兵長と守銭奴/6*R18
その長椅子には普通よりは奥行きがある、とはいえ、そこで眠るにはあまりにも狭い。
だらりと下げた片腕を僅かに動かし薄目を開けたリヴァイは、自分に重なり眠る彼女の姿をぼんやりと確認した。
まるで二人とも、この部屋にある何かにとりつかれたようだった。
この部屋に二つの形を溶かしていくかのように飽きることなく何度も交わり、意識も身体もドロドロになって、最後にはいつのまにか眠りに落ちていたらしい。
まどろんでいたのはせいぜい一時間だろう。
気だるい自分の身体に感じる他人の身体の重みが、不思議な安心感を与えるものだとは知らなかった。
普通なら考えただけで吐き気をもよおすだろう、ベトベトとした他人の肌が自分の身体にくっついているのも、今は嫌な気がしない。
むしろ、触れている人間の存在を自分に生々しく感じさせるその体温と感触に、落ち着くような気がした。
彼女の腰に回していた手をゆっくりと動かして、彼女の前髪をそっと上げる。
安らかに眠っているらしいその睫毛が少し、覗いた。
さら、と彼女の前髪が彼の指先から逃げた時、リヴァイはふと、彼らを包む空気の違和感に気付いた。
まず、窓の外は、彼女を一番恐怖に陥れていたあの尋常でない雷がぴたりと止み、何事もなかったかのような静かな夜を取り戻していた。
長細い窓には素知らぬ顔の月が覗き、穏やかな月明かりを暗い部屋に差している。
そういえば気付かなかったけれど、雷は二人がまだ交わっていた間に既に止んでいたかもしれなかった。
次に、部屋に流れる空気が明らかに変わっていた。
今ここにある空気は、あの気味の悪い、気持ちの悪い、独特の空気ではなくなっていた。
殺風景な部屋を見回してから、この部屋のドアと同じ、奇妙な装飾の施された天井を見上げる。
不思議な程にガランとして、空っぽだ。
彼らがほんの少し眠っていた間に、身体にねっとりと絡み付くように感じた程の、底知れぬ気味悪く重たい空気や強烈な香りが、どこかに行ってしまったとでもいうのだろうか。
この部屋は彼の気付かぬうちに、“普通の”、“少し変わった”部屋に変化していたように感じられた。
「・・・起きろ、なまえ」
すぐ目の前にある薄い瞼は、まだ名残惜しそうにそれを開けようとはしない。
僅かに開けられている彼女の唇は、色っぽくも、あどけなくも見える。
自分の胸に頭を預け無防備に眠るその寝顔をもう一度しげしげと眺めてから、リヴァイは彼女の鼻をぎゅっとつまんだ。
「ん・・・っ?!?!」
一瞬で目を見開いたなまえはすっかり目が覚めたようで、眼球がひっくり返りそうな程白黒させた自分の目の前にリヴァイを見つけると、その顔を真っ青にして、激しいショックを与えられた彼女の心臓と呼吸の一切を止めた。
「暢気なもんだな・・・あんなに怯えてたのは誰だ?」
間近にあるリヴァイの顔がいつものように意地悪く、でも、驚く程優しくも緩められたので、不意をつかれたなまえの心臓は、急に激しく、痛いほどに動きだす。
慌てて再開した呼吸も吸うのと吐くのを同時にしているかのようで、とにかく上手く息ができない。
「えっ?!あっ、あの・・・!?!」
「それともオレの上がそんなにイイのか?」
鼻をつままれたまま慌てふためき口を動かす彼女の声は、いつもの彼女の小生意気な、すましたそれとは違い、鼻にかかって何とも愛嬌がある。
初めて聞いた彼女のすっとんきょうな声に、リヴァイはますます愉快な気分になった。
「見ろ・・・様子がおかしい」
やっと彼女の鼻を解放し、鉄仮面でも被ったようにその表情をさっと普段通りのそれに戻したリヴァイは、彼女が椅子から落ちないようその身体を腕で支えてやりながら、ゆっくりと起きあがった。
――――何も、着てない!
