兵長と守銭奴/6


言いようのない恐怖に激しく打っていたなまえの心臓は、今はもうリヴァイに対してだけ、その動悸を早めているかの様に思えた。
この気味の悪い部屋の湿った空気に二人の艶っぽい吐息を溶かし合いながら、深い口づけはまだ続いている。
戸惑い気味だったなまえの唇も、今は遠慮がちに、けれども確かに、彼の唇を求めていた。
さっきまでと同じように、稲妻は幾度も二人に鋭く差しては雷鳴を轟かせ、部屋を揺らす。
それでももう、なまえの目にはリヴァイしか映っていなかった。
リヴァイの唇が、舌が、彼女を抱くたくましい腕が、彼女を恐怖から遠ざけ、彼女の瞳を彼にだけ向けさせていた。
あれほど怯えていた雷鳴に襲われても、二人の間に立てられる官能的な水音とリヴァイの色を帯びた吐息だけが、彼女の耳を支配していた。
その時なまえはただ、自分が何か大きく妖しげな衝動に溺れていくような気がした。

自分の腕の中にあるなまえの柔らかな身体が彼から与えられる刺激に甘く震えるのが、思わずその口から漏れ出る甘い声が、リヴァイをますます昂ぶらせる。
この部屋に流れている気持ちの悪い空気や甘くて妖しげな匂いは、ひょっとしたら媚薬のようなものなのかもしれないとリヴァイは思った。
もしかしたら、彼女をとびきり恐怖に陥れる、この激しい雷さえも。
一体何がどうなっているのか、これからどうなるのか、何も分からないこの逼迫した特異な状況が、互いへ向けられる熱と衝動を高めていく。
倒錯的なこの状態が、二人をより官能へと駆り立てているのかもしれなかった。

今日はリヴァイが彼女の胸元のボタンに手を掛けても、なまえが抵抗することはない。
むしろ今の彼女はそれを待ちわびていたかのようにすら思われた。
やがて器用な彼の指先がスムーズに下りていき彼女のブラウスのボタンを大方外し終わると、パンツに入れられていた裾はリヴァイによってもどかしそうに引き上げられた。
リヴァイはなまえの耳から頬、そして首筋を惑わすようにすうっと撫でながら、ここにいるどの女性兵士も身に着けないような、彼女の女性らしいブラウスの襟を除ける。
その瞬間に差した真っ白な閃光によって、姿を表した彼女の首筋は強烈に妖しく、儚げに、リヴァイの目に映った。
彼女の唇を解放すると、リヴァイは目の前にさらけ出されたその滑らかな首筋に唇を這わせる。
何度も彼女を誘惑してきたその舌に、なまえは素直に、彼をますます自分に夢中にさせる、甘い声を上げた。



その長椅子には普通よりは奥行きがある、とはいえ、そこで眠るにはあまりにも狭い。
だらりと下げた片腕を僅かに動かし薄目を開けたリヴァイは、自分に重なり眠る彼女の姿をぼんやりと確認した。

まるで二人とも、この部屋にある何かにとりつかれたようだった。
この部屋に二つの形をドロドロと溶かしていくように飽きることなく何度も交わり、意識も身体もドロドロになって、最後にはいつのまにか眠りに落ちていたらしい。
まどろんでいたのはせいぜい一時間だろう。
気だるい自分の身体に感じる他人の身体の重みが、不思議な安心感を与えるものだとは知らなかった。
普通なら考えただけで吐き気をもよおすだろう、ベトベトとした他人の肌が自分の身体にくっついているのも、今は嫌な気がしない。
むしろ、触れている人間の存在を自分に生々しく感じさせるその体温と感触に、落ち着くような気がした。

彼女の腰に回していた手をゆっくりと動かして、彼女の前髪をそっと上げる。
安らかに眠っているらしいその睫毛が少し、覗いた。
さら、と彼女の前髪が彼の指先から逃げた時、リヴァイはふと、彼らを包む空気の違和感に気付いた。

