兵長と守銭奴/7


席を立った彼女と目が合った一瞬の間を置いて、リヴァイはなまえの腰に回していた手を解いた。

「待たせて悪かったな」
「いえ、そんなこと・・・。遠路はるばるありがとうございます。あの、どうぞお座りください」

年齢は、彼らよりもう少し下だろうか。
立ち上がった女性は緊張した様子であたふたと二人に着席を促す。
毛先がゆるく巻かれた艶やかな長い髪に、ぱっちりとした美しい瞳が印象的だ。
皺一つ無い、いかにも上質そうな仕立ての女性らしいワンピースを着ている。
ウェイターは静かに二人の椅子を引いた。
その椅子に腰掛けながら、なまえは彼女以外がこの部屋にいないことを確認する。
そしてやはり、この女性はエルヴィンから聞いた貴族の娘なのだろうと思った。
どういった思惑からかは分からないが、リヴァイはこの娘に自分には恋人がいる事を信憑性を持って伝える為、なまえを恋人と偽りわざわざここに連れてきたのだろう。
多少の覚悟はしていたものの、大方、彼女の予想通りだ。
相手側が彼女一人であることに、なまえはほんの少し、安堵した。

「船旅でお疲れなんじゃないですか・・・?何だかその・・・すみません」

そわそわとした様子で頼りなさげな笑みを浮かべ艶やかな髪を不安げに撫で付ける彼女を見て、なまえは彼女が綿あめか、花のような人だと思った。
花といっても薔薇だとかの大振りな花ではなく、野風に揺れている、健気で幼気な花のようだと思った。
それは頼りなく可憐で、見る者の心を和ませる。
きっと生まれてから今までずっと、誰もに愛され、大切にされてきたのだろう。

「そちらが、リヴァイ様の・・・?」

リヴァイが自分から話そうとしないので、そわそわとしていた彼女は遠慮がちに、彼の横に座るなまえを見た。

「ああ。こいつが俺の恋人だ」
「この方が・・・。とっても素敵な方ですね。初めまして、私は――――」
「前に伝えた通り、訳あってこいつの名前は言えない。挨拶は無用だ」

言葉をぴしゃりと遮られた彼女は申し訳なさそうな笑みを浮かべ、なまえに会釈をした。
何て失礼なことを、と思いつつ、なまえは彼女の顔色を窺いながら、小さく会釈を返す。

「すみません。私の我が侭で、こんなところまで来て頂いて」

彼女にそう話し掛けたられたなまえは、いえ、と恐縮した。
自分を好いているという女性に会うのに、わざわざ彼は“恋人”を連れ添わせている。
本来この状況で気を遣われるべきは彼女の方だろうし、話を進めようとしなければいけないのはリヴァイの方だろう。
それなのに無神経なリヴァイのせいで彼女ばかりが気を遣い、話をしようとしている。
なまえがいたたまれなくなった時、ドアがノックされウェイターがお茶を運んできたので、彼女はほっと息をついた。
ティーポットからはふわりと紅茶のいいにおいが香る。
一人座る彼女はお茶と一緒に運ばれてきたピカピカに磨かれた銀食器に入る角砂糖を2つと、ミルクを少しティーカップに入れると、どきどきとした様子で銀のスプーンを回していたが、それをソーサに戻し、やはり遠慮がちに、目の前に座る“恋人”達の顔色を窺うように、口を開いた。

「お二人は長く付き合っていらっしゃるんですよね。あの・・・不躾な質問で恐縮なのですが、その・・・やっぱり将来はご一緒に・・・?」
「・・・いや、そういう予定はない」
「・・・・・・それは、何かご理由がおありなのでしょうか?」

言葉に詰まった彼女に、リヴァイはティーカップをソーサに戻すと、身体を前のめりにしてテーブルの上で手を組んだ。
そして彼女の瞳を覗き込み、ゆっくりと口を開く。

「――――ああ、ある。・・・俺は、帰って来れる保証のない、壁外に行かなきゃいけねぇ身の上だ。壁外に出れば明日生きてるかも、次の瞬間に生きてるかさえも分からない。そんな境遇にある俺が、大切な女の将来を縛ることはできない。それでも俺にはこいつが必要だから、こいつの気持ちに甘えて恋人関係を続けている・・・まぁ、いつ捨てられるか分からねぇが」

リヴァイに真っ直ぐに見つめられ語りかけられた彼女は彼の言葉を聞き終わると視線を外し、俯いた。

「・・・ただ、こいつがいるから俺は強くなれる。こいつがいるから、何としても帰らなきゃいけねぇと思える。たとえどんなに危険な場面であろうと」

俯く彼女に、リヴァイはまだその言葉を止めない。
なまえの目には、彼が彼女の俯く理由を知りながらも畳み掛けているように見えた。
彼女はリヴァイの言葉を何とか飲み込もうと少しの間口をつぐんだ後、顔を上げ、切なげに眉尻を下げると弱々しく笑った。