ハッと気付き、なまえは上半身を急ぎ腕で隠しながら、どうやら自分の背中に掛けられていたらしい、リヴァイの白いシャツでとりあえず前を覆う。
普通なら絶対にそうすることのないはずの、長椅子の下に乱雑に脱ぎ捨てられた二人の服に感じる違和感が、今はどうやらさっきまでとは部屋の雰囲気が変わっていることを伝えているような気がした。
なまえはリヴァイに促されるまま部屋を見渡す。
窓の外は、呆れる程に静かな月夜。
この部屋もしんとした静けさに包まれている。
二人を襲っていたあの激しい雷など、まるで異世界で起こった出来事だったかのようになまえには感じられて、何かに化かされたような気にすらなった。
彼女は長椅子に腰掛けたまま半ば呆然と、すっかり穏やかになってしまった外の景色と、確かに何かが変わったように感じられるこのガランとした、静かな部屋を見回している。
まるで、突然動きだした動かないはずの人形が、突然動かなくなったような。
今のこの部屋には、そんな不思議な空虚さと、不気味さがあった。
シャツをなまえに貸した格好のリヴァイは、上半身には何も纏わぬまま下にパンツを履いた。
ささやかな月明かりが彼のたくましい上半身を照らして陰影を作り、何ともセクシーに、その身体を浮かび上がらせた。
リヴァイは徐にドアへ近寄ると、その琥珀のようなドアノブに手を掛ける。
一瞬目を丸くした後、リヴァイはまだ呆然としているなまえを振り返った。
「・・・なぁ、守銭奴。見ろよ」
ゆっくりと、リヴァイの腕が引かれる。
一緒にこの部屋の奇妙な柄のドアも、ギィ、といかにも古めかしくて“普通のドアらしい”音を立てながら、ゆっくりと、彼に引き寄せられた。
開いていくそこから差し込む外の柔らかな光が、どんどん大きくなっていく。
「――――!」
目を大きく開けて、なまえは開いたドアの向こうに、見慣れた本部の廊下であるらしい景色が広がっていくのを見た。
自分が今あられもない格好をしていることも、すっかり忘れて。
――――ドアが、開いた。
さっきはリヴァイが何をしたって開かなかったというのに。
「言っただろ、世界で一番セックスの上手い男とヤればこの部屋から出られると」
ドアを開け放したまま彼が真顔でそう言ったので、なまえは彼の言葉を咀嚼するのに一瞬間を置いた後、すっかり呆れて目を細めた。
彼の下品で下らない台詞に呆れたし、そもそも彼はさっき確かに「世界で一番嫌ってる男と」、と言ったはずだった。
「・・・リヴァイ兵士長、まさか手の込んだいたずらで私を騙した訳じゃないですよね?」
「・・・そうだと思えるてめぇの能天気で平和な頭が羨ましいぜ」
そう言うとリヴァイは念のため古ぼけたテーブルを運び、ドアが閉まらないようそれを挟んだ。
(・・・出られる―――出られるんだ)
なまえはその時やっと、その胸を撫で下ろした。
状況はさっぱり分からない。
けれどどうやら自分はこの部屋から出られるようになったらしい。
ほっとした様子で彼女はやっと、穏やかな呼吸を始める。
やがて目の前に立ったリヴァイが、すっと、彼女へ右手を差し出した。
「・・・・・・?」
目の前にあるその手のひらを、なまえはまじまじと見つめる。
リヴァイが差し出したその手に一体どんな意味があるのか、分からなかったからだった。
まじまじと見つめるその手はこの暗い部屋に白く浮かび上がり、彼女に揃えて向けられる指先は男性としては細く感じられて、綺麗だ。
彼の手を見つめ、それからその指先から、しなやかでたくましい腕、がっしりとした肩、首を辿り、自分を見下ろす彼の静かな顔を見つめた後、もう一度その視線をゆっくりと下ろすと、なまえは戸惑いながらも、その手を弱く、掴んだ。
自信無く掴んだ彼の手は、ひんやりとしていた。
月明かりにそっと濡らされる、頼り無く、でも、確かに繋がれている二人の手を、リヴァイもまた彼女と同じように、じっと見つめる。
その彼の瞳に、触れている彼の手に、高鳴らせてしまった自分の胸を、なまえはやっぱり悔しく思った。
ドキドキと騒ぐ心臓と一緒に、自分の身体も、彼の手と繋がれている自分の手も、一緒に脈打っているような気さえした。
(・・・一体、何を考えて――――・・・)
「違う」
リヴァイはさっき被った鉄仮面の表情を全く変えず、呟くように言った。
何を言われているのか分からず、なまえは彼を見つめるその目をパチパチと、少し間の抜けた感じで、瞬きさせた。
「・・・違う。お前が大事に抱えてるオレのシャツを寄越せ」
「!!!!!――――す、」
すみません!