まず、窓の外は、彼女を一番恐怖に陥れていたあの尋常でない雷がぴたりと止み、何事もなかったかのような静かな夜を取り戻していた。
長細い窓には素知らぬ顔の月が覗き、穏やかな月明かりを暗い部屋に差している。
そういえば気付かなかったけれど、雷は二人がまだ交わっていた間に既に止んでいたかもしれなかった。

次に、部屋に流れる空気が明らかに変わっていた。
今ここにある空気は、あの気味の悪い、気持ちの悪い、独特の空気ではなくなっていた。
殺風景な部屋を見回してから、この部屋のドアと同じ、奇妙な装飾の施された天井を見上げる。
不思議な程にガランとして、空っぽだ。
彼らがほんの少し眠っていた間に、身体にねっとりと絡み付くように感じた程の、あの底知れぬ、気味悪く重たい空気や強烈な香りが、どこかに行ってしまったとでもいうのだろうか。
この部屋は彼の気付かぬうちに、“普通の”、“少し変わった”部屋に変化していたように感じられた。

「・・・起きろ、なまえ」

すぐ目の前にある薄い瞼は、まだ名残惜しそうにそれを開けようとしない。
僅かに開けられている彼女の唇は、色っぽくも、あどけなくも見える。
自分の胸に頭を預け無防備に眠るその寝顔をもう一度しげしげと眺めてから、リヴァイは彼女の鼻をぎゅっとつまんだ。

「ん・・・っ?!?!」

一瞬で目を見開いたなまえはすっかり目が覚めたようで、眼球がひっくり返りそうな程白黒させた自分の目の前にリヴァイを見つけると、その顔を真っ青にして、激しいショックを与えられた彼女の心臓と呼吸の一切を止めた。

「暢気なもんだな・・・あんなに怯えてたのは誰だ?」

間近にあるリヴァイの顔がいつものように意地悪く、でも、驚く程優しくも緩められたので、不意をつかれたなまえの心臓は、急に激しく、痛いほどに動きだす。
慌てて再開した呼吸も吸うのと吐くのを同時にしているかのようで、とにかく上手く息ができない。

「えっ?!あっ、あの・・・!?!」
「それともオレの上がそんなにイイのか?」

鼻をつままれたまま慌てふためき口を動かす彼女の声は、いつもの彼女の小生意気な、すましたそれとは違い、鼻にかかって何とも愛嬌がある。
初めて聞いた彼女のすっとんきょうな声に、リヴァイはますます愉快な気分になった。

「見ろ・・・様子がおかしい」

やっと彼女の鼻を解放し、鉄仮面でも被ったようにその表情をさっと普段通りのそれに戻したリヴァイは、彼女が椅子から落ちないようその身体を腕で支えてやりながら、ゆっくりと起きあがった。

――――何も、着てない!

ハッと気付いたなまえは上半身を急ぎ腕で隠しながら、どうやら自分の背中に掛けられていたらしい、リヴァイの白いシャツでとりあえず前を覆う。
普通なら絶対にそうすることのないはずの、長椅子の下に乱雑に脱ぎ捨てられた二人の服に感じる違和感が、今はどうやらさっきまでとは部屋の雰囲気が変わっていることを伝えているような気がした。

なまえはリヴァイに促されるまま部屋を見渡す。
窓の外は、呆れる程に静かな月夜。
この部屋もしんとした静けさに包まれている。
二人を襲っていたあの激しい雷など、まるで異世界で起こった出来事だったかのようになまえには感じられて、何かに化かされたような気にすらなった。
彼女は長椅子に腰掛けたまま半ば呆然と、すっかり穏やかになってしまった外の景色と、確かに何かが変わったように感じられるこのガランとした、静かな部屋を見回している。
まるで、突然動きだした動かないはずの人形が、突然動かなくなったような。
今のこの部屋には、そんな不思議な空虚さと、さっきまでとはまた違った、不気味さがあった。

シャツをなまえに貸した格好のリヴァイは、上半身には何も纏わぬまま下にパンツを履いた。
ささやかな月明かりが彼のたくましい上半身を照らして陰影を作り、何ともセクシーに、その身体を薄暗い部屋に浮かび上がらせた。
リヴァイは徐にドアへ近寄ると、その琥珀のようなドアノブに手を掛ける。
一瞬目を丸くした後、リヴァイはまだ呆然としているなまえを振り返った。

