兵長と守銭奴/2



なまえは一通り説明をし終わった資料の束をそれぞれクリップで留めると、それをまとめ、エルヴィンに渡した。
それぞれ20枚くらいの資料だろうか。
束は5つあるので、総計するとかなりの量になる。

「ご質問もないとのことですので、これでよろしくお願いします」

エルヴィンはそれをにこやかに受け取ると、分かったよ、と言った。
いつも通り、彼女はキリッとした表情を崩さない。
彼女は掛けていたソファから立ち上がると、訪れていた団長室から出ようとドアノブに手を掛けた。

「なまえ、今夜は忙しいかな?」

ふいに投げかけられた質問に手を止め、少しの間エルヴィンを見つめたなまえは、やはり表情を崩さずに答えた。
そういった手合いには、内地にいる頃から慣れている。

「接待でしたら結構です。馴れ合いも苦手ですのでお気遣いなく」

やれやれ、全く取り付く島がない。エルヴィンは苦笑した。

「接待じゃないよ、なまえ。ただ、仕事をする上で、もっとお互いのことを知った方がメリットがあると思わないか?」
「思いません。変な私情が挟んでくると困りますから」
「意外だな、君でもそんなことがあるのか?」
「まさか」

なまえは鼻で笑った。それも割と、感じ悪く。
するとエルヴィンはしたり顔で、ニヤッと笑った。

「そうだろう?それなら何の問題があるんだ」

彼女は少ししまった、という顔をしたので、エルヴィンは「決まりだな」とにこやかに言った。

「このレストランに、今夜18時半に。スミスの名前で予約をしてある」

胸元のポケットから赤色のカードを出すと、なまえへ差し出した。
店の名前と住所が書いてあった。

「・・・あなたと、二人ですか」

エルヴィンは吹き出すと、「まさか」と言った。

「いくら何でも、それは君に失礼だろう。私だって緊張するよ」

なまえは顔を少し赤くしたので、エルヴィンは親しみを持って笑いかけた。

「君と、リヴァイと、私だよ。どうか構えずに、気楽に食事をしよう」
「!!!」

サッと顔色が変わったなまえを見て、エルヴィンは彼女の表情がこんなにコロコロと変わるのを見たことがない、と思った。
尤も彼は、リヴァイの名前を出した場合、彼女が多少の拒否反応を示してもおかしくないとは予想していた。
何しろ、中央官僚であるなまえが調査兵団の財務監査を行う財務官として内地から3ヶ月前にこちらに派遣されて以降、二人は犬猿の仲として知られているのだから。

「すまないなまえ。ただ、リヴァイは私の次に君と係わることの多い人間だ。よりスムーズに仕事を進めるために、たまには少し場所を変えて話してみるのもどうだろう」

決して悪い提案ではないと思う、と彼は続けた。
なまえはとても気が進まないという風にエルヴィンの顔を見つめていた。

「それともなまえ、リヴァイが来ると何か都合の悪いことでも?」
「・・・いえ、そんなことはありませんが―――――」

「リヴァイにはよく言っておくから」と真面目くさった顔で彼が言うので、なまえは諦めたように、けれど極度に気の進まない顔で、「分かりました」と答えた。




(何で、リヴァイ兵士長なんかと食事なんて!)

財務官室に戻ったなまえは、広い部屋で一人頭を抱えた。
調査兵団に派遣される財務官はいつも一人で、代々与えられたこの財務官室で仕事を行っている。
仕事用のデスクに、応接セットの立派なソファにセンターテーブル。
部屋をぐるりと囲む棚は天井まで高さがあり、代々の財務官が綺麗に使っていたのだろう、何度も塗られたニスがピカピカと光り、とても高級感がある。

この部屋に訪れる人間は、かなり限られている。
財務・経理担当の責任者と、その補佐たち。
尤も彼らの提出する調査兵団に係わる財務・経理関係の資料については、量が多いのでチェックには時間がかかるが、そんなに揉めることは殆どない。
問題は、壁外調査に係わる予算申請書とその資料のチェックだ。
その為にこの部屋を訪れるのが、まず、この調査兵団のトップ、団長であるエルヴィン。
それから、ナンバー2にあたる、兵士長であるリヴァイ。
そして、分隊長のハンジやミケ。
ハンジは巨人の調査についての予算を巡りこの部屋をよく訪れるが、やはりエルヴィンやリヴァイ程ではない。
なので、財務・経理関係者と幹部たち以外は、殆どなまえと係わることがなかった。
ただでさえ一人部屋を与えられているので、調査兵団本部の中にいても、孤立しがちでもある。
彼女は彼らを追及するという自分の仕事に対してかなり厳しく、彼女にとっての最低限の良好な関係を保ってはいたが、彼らに対しての態度は常に非常にドライでビジネスライクなものだった。
元々個人主義でドライな性格の彼女にとっては友人や心許せる相手がそばにいないということは全く苦痛ではなかったし、他者に煩わされないこの環境を気に入ってさえいた。

