんな意見をぶつけても、どんなに答えにくい質問をしても、真摯に受け止め答えてくれる彼を心から信頼していた。
そして、彼女に向けてくれる穏やかな笑顔が好きだった。
ルートヴィヒにキスをされそうになったあの夜、なまえは言い知れない程のショックを受けていた。
それは彼が自分にキスをしようとしたことではなく、それによって自分が決まった相手のいるルートヴィヒに上司を尊敬する以上のはっきりとした好意を持っていた事を自覚してしまったからだ。

ーーーー本当は、2人の唇の間に差し入れた手を払い除けて、キスをしてもらいたかったんでしょう?

もう1人の自分が、嘲笑うようになまえに語りかける。

ーーーーあの人を好きだから、結婚する予定の恋人がいてもいいからこちらを向いてほしいと思ったんでしょう?

・・・何て、淫らで浅はかで、そう、普通ならばなまえが何よりも軽蔑するような、そんな感情が自分に流れていたことを、自覚させられたからだ。
それは、自覚すれば自己嫌悪しか催さず、自覚してもどうしようもない、どうにもならず、報われる事を祈る事すら許されない、自分にすら認める事を許されない、ただただ不憫な、恋心だった。

「・・・そうですか、分かりました。昨夜あなたが言った通りですよ、リヴァイ兵士長。私の本心は、あなたが“面白い”と思われる期待通りでいます。哀れでしょう。これであなたは満足ですか?だから、私のことはもう放っておいて下さい。それで、私が苦しんでるのを遠くから見て笑ってたらいいじゃないですか!」

こんな風になまえが声を荒げ彼をまくしたてたのは初めてだったので、面食らったのか、リヴァイはやや目を見開いて一瞬、答えに詰まったようだった。
その間もなまえは彼に食い付くように向けた視線を外さない。
見つめあった少しの沈黙の後、リヴァイは薄い唇を開いた。

「・・・前言撤回だ」
「・・・は?」

眉間に寄せた皺を更に深くし、至極感じ悪く、なまえは応えた。
それは、自分の振る舞いがリヴァイにどう思われるかなど、全く気にしていないようだった。

「前言撤回だ・・・ちっとも面白くねぇ」

ついさっきまで彼女の怒りを煽る為ニヤニヤと意地悪く笑っていたのが嘘のようだ。
今度はその瞳で何かを訴え掛けるように、リヴァイはなまえをじっと見つめた。
こんなに彼に苛立っていても、なまえはやっぱり、リヴァイにこうして見つめられるのが苦手だ。

少し彼女が怯んだのを、リヴァイが見逃す訳はなかった。


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