「・・・なぁ、守銭奴。見ろよ」

ゆっくりと、リヴァイの腕が引かれる。
一緒にこの部屋の奇妙な柄のドアも、ギィ、といかにも古めかしくて“普通のドアらしい”音を立てながら、ゆっくりと、彼に引き寄せられた。
開いていくそこから差し込む外の柔らかな光が、どんどん大きくなっていく。

「――――!」

目を大きく開けて、なまえは開いたドアの向こうに、見慣れた本部の廊下であるらしい景色が広がっていくのを見た。
自分が今あられもない格好をしていることも、すっかり忘れて。

――――ドアが、開いた。
さっきはリヴァイが何をしたって開かなかったというのに。

「言っただろ、世界で一番セックスの上手い男とヤればこの部屋から出られると」

ドアを開け放したまま彼が真顔でそう言ったので、なまえは彼の言葉を咀嚼するのに一瞬間を置いた後、すっかり呆れて目を細めた。
彼の下品で下らない台詞に呆れたし、そもそも彼はさっき確かに「世界で一番嫌ってる男と」、と言ったはずだった。

「・・・リヴァイ兵士長、まさか手の込んだいたずらで私を騙した訳じゃないですよね?」
「・・・そうだと思えるてめぇの能天気で平和な頭が羨ましいぜ」

そう言うとリヴァイは念のため古ぼけたテーブルを運び、ドアが閉まらないようそれを挟んだ。

(・・・出られる―――出られるんだ)

なまえはその時やっと、その胸を撫で下ろした。
状況はさっぱり分からない。
けれどどうやら自分はこの部屋から出られるようになったらしい。
ほっとした様子で彼女はやっと、穏やかな呼吸を始める。
やがて目の前に立ったリヴァイが、すっと、彼女へ右手を差し出した。

「・・・・・・?」

目の前にあるその手のひらを、なまえはまじまじと見つめる。
リヴァイが差し出したその手に一体どんな意味があるのか、分からなかったからだった。
まじまじと見つめるその手はこの暗い部屋に白く浮かび上がり、彼女に揃えて向けられる指先は男性としては細く感じられて、綺麗だ。
彼の手を見つめ、それからその指先から、しなやかでたくましい腕、がっしりとした肩、首を辿り、自分を見下ろす彼の静かな顔を見つめた後、もう一度その視線をゆっくりと下ろすと、なまえは戸惑いながらも、その手を弱く、掴んだ。
自信無く掴んだ彼の手は、ひんやりとしていた。
月明かりにそっと濡らされる、頼り無く、でも、確かに繋がれている二人の手を、リヴァイもまた彼女と同じように、じっと見つめる。
その彼の瞳に、触れている彼の手に、高鳴らせてしまった自分の胸を、なまえはやっぱり悔しく思った。
ドキドキと騒ぐ心臓と一緒に、自分の身体も、彼の手と繋がれている自分の手も、一緒に脈打っているような気さえした。

(・・・一体、何を考えて――――・・・)

「違う」

リヴァイはさっき被った鉄仮面の表情を全く変えず、呟くように言った。
何を言われているのか分からず、なまえは彼を見つめるその目をパチパチと、少し間の抜けた感じで、瞬きさせた。

「・・・違う。お前が大事に抱えてるオレのシャツを寄越せ」
「!!!!!――――す、」

すみません!
となまえは顔を真っ赤にして叫んだ。
急に、半裸の彼の姿を直視できなくなる。
繋いだ手を素早く離し、長椅子の下に落ちていた自分の服をかき集め彼に背中を向けると、リヴァイに急ぎシャツを差し出した。
後ろから覗く彼女の真っ赤な耳に、リヴァイはフン、と鼻を鳴らしてニヤリと笑う。

「またいつ出られなくなるか分からねぇ・・・さっさと着替えろよ」

後ろから聞こえた彼の声に少しだけ笑いが混じっているのが分かったのだろう。
なまえは「分かってます!」と眉を吊り上げ、変な勘違いをしてしまった自分への恥ずかしさを誤魔化すように、少しだけ声を強めて、応えた。


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