そんな彼女が、意に反して深い関係を結んでしまった兵士が、たった一人だけこの調査兵団にいた。
それが、何を隠そう“あの”リヴァイだということに、一体誰が気付くだろうか。
こともあろうに彼女と彼は犬猿の仲だと専らの噂で、その通り彼女自身もリヴァイはこの調査兵団で一番苦手だと思っている相手だった。

なまえは“事件”の起こったソファを眺め、また、頭を抱えた。
――――そう、彼女とリヴァイは、何を隠そう、この部屋の、応接セットのあのソファで――――――

ああ!!となまえは思わず一人叫んだ。

(そんなつもりじゃなかったの!あれは、不可抗力で、事故みたいな―――――)

彼女とリヴァイは仲良くなければ、もちろん恋人同士でもない。
けれど、関係を持ってしまったのだ。
何を隠そう、“事故のような”、肉体関係を。

あれからももちろんリヴァイとなまえは何度も顔を合わせていた。
リヴァイの部屋で、エルヴィンの部屋で、本部のどこかで、そして、この部屋でも。
それはもちろん仕事の為に会っているのだけれど、リヴァイもなまえも、あの日以降、その“事件”について蒸し返すようなこともなかったし、意外なことに、リヴァイもそのことでなまえを脅迫したり、からかったり、それと引き換えに何かを要求するようなこともなかった。
だから傍目にはなまえとリヴァイに何かがあったなんて全く分からなかっただろうし、なまえ自身も悪い夢だったのではないかとすら思った。
だけど、その“事件”についてふと思い出してしまうときになまえの頭に浮かぶのはいつも、その時にリヴァイがふいに見せた、小さな、やわらかな微笑みで。
彼のその顔は、思い浮かべてしまうたびにどうしようもなく彼女の心を乱していた。

(・・・まあ、でも大丈夫だよね。エルヴィン団長もいるわけだし、あの人だって最低限の配慮はできるようだし・・・?)

そうかな、と同時に思う自分がいて、なまえは三度、頭を抱えた。






「・・・・・・一体どういうことですか」

青い顔で、なまえは“二人”分のセッティングがされたテーブルの前に立ち尽くした。
店内は飾り立てずシンプルだが、高級そうなレストランだ。
周りのテーブルには金持ちそうな客たちが満足そうに舌鼓を打っていた。
ウエイターは椅子を引いたまま、座らないなまえの顔を窺った。

「さっさと座れよ、グズ野郎」

椅子の背もたれに右肘を掛け、偉そうに足を組んで彼女を迎えたリヴァイが静かに言った。
なまえは眉間に皺を寄せたまま、背もたれにバッグを置き、彼の向かいの椅子に腰掛ける。
一度家に帰り着替えてきたのだろうか。
普段のブラウスにパンツ姿とは違い、ワンピースにカーディガンを羽織っていた。

「エルヴィン団長はどうされたんですか」
「ヤツは来ない」
「来ない!?あなたと3人で食事をするお約束だったはずです」
「仕方ないだろう、内地から客が突然来たんだ」
「内地の?それなら私だって」
「財務関係じゃねぇ。てめぇには全く関係ねぇ客だ・・・それともそっちを放っておいてお前と食事をしろとでも?」

何やら揉めている客の様子にも構わず、ウエイターは優雅な仕草でテーブルのキャンドルに火を灯した。

エルヴィンは一体リヴァイに何を「よく言って」くれたというのだろうか。
なまえはガックリとうなだれた。

「まず、この泡を。その後このボトルを」

リヴァイは慣れた様子でメニューを見ながら飲み物をオーダーをした。
すぐに運ばれてきた細いグラスをリヴァイが自分に向かって小さく掲げたので、なまえは気の進まない様子で同じように彼に向かってそれを掲げた。

(この人と二人で乾杯とか・・・何が悲しくて・・・)

