兵長と守銭奴/7


少し見開いた目で一度瞬きをすると、その表情は変えないものの、なまえは答えあぐねるように口を小さく動かした後、ようやく声を出した。

「・・・それは、どういう意味ですか」
「一日でいい。今度の休み、俺は王都へ行く・・・お前は俺の恋人として、それに付き合って貰う」

どうせ暇なんだろう、とリヴァイはお決まりの余計な一言を付け加えたが、なまえの耳にはそれはいつもの様には届かなかった。
“一日でいい”と言った彼の言葉のお陰で、なまえは止まりそうになった心臓を安心して再び動かす。

――――そう、彼がそんなことを言い出すだなんてありえない。

驚きの余りか、彼女の習性からか、その表情を殆ど変えなかったものの、リヴァイの口から出た“頼み”に、なまえは一瞬ひどく動揺していた。
表面上は平静を装いつつもまだ落ち着かない頭の中には、彼女にしては珍しく、考えるよりも先に、エルヴィンから聞いた貴族の娘のことが浮かんでいた。
そう、彼が訳も無く自分に“そんなこと”を“頼んで”くるだなんて、ありえない。

「何故ですか?」
「話せば長い。詳しい事は当日話す」
「・・・何をするかも分からないような事を、簡単に承諾することはできません」

素っ気なく言葉を返すなまえに、リヴァイは片方の口の端を上げると再びソファに背を預けた。

「フン・・・いかにもてめぇらしい答えだな、守銭奴よ。安心しろ・・・俺がお前の為に自分の命を危険にさらしたように、お前にも同じ事をしろって訳じゃねぇ。ただ一日、ちょっと女らしい服を着て俺の恋人として振る舞ってくれりゃいいだけだ。簡単な事だろ?それともお前には恋人がいた事もないのか」

恩着せがましく挑発的な“命の恩人”の台詞に、なまえは大きくため息をつく。
ただ、彼のさっきの言葉に理由があるのだと思えば、彼女自身不思議と落ち着くことができた。

「――――あの日、結局何がどうなったのかは分かりませんけど。その件であなたに感謝してることは確かです。ただ、王都は私の職場がある場所で、長く住んでいる街です。あなたが何を考えていらっしゃるのか分かりませんが、何か大変な事に巻き込まれるのなら困ります。どこに行かれるか、何をされるつもりかは知りませんが、それなりに知り合いもいますので」
「言っただろ、ごく簡単な事だ。お前の悪い様にはしねぇ・・・命の恩人のささやかなお願いくらい、聞いてくれたっていいだろ?」

そう言うとリヴァイは徐にジャケットのポケットに手を入れ、何かを取り出し、机の上に置いた。
引っ込められた彼の手の下から現れたのは、乗船券が一枚。
今度の休日の日付で、王都ミットラス行きと書いてある。
それを確認すると、なまえはゆっくりと乗船券からリヴァイへ視線を移した。

「・・・私はまだ了承していませんが」
「とにかく俺は、お前にこの“お願い”を聞いてもらわなきゃ困る。頭のいいお前なら分かるだろ?俺は困ってるんだ。助けてくれよ」

全く助けを求めているようには見えない彼の小さな顎は、偉そうに上を向いている。
目の前のなまえは自分を見つめたまま目を離さないので、リヴァイも彼女をじっと見つめ返した。
二人はしばらく黙ったままお互いを見つめていたが、やがてなまえはその視線を振り切るように小さく息を吐くと、手元の書類に目を落とし、再びそれを捲り始めた。



「さっきまたリヴァイと激しくやり合ったらしいじゃない」

ハンジに言われた言葉に、なまえは閉口した。
それはどうやら、この日の午前中エルヴィンとリヴァイとした打ち合わせのことを指しているらしかった。

「あのエルヴィンが腹を抱えて笑ってたよ」
「・・・そうだったかもしれません。ただ、いつものことです」

あはは、とハンジは大きく口を開けて笑った。

「大したもんだよ、なまえ。兵士でも君ほどリヴァイとやり合えるのはいないんじゃないかな」

笑うハンジになまえは肩を落とした。
そして、テーブルに広げられた、打ち合わせの終わった書類をそそくさと片付け始める。
ハンジの話が長くなりがちなことはなまえでも分かるようになっていたし、彼女はあまり、雑談が好きなタイプではなかったので。

リヴァイに“お願い”をされてから、数日が経つ。
あれ以降、彼はその件でなまえに何かを話してくるような事はなかった。
結局彼女はイエスと答えていないままだ。
ただ、なまえのデスクの引き出しにはリヴァイが残していったミットラス行きの乗船券が彼女らしく、きちんとしまわれていた。

「・・・あの人は・・・、」
「え?」

書類を揃えながら、なまえは思い出したように、ぽつりとつぶやいた。

「・・・リヴァイ兵士長は、誰にでもああなんですか?」
「そうだよ。見てりゃ分かるだろ?」
「あれが組織のトップとして適切な振る舞いでしょうか。甚だ疑問です」

口角をニッと上げると、ハンジは机の上に肘を立て両手を組み、顎を載せた。

「政府の機関で働いてるような人たちからしたら、考えられないだろうね。でも彼にはそれだけの兵士としての実力があるよ。それに、下にいるよりは気にならないでしょ?」

なまえは憚らずに呆れ顔を浮かべた。

「なまえ、君は自分から見える相手の姿だけが、その全てだと思う?」
「・・・どういう意味ですか?」
「私はなまえを知ってるけど、なまえの全てを知ってるか、分かってるかと言われたら全くそうじゃない。むしろ知らない事の方が多い。君だって私を知ってるけど、私の全てを知ってる訳じゃない。・・・君が見てるリヴァイだけが彼の全てじゃないってことが、言いたいんだけど」

書類を揃えていた手をぴたりと止めると、なまえはハンジを見た。
彼女は真っ直ぐに、意味ありげな笑みを浮かべ、なまえを見つめていた。

「――――ああ見えて、リヴァイは周りからの信頼が厚いんだ。それも、かなりね。普段はあんなのだけど、実際は心の熱い、情の深いヤツだよ。ただ私たちと違って、不器用なだけで。なまえはここにいて自分に食ってかかる彼しか知らないから、分からないのも無理はないけど」

怪訝な表情で眉間に僅かに皺を寄せると、なまえは不服そうに「そうでしょうか」と言いながら、再び手を動かし始めた。
ハンジが雑然と広げていた書類達が、綺麗に整理されていく。

「そうだなぁ。一度一緒に壁外に行けばきっと分かるよ。どう?可愛い巨人たちにも会えるし」

はぁ、と大きくため息をつきながら、なまえはすっかり揃え終わった書類の束を机に置いた。


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