となまえは顔を真っ赤にして叫んだ。
急に、半裸の彼の姿を直視できなくなる。
繋いだ手を素早く離し、長椅子の下に落ちていた自分の服をかき集め彼に背中を向けると、リヴァイに急ぎシャツを差し出した。
後ろから覗く彼女の真っ赤な耳に、リヴァイはフン、と鼻を鳴らしてニヤリと笑う。
「またいつ出られなくなるか分からねぇ・・・さっさと着替えろよ」
後ろから聞こえた彼の声に少しだけ笑いが混じっているのが分かったのだろう。
なまえは「分かってます!」と眉を吊り上げ、変な勘違いをしてしまった自分への恥ずかしさを誤魔化すように、少しだけ声を強めて、応えた。
リヴァイは彼女より先に着替え終わるとドアに挟んでいたテーブルをどかし、入り口に立ってもう一度部屋を見回した。
片手にはちゃんと、ペトラとオルオと苦労して作った資料が握られている。
―――本当に奇妙な、気味の悪い部屋だった。
ここで今夜二人に起こった全てのことは、恐らく誰にも理解されないだろうし、永遠に謎のままだろう。
深い色のその瞳にリヴァイが一通りその部屋の景色を映し終えた時、お待たせしました、となまえが彼に静かに近寄った。
「・・・忘れ物はねぇな」
「・・・はい」
ドアから手を離すと、リヴァイは彼女を部屋の外に出るよう促した。
部屋を出る瞬間、なまえは振り返って、もう一度だけ、部屋の中を見渡した。
まるで、もう二度とここに辿り着くことがないことを分かっているかのように。
部屋の外に出てほっとした様子のなまえを確認すると、リヴァイはもう一度部屋の中を見回した。
すると、小さな違和感を感じる。
それはどうやら、テーブルの上にある物によってもたらされているようだった。
(・・・どういうことだ)
さっきまで、テーブルの上には何も置かれていなかったはずだ。
彼がテーブルをどけてなまえが今この部屋を出るまでの間に、それが突然現れたというのだろうか。
部屋に差し込む月明かりは、一筋にそれを差しているように思えた。
濡れるように光る濃い紫のビロードに覆われているそれからは、少し、その脚と台座が覗いている。
それが支えているのは大体、人の頭より一回り大きいくらいの楕円の、板のように平べったいものに思えた。
ひょっとしたらリヴァイにはそれが何であるのか、分かっていたのかもしれない。
引き寄せられるようにそれに近付くと、リヴァイはそのビロードを、ゆっくりと、持ち上げた。
僅かに見えていた台座と脚がその姿をゆっくりと現していく。
「!」
やがてその本体に差し掛かると、リヴァイの目には繊細な細工の施された枠と、それに大人しく嵌まっている、磨かれた金属のようにぴかぴかとした、滑らかなその表面の端が映った。
ぴた、と一瞬手を止めた後、やはり全くその表情を変えないリヴァイは、それを覆い隠していたビロードをすっかり捲り上げる。
――――姿を現した妖しく光るその銀盤からは、“顔”が覗く。
それはまるで、リヴァイに覗かれるのを待ちわびていたかのように、彼の目を真っ直ぐに、見つめていた。
「――――――・・・・・・」
「・・・リヴァイ兵士長?」
息を飲みビロードを捲り上げたまま立ち尽くしていたリヴァイはなまえにその名を呼ばれはっとすると、持ち上げていた布をさっと下ろした。