「――――この方は、リヴァイ様にとって無くてはならない方で、愛していらっしゃるのですね。・・・とても、深く」
「・・・そうだ。俺はこいつを愛している」

そうですか、と言うと、彼女は所在なさげにティーカップを持ち上げ、唇にゆっくりとつけた。
その手は僅かに震えているように見える。
真の目的は分からないものの、リヴァイが今敢えて彼女を傷付けようとしている事は明白だった。
そもそもなまえは、リヴァイが彼女から好意を寄せられている事についてどう思い、彼女をどうしたいと思っているのかを知らない。
ため息をつくことは、できない。
なまえもまた所在なさげに、真っ白なテーブルクロスに視線を移した。

しばらくの沈黙の後、リヴァイと彼女は何事も無かったかのように、次はいつ壁外に行かれるんですか、とか、彼女の趣味でもあるらしい乗馬の話を和やかに話していた。
彼の隣に座るなまえはというと、船で彼に言われた通り、ぎこちなさを隠しながら薄く笑い、ただ頷くことを繰り返していた。

「失礼致します。お付きの方がお呼びでございます」

静かで和やかに見える空間に不思議な重たさを感じていたなまえは、ウェイターに呼ばれ席を外した彼女が部屋から出た瞬間、小さく息をついた。

「・・・悪いな」

リヴァイの言葉になまえは驚き、隣に座る彼を見た。
他でもない彼から謝罪の言葉を聞くことになるだなんて、思わなかった。

「いえ・・・、別に私は何も」

言いたいことは山ほどあるが、自分が干渉することでもないし、少なくともここでする話ではないかと思う。
もう一度小さなため息をつくと、なまえはもう見飽きる程に眺めたティーカップへと、視線を戻した。

「・・・お前みたいな女でも、将来を約束できないような男と付き合うのは苦痛だろう」
「・・・さぁ、考えたこともありません」
「フン・・・いかにもてめぇらしい」

そう言うとリヴァイは背もたれに左腕を引っかけた。
足を組み、小さく息をつく。
ちらりと視線を動かしてから隣に座るなまえを見つめ、口を開いた。

「――――お前には、“愛してる”って言葉は重荷か?・・・それともこんな不毛な関係は終わらせた方が、お前は幸せか?」

――――一体彼は、唐突に何てことを言い出すのだろう。

一体それは、何という意味なのだろう。
まるでそれは、さっきの彼が彼女に見せた恋人への想いの強さを伝えた“演技”を、そのまま続けているような。
他ならぬ自分に向けて彼の口が紡いだその言葉に、なまえは思わず息を飲んだ。
リヴァイは真っ直ぐに自分を見つめている。
二人いるこの部屋で急に視界が狭くなって、リヴァイしか見えなくなる。
妙に二人の距離が近く感じられて、彼の言葉を聞いた瞬間、どく、と大きく動いた心臓の音が聞こえてしまったのではないかと思った。

「――――あ・・・、」

驚きのあまり、声も、言葉も上手く出てこない。
目の前のリヴァイを、いつもと同じように、冷静に見ることができない。
一瞬で、彼と出会ってからの出来事が蘇っては、頭を過ぎっていく。
動揺する頭の中でぐるぐると反芻される彼の言葉と一緒になって、ますます彼女を混乱させた。
なまえを現実に引き戻したのは、出て行った彼女が再びドアをノックした音だった。
はっとしたなまえはまだ胸を騒がせたまま、それでも少しだけ、平静を取り戻す。
入ってきた彼女はすみませんと言うと、また元の席に着いた。

「そろそろお暇しようと思います。今日はわざわざこちらまでご足労くださいまして、本当にありがとうございました。お二人にお会いできて・・・、とても嬉しかったです」
「ああ。こちらの複雑な事情を分かって貰えると助かる」
「・・・お二人はお辛いお気持ちもお有りでしょうけど・・・、それぞれのご境遇があって、それでも惹かれ合うって・・・素敵ですね。――――リヴァイ様には今まで私の気持ちを押し付けるようなことをしてしまって、本当にすみませんでした。これからのお二人のお幸せを願ってます」

そう話すと、彼女は眉尻を下げ、切なそうに笑った。

お付きの者に連れられて帰るのだろう彼女が退室した後少しして個室を出た二人は、特に何も話すことはなかった。
ただリヴァイは、行きに来た時のように、なまえの腰を軽く抱いていたが彼女が手洗いに行きたいと言ったので、リヴァイはそれをすんなりと解いた。

リヴァイを待たせ手洗いに入ったなまえは、ドアを開ける時、既にその声を聞いていたのに、様子を窺うようにして恐る恐る、その中に入った。
まさかそれが彼女のものだとは考えもしなかったからだった。

「・・・・・・!」
「―――――あ、あの・・・、すみません」

しまった、となまえが思うより早く、彼女はなまえに気付いていた。
まさかまだ彼女がホテルにいるとは思いもしなかった。
てっきりもう、お連れの者とホテルを後にしていたのだと――――。
なまえと目が合うと、洗面台にもたれ涙を流していたらしい彼女は驚いた顔をして顔を背け、流していた涙を隠そうと急ぎハンカチでそれを拭ったようだった。

