兵長と守銭奴/6


「あの・・・どうしたらいいんでしょうか・・・」

普段憎たらしい程に表情を変えることのないなまえが今、言い知れぬ不安に駆られていることは明らかだった。
おどおどとリヴァイに話しかけ、部屋の中を見回してばかりいる。
自ら動くことをすっかり諦めたリヴァイはいつも通り長椅子にどかっと腰掛け、傍らに落ち着かない様子で立ち尽くしているなまえを詮ない顔で見上げた。

「どうしようもねぇよ。お前も見てただろ?ドアも窓も、何をしたってびくともしねぇ・・・普通じゃねぇんだよ、ここは」

この部屋の重たくて湿っぽい、陰鬱とした独特の濁った空気が肌にまとわりつく。
何かの香でも焚かれているかのような、妖しげで濃厚な、むせぶような強い香りが充満していた。

今までありとあらゆる修羅場を見てきたはずのリヴァイにも、この部屋に漂う異様な空気は全く得体の知れない、不気味なものに感じられた。
昨日ペトラの話していた、例の部屋の話を思い出す。
馬鹿らしいと思いながらも部屋を見回し、リヴァイはここに鏡が無いことを確認した。
鏡が無い、すると、元よりその話を信じていた訳ではないが、この気持ちの悪い部屋は彼女が話していた呪いの部屋とは違うということだろうか。

「・・・まぁ座れよ。つっ立ってても何も変わりゃしねぇ」

違うか?と言いながら、リヴァイは自分の座る長椅子の隣を顎で指した。
どうしようもなく落ち着かない様子で、それでも彼の言葉に同意したのか、なまえはリヴァイから最大限に距離を取った、長椅子の一番端に座った。

「守銭奴よ、この本部にあるらしい呪いの部屋ってのを聞いたことはあるか?・・・まぁ、いかにも友人の無さそうなてめぇには無いだろうが」

その質問に、なまえはただ不安な表情を浮かべたまま押し黙った。
この部屋にいなければ、付け加えられたいつもの余計な一言は置いておいて、なまえは「馬鹿馬鹿しい」とリヴァイの話を一蹴していたに違いない。
彼女は見ての通り、非科学的なことは信じないのが信条らしいので。

「オレは信じちゃいねぇが、ここにはそういう噂があるらしいぜ・・・どうする?オレとお前と、死ぬまでここに閉じ込められたままかもな。餓死か何か知らねぇが」

死人だけは多い組織だ。何があってもおかしくない――――リヴァイはそう付け加えたが、なまえの耳にはしっかりそれは入ってこなかった。
彼女はただ動揺していた。
最近確かに意識が途切れることが何度かあった。
けれど、それを不思議に思うことはあっても彼女の身に極端な何かが起こっていた訳ではなかったから、連日の睡眠不足のせいなのだろうかと思うくらいで、特に気にはしていなかった。
しかし今、自分の意識は最近そうであったように仕事をしているうちにぷつりと途切れ、その間にこの部屋に自ら入っていったことが引き金でこんな状況に陥ってしまったらしい。
さっき必死にここから脱出しようとしていたリヴァイの様子から言って、いくら彼でも自分がこの部屋に自ら入っていったと証言したことは、嘘ではないだろう。

(・・・そういえばこの間、気が付いたらどこかの廊下に立っていたことがあった)

思えばそれらは全て、今起こっていることの前触れだったのかもしれない。
自分の無意識がこんな事態を引き起こしてしまったというのだろうか。
けれど今目の前にある全てに見覚えも無ければ、心当たりも全く無い。
ただ、今まで自分が見聞きし作り上げてきた全てのことが現状を計る判断基準にならなければ全く頼りにもならない非現実的な状態に自分の身が置かされているということは、自覚せざるを得なかった。

(夢・・・じゃないのかな)

どきん、どきんと心臓は痛み、この部屋のよどんだ空気いっぱいに漂う妖しく強い香りに、頭痛さえ引き起こされている。
身体は不思議な痺れに包まれて、外側の熱を奪われているような気がした。

「!」

必死に頭の中に考えを巡らせていた時、なまえは突然その腕を引っ張られ、彼の方へと引き寄せられた。
体制が崩れ、驚き顔で自分を見上げたなまえに、リヴァイはニヤリと笑った。

「その呪いの部屋だが・・・世界で一番嫌ってる男とヤれば、解放されるらしいぜ」
「・・・こんな時に冗談はやめてください」

思い切り眉間に険しい皺を作ると、なまえは彼を睨み付けた。
こんな時にあなたは一体何を言い出すんですか、と。
けれどリヴァイは全く悪びれない(しかも彼は、自分ででっち上げた適当な嘘をついているというのに)。
リヴァイは彼女の腕を掴んだまま、余裕の笑みを浮かべていた。

「オレはつい昨日、部下からその話を聞いたばかりだ・・・その時は全く、信じもしなかったがな」
「・・・非、科学的です」
「いかにもてめぇらしいな、守銭奴よ。ただ、今オレ達の目の前に起こってることはどうやら現実らしいぜ」