リヴァイから少し顔を逸らしてグラスを口にしながら、なまえは心の中で大きくため息をついた。
すぐに小前菜がサーブされコースが始まったが、二人は特に何も話さず、黙々と料理を食べ始めた。
どちらも最初のスパークリングワインは前菜を待たずになくなり、リヴァイが注文したワインのボトルが運ばれてきた。
ラベルと差し出されたコルクをリヴァイが確認すると、ソムリエは少しのワインを彼のグラスに注いだ。
リヴァイは左腕をテーブルの上に出し、清潔感のある真っ白なシャツの袖の上でグラスを大きく傾け色を確認してからテイスティングを終えると、ソムリエが二人のグラスに美しい、ややグリーンがかった麦わら色のワインを注いだ。
あまりにも慣れた様子でスマートにリヴァイが振舞うので、なまえは逆に憂鬱になった。
・・・そう、まるで、自分が彼とデートをしているかのように錯覚してしまいそうになったので。

前菜、スープと料理は進んでいったが、リヴァイもなまえも、一言も話さなかった。
なまえはそちらの方が好都合だとさえ思っていた。
全く気の合わない彼と、一体何の話をして食卓を囲めばいいと言うのだろう、と。
ちらりとリヴァイに視線をやると、粗暴な彼は意外にもマナー良く、食事をしていた。
先程のオーダーや、ワインが運ばれてきた時のスマートな振る舞いといい、彼はこうして女性と食事をすることに慣れているのだろうか、となまえは思った。

「・・・おい、クソ守銭奴」

久しぶりにリヴァイが声を掛けたてきたので、その呼び方にムッとしたけれど、なまえは「何ですか」と答えた。
もちろん、口につけていたグラスから目を離さずに。



「お前、ヤらせろよ」



ブハッとなまえがグラスの中にワインを吹き出し盛大に咳き込んだので、周りの客は一斉になまえを見た。

「す、すみません」

彼女の「すみません」は、リヴァイに向けられたものではないことは確かだった。
膝に敷いていた白いナプキンで彼女は口を押さえ、まだ小さく咳き込んでいた。

「テメェの性格は最悪だが、俺たちの体の相性は最高だろう」

涙目で真っ赤な顔をしてまだ咳き込んでいるなまえにお構いなしで、リヴァイは言った。

「あ、あ、あ、あ、あなたね、よくもそんなこと、こんな場所で恥ずかしげもなく・・・!!!!」

なまえは声のボリュームを極力抑えながら、目を白黒とさせて答えた。そしてまだ、ナプキンで口を押さえ小さく咳き込んでいる。
ひょっとしたら、自分の真っ赤な顔を隠しているつもりなのかもしれない。

「お前も悪くなかっただろ?」

リヴァイは全く気にする様子もなくそう言うので、なまえは黙ったまま、真っ赤な顔のまま魚料理にナイフとフォークを伸ばした。

「他に、お相手がいらっしゃるんじゃないですか」
「何故だ」
「こういうお店にも随分慣れていらっしゃるようなので」
「てめぇは今までクソみたいな男とばかり付き合ってきたのか?」
「・・・あなたにどう思われようと構いませんけど、主観で失礼な事を言わないでもらえますか」

なまえはムッとしながらバターナイフを手に取った。
一呼吸置いて、ふと、思う。

「・・・兵士同士の恋人の方はたくさんいらっしゃるんでしょうね」
「まぁな」
「私には皆さんの生活とか、感じ方とか、分かりませんけど。何だか不思議な感じです」
「・・・俺たちのことを駒としか思ってねぇような野郎共には分からないだろう」
「・・・すみません、そういう訳では―――――」

リヴァイは何も答えずウエイターを呼び寄せると、赤のボトルをオーダーした。

「まあ、そう変わりはない」

メニューをウエイターに渡した彼がポツリとそう言ったので、なまえはますます罪悪感を感じた。

「・・・壁外は・・・どんなところなんですか」

なまえはリヴァイの顔色を窺うように尋ねた。

「そんなに変わらねぇよ、元々は壁の中だったところだ。少し荒れて巨人がいる、それだけだ」
「そう・・・ですよね」
「てめぇみたいなクソ生意気なクソ官僚も、壁外に行けば一瞬で巨人に喰われるだろうな。爽快な風景だ」
「巨人って、どんな風なんですか」
「・・・色んなヤツがいるがな、てめぇには関係のねぇことだ」
「まぁ・・・そうですけど」
「守銭奴のお前がそれを知ってどうする?少なくとも、物を食いながら話すことじゃねぇ」

一瞬の間を置いて、なまえは、ごめんなさい、と小さく言った。
それは余りにも残酷で、レストランで優雅に食事をしながら話せるような話ではないことが分かったから。

肉料理と同じタイミングで赤ワインのボトルが運ばれてきたので、リヴァイは先程と同じようにテイスティングをした。
いまは先程と同じように慣れた様子のリヴァイを見ても、なまえは厭味には感じなかった。


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