「・・・何でもねぇ・・・さっさと行くぞ」
ドアに手を掛けたまま、なまえは不安そうな面持ちで彼を見つめている。
振り向くと、リヴァイは彼女の顔をまじまじと見つめた後、何事も無かったかのように部屋を出た。
ドアが閉じられていくとき、徐々にその姿を扉に隠していく部屋の風景を、二人はただ黙り、見つめた。
ガチャ、と、“いかにも普通”なドアの閉まる音がする。
ほんの一刻、その奇妙な柄のドアを眺めてから、二人はそこから離れ、歩きだした。
「見ろ」
階段を降りようとしたとき、リヴァイの声になまえは初めてそのドアを振り返った。
あの部屋に対する言い知れない恐怖が彼女を支配して、それを振り返るのを拒んでいたからだった。
「・・・・・・!」
なまえは驚き、目を見開いた。
そこにはただ、いつも通りの、見慣れた本部の愛想のない、堅苦しい廊下が続いている。
あの奇妙な部屋のドアはすっかり、その姿を消していた。
「お前のせいで本当にえらい目に遭った」
無事に渡した書類は、さすがに明日見ることにしたらしい。
リヴァイとなまえは、彼女の家へと2つの影を並べて歩いていた。
「オレがいなければどうなってたと思う」
フン、とリヴァイは鼻を鳴らした。
彼からすればいつものにくまれ口のつもりだったかもしれないが、なまえは確かにそうかもしれない、と思った。
未だに、自分が何故あの部屋に引き寄せられてしまったかは分からない。
そしてあの部屋の謎も、何故二人が部屋を出られるようになったのかも。
何もかも分からないことだらけだし、考えても仕方ないことだというのも、非現実的な、非科学的なことを嫌う彼女にもよく分かっていた。
「お前のせいで、オレは今ひどく疲れてる・・・お前の立派な家で休憩させろよ、守銭奴」
彼女の立派なアパートの前に着くとリヴァイが懲りもせずお決まりの台詞を言ったので、なまえはぐったりとした身体に憚らず辟易とした表情を浮かべた。
「・・・今日は本当にご迷惑をお掛けしてしまったみたいで・・・すみませんでした。本当に感謝しています。ただ今日は生憎お茶が切れてますので、残念ですがどうぞお引き取り下さい。大変お疲れのところわざわざお送り下さってありがとうございました。では、!」
さっと身を翻しその場から逃げだそうとしたなまえは、その腕をリヴァイに掴まれバランスを崩す。
あっという間に彼女は、リヴァイの小柄でたくましい胸の中に収まっていた。
「おい、なまえ・・・そのうちまたあの部屋に連れていってくれよ。そしたらまためちゃくちゃエロい顔したお前が、今夜みたいにめちゃくちゃエロい事を沢山させてくれるんだろ?」
「―――!!!!!」
彼女のつれない態度への仕返しとばかりに耳に息を吹き掛けるようにリヴァイに囁かれたその言葉で、なまえは一瞬で全身の毛が逆立ち、身体は棒にでもなったかのように硬直する。
リヴァイは彼女を抱きしめていたその腕を少し緩めると、やがて現れた、真っ赤に固まったその顔に、構わず唇を重ねた。
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