なまえはリヴァイを睨んだまま、黙った。
これが夢でないとしたら、本当に手の打ちようのない状態だ。
そもそも彼は、この部屋に自ら入ってきたらしい自分を追いかけてここに入ってしまったらしい。
それが本当なら、彼は自分を心配してここに来てくれたはずだ。
そう思うと、いつも通りの彼の悪態に嫌悪感を露わにするのも少し違う気がする。
何かを諦めたようにため息をつくと、なまえは険しく寄せられていた眉根を弱々しく緩めて、彼から視線を外した。

「試してみるか?どうせ他にやることもねぇんだ。楽しもうぜ」

リヴァイの顔が自分に近付いてくる。
いい加減にしてください、と彼女がうんざり顔で答えた時、真っ暗な部屋の中が突然、一瞬、真っ白に光った。

「!!!!!」

その瞬間、バリバリと耳をつんざくような轟音が響く。

「・・・さっきまで雲一つなかったはずだが」

少なくともついさっき、この部屋に入ってしまうまでは、外は綺麗な月の浮かぶ、穏やかな夜だったはずだ。
やがて雷雲が起こり、こんなにも激しい雷が落ちるはずもないような。
なおも窓の外にピカピカと遠く光る閃光を眺めながらリヴァイは隣に座る彼女に目を移すと、血の気の引いた真っ青な顔のなまえは、長椅子に崩れた体勢のまま両耳を塞いで、身を縮めていた。

「・・・そういえばお前、雷が苦手だったな」

ゴロゴロと、地を響かせるような音が聞こえてくる。
必死に耳を押さえるなまえは、まるで怖いものに怯える幼子のように、目を力一杯綴じて小さく震えていた。

「ほら見ろ、オレの言うことを聞かないからこうなるんだ」
「バ・・・バカなことを言わないで下さい!大体あなたが―――――――」

尋常じゃなく怯えている彼女にも嬉々として邪な誘いを上乗せするリヴァイに、なまえは気丈に言い返そうとしたのだが。
なまえが彼に噛み付こうとした時、再び激しい閃光が部屋に射した。
反射的になまえは身構え、その音に悲鳴を上げる。

「きゃあああああ・・・!!」

部屋を揺らすほどの落雷が、彼女をただパニックに陥らせる。
隣で体をすくめてガタガタと震えているなまえを、リヴァイは面白そうに眺めた。

「てめぇが取り乱すのを見るのは、いつだって楽しいもんだな」

全身を恐怖に震わせながらも、この人は何て人でなしなんだろう!となまえは思った。
リヴァイには雷に怯える自分を気遣うつもりなどさらさら無いらしい。
むしろ、楽しんでいるようにすら思える。いや、現に楽しんでいるらしい。
部屋はまた、その一瞬を切り取るかのような白く激しい光に襲われ、すぐに、普通では考えられない程の強い雷鳴が轟く。
ぎゅっと結び堪えようとしていた彼女の口からはまた大きな悲鳴が出て、雷にピリピリと揺れる室内にこだました。

「もう・・・訳が分からないです・・・一体何が起こって、どうしたらいいのか――――――!!」

彼女が取り乱してリヴァイにすがるように叫んだとき、また、激しい光が二人を一瞬、照らす。
切り取られたようにリヴァイの目に映ったなまえの目には涙が光り、大きく見開かれていた。
彼女を脅したいかのように、ますます地を裂くような雷鳴が響く。
顎をリヴァイに取られたなまえの口からは、今度は悲鳴が出ることはなかった。

「・・・・・・・・・」

塞がれたリヴァイの口からは彼の舌が伸びてきて、彼女の口の中を舐め溶かすようにやさしくねっとりと動かされる。
なまえは半ば呆然として、無抵抗にそれを受け入れていた。
彼の手はなまえの頬から後頭部を優しく包んでいる。
絡まされた舌は、痺れるような、甘い刺激を彼女に伝えて、見開かれたままのなまえの目から、恐怖の度合いを少し、弱めた。
彼女の唇を味わうように、リヴァイは自身の唇を焦れったく動かす。
その合間に互いの吐息が漏れ出るようになった頃、彼は僅かに唇を離した。

「・・・前にもこんなことがあったな」
「・・・・・・・・・」

睫が当たるんじゃないかと思うくらいすぐ目の前にある彼の瞳が、穏やかに、ほんの少しだけ、細められる。
彼女の目には、リヴァイだけが映っていた。

「――――そんなに雷が怖けりゃ、せいぜい耳を塞いでオレだけ見てろ」

吐息を漏らすように囁かれた彼の声は、響く遠雷よりもずっとしっかりと彼女の耳に届いて、言うことを聞かない彼女の胸を、切なく疼かせる。
なまえが悔しい気持ちになるよりも早く、リヴァイは彼女を抱き寄せ、その唇で再び彼女の唇を貪るように、塞いだ。


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