「みっともないですよね。ごめんなさい・・・」

目を真っ赤にして笑う彼女の言葉に、なまえはナイフでずっ、と刺されたように、胸を痛める。
リヴァイは一体何を考えてこんな仕打ちを彼女にしたのだろうか。
一端彼女を突き放して、自分にますます執着させる為だろうか。
それともなまえの目にそう映ったように、敢えて彼女を傷付けて、自分をきっぱりと諦めさせようとしているのだろうか。

返答に困っているなまえに、彼女はもう一度ごめんなさいと言った。

「さっきね、聞いてしまったんです。リヴァイ様と、あなたのお話――――」

思わぬ言葉にドキ、としたなまえは思わず目を見開いて彼女を見る。
彼女が指しているのは、さっきあの個室でリヴァイとなまえが二人になった時にしていた会話のことだと、すぐに分かった。

「お互い苦しい気持ちでそれでも想い合っていらっしゃるのを知って、改めて、私は敵わないと思ったんです。リヴァイ様を諦めなきゃいけないことは分かっていました。けれどあのリヴァイ様のお言葉を聞いて、貴女が羨ましくて、悲しくて・・・」

ごめんなさい、と彼女はまたなまえに謝る。
その時なまえは、はっと気付いた。
ついさっきなまえの心を乱したリヴァイのあの台詞は、他ならぬ彼女に聞かせる為の“演技”だったのだ。
リヴァイはドアの向こうにいるだろう彼女に聞かせる為に、あの台詞を、あのタイミングでなまえに言ったに違いない。
彼女はその言葉を信じて、深く傷付き、悲しんでいる。
なまえは一体彼女をどうしてやればいいのか、分からない。
ただ、さっきのリヴァイの意味深な言葉のわけが分かり変に安堵しつつも、なまえは彼女自身も理由の分からない、どこかちくちくとした痛みを感じていた。

「ごめんなさい・・・、私、何と申し上げたらいいのか――――」

上手い言葉を見つけられずなまえが初めて彼女にそう口を開いた時、彼女はいいんです、と言った。

「貴女がリヴァイ様とあの部屋に入って来られた時、正直悲しかったですけど、素敵なお二人だなって心から思いました。今はもう、リヴァイ様と貴女の幸せを願いたいと思っています。ただ、・・・すぐにはやっぱり、自分の気持ちを整理できなくて。おかしいんですよ・・・私ったら、紅茶にあんなにお砂糖を入れたのに、全く甘く感じられなくて―――――」

一体、こんなにも真摯で純粋な彼女の気持ちを、どうしてやればいいんだろう。
何と彼女に話してやればいいのだろう。
自分が偽りの恋人であることを、彼女に伝えてやればいいのだろうか。
けれどそれが本当に彼女の為であるのかは、なまえには分からない。

「・・・リヴァイ様は、優しい方ですね」
「・・・・・・彼が?」

彼女の言葉に、なまえは考えるよりも早く、聞き返してしまった。
何故こんな状況で、彼女はリヴァイを優しいだなんて言えるのだろう、と。

「優しい、方です。私の気持ちに、ちゃんと向き合ってくださいました。きっと私の父が私がリヴァイ様をお慕いしていることを良く思っていないことも、ご存じなのでしょうね。それも含めて私に望みがないことも、しっかりと分からせる為にこうやって―――――そのせいであなたにも、ご迷惑をお掛けしてしまいましたけれど。とっても、優しい方です」



「・・・本当に、これで良かったんですか」

ロビーでなまえを待っていたリヴァイは、彼女の顔を見ると飯に行くぞ、とだけ言った。
やっぱり彼女の腰に回されていたリヴァイの手は、ホテルを出てしばらくすると自然に解かれていた。
きっとこれも、彼の“演技”の一つだったのだろう。
何度も考えた末になまえが「差し出がましい事は承知の上で申し上げますけれど」、と前置きしたその言葉に、リヴァイは何のことだ、と返す。

「彼女のことです。彼女は貴族の方でしょう。あなたと彼女の立場はあれど、彼女はあなたのことをあんなにも想っていて・・・あなたがどういうお考えかは知りませんが、あれでは何だか余りにも――――」
「・・・だったらお前が彼女と結婚してやれ」
「何をおっしゃってるんですか。私はただ、彼女が――――」
「さっき言っただろうが。俺は不確かな約束をしたくねぇ」

半歩先を歩くリヴァイの表情は見えない。
なまえは言葉に詰まり、街の明かりに照らされる彼の頬をただ見つめた。
表情を作らないその頬は前だけを向いている。

「――――俺はただ、次の瞬間も躊躇無く死にたいだけだ」

少しの間の後、彼女の何か言いたげな視線に気付いてか、リヴァイは静かに言葉を落とした。


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