兵長と守銭奴/5




カーテンを通して部屋にやわらかく入り込んでくる朝日でも、今日はそれに頭を突き刺されるようにすら感じられた。
ズキンズキン、と頭に重くて鋭い痛みが走る。
頭痛と喉元に何かが迫ってくるような気持ち悪さが込み上げて、今日はとても朝食なんて食べられそうにない。
顔を押さえてローブを力なく羽織ると、なまえはクローゼットに向かった。
ナイトウェアのボタンに手を掛けたとき、自分は昨日どうやって帰ってこのナイトウェアを着ただろうか、と途切れている記憶に気が付く。同時に、下半身の違和感にも。
はっとして確認してみると、履いていないことなどありえないはずのショーツが履かれていないので、なまえは目をぎょっとさせた。
どんなに疲れていても体を洗わなければベッドに入りたくない性質だから、こうやってナイトウェアを着ているということはちゃんと風呂に入ったはずだ。
鏡を覗き込むと彼女の髪はきちんと乾かさずに寝たときのようにぐしゃぐしゃとしていて、確かに昨日風呂に入ったことを証明してくれるものではあったものの、なまえの気分をますます滅入らせ、混乱させた。

(酔って朦朧としながらお風呂入ったのかなぁ・・・何がどうだったか全然覚えてない)

昨夜リヴァイに連れられてバーに入ったところまでは記憶があるものの、それ以降はぷっつりと記憶が途絶えている。
前科があったので彼と一緒に酒を飲むからと少し警戒をしていたつもりだったけど、今のところ部屋にはこの間のように目覚めてすぐに分かる程の異変もないようだし、自分はきちんとパジャマを着てベッドに一人で寝ていた。
想像したくもないけれど、彼にいつものように流されてしまったのであれば、この間のように目が覚めたらすぐにそうだと分かるシチュエーションが広がっているはずだ。
けれど昨夜のことをよく思い出そうとすると、ますます頭痛がひどくなる。
とりあえず準備をして、仕事に出かけなければとなまえは不安に駆られて自分の記憶をたどる作業を中断することにした。



“出勤したら私の研究室に来て―――ハンジ”

たくさん飲んだ水で多少マシになった頭痛を引きずり何とか出勤したなまえは、ハンジが彼女の机に朝一番に残したのであろうメモを見つけると、浮かない表情をつくった。
彼女と話をするのは嫌ではないけれど、自分のいまの状態からすると、常にテンションの高い彼女にこれから会いに行くというのはかなりハードルが高いことのように思われた。
けれど、二日酔いをするほど昨夜飲んでしまったのは自分の責任で、そのせいで仕事を疎かにするなんて許されない。
重たい体をもたげて、なまえはハンジの部屋に向かった。

「いやぁ、朝から悪いねぇ!」

勢い良くドアを開けて出迎えたハンジは、なまえが危惧した通り朝からとてもテンションが高い。
なまえは頭を抑えて血色の悪い顔に引き攣り笑いを浮かべると、ズキズキとする頭に響かないよう、小さな声で彼女に弱々しく訴えた。

「す・・・すみません、ハンジ分隊長。今日頭痛がひどくて・・・もう少し小さな声でお願いできますか・・・」
「えぇ?大丈夫?打ち合わせは後にした方がいいかなぁ・・・ねぇ、リヴァイ」

ハンジが部屋の中へと視線をやった先をたどって、なまえはドキリと心臓と一緒に身を縮めた。
昨夜の記憶がない以上、できれば(普段以上に)しばらく見たくなかった顔だ。

「二日酔いとはいいご身分だな。爽やかな朝にてめぇが辛気臭ぇツラしてるとますます清々しい気分になるぜ、守銭奴よ」
「二日酔い?あぁ、そういえば昨日、新しい出資者とリヴァイとなまえで会食をしたんだっけ」

部屋の奥に置かれたミーティングテーブルでいつも通り背もたれに行儀悪く片腕を掛けて座るリヴァイは、顎を偉そうに上げてなまえを眺めていた。
朝から嬉々として悪態をつかれると、先程までの不安も、怒りも呆れも起こらずにげっそりとした気分になる。
気は進まないが嫌なことは先に済ませておいたほうがいい。
大丈夫です、となまえはハンジに言った。

「呼び立てちゃってごめんね。この間の話の続きでね・・・さぁ、座って」

つい先日も、この部屋で三人で打ち合わせをしたばかりだった。
リヴァイの言葉を結局無視した形のなまえはハンジに促されるまま、ミーティングテーブルにつく。
気が進まないもののリヴァイの隣の椅子を引き、やはりそれを彼から少し離して置きなおすと、そこに腰掛けた。



じゃあこんな感じで書類を作るよ、とハンジは言いながらテーブルに広げていたたくさんの書類をまとめ始めた。

「そうですね・・・提出自体は恐らくそれで大丈夫かと思います。申請が通るかどうかは分かりませんが」

いつもの調子で釘を刺すことを忘れないなまえに、リヴァイはチッと大きな舌打ちをした。
ハンジはそんなことは全く気にせず笑顔を作った後、彼女の一向に優れない顔色をじっと見る。

「なまえ、昨夜はそんなに飲んだの?君でも二日酔いする程飲むことがあるんだねぇ」
「そんなに飲んだような気はしないんですけど・・・会食以降の記憶が全然なくて・・・。」

青い顔をしたなまえは口元を軽い拳で押さえると、喉元に迫る気持ち悪さを払うように、小さく咳払いをした。

「あぁ・・・随分迷惑したぜ、お前の介護には」

隣に座るリヴァイの言葉に、なまえはぎょっと目を見開いた。
隠れていた不安が一気に蘇ってくる。

「か、介護・・・?!」

それが一体どういう意味なのか、聞きたいような、決して聞きたくないような。
続いて彼が何と言いだすのか全く予測がつかないが、いい予感だけはしない。
なまえは自分の体からさっと熱が奪われたような気がした。

「本当に何も覚えてねぇのか・・・めでたい頭だ。連れて行ってやったバーで散々オレに絡んできやがって・・・あしらうのに随分苦労した」
「はっ・・・はぁっ・・・!?!」

信じられない彼の言葉に、なまえは顔面蒼白でリヴァイをぎょっと見て叫び、思わず椅子から立ち上がった。
自分の大きな声にズキンと頭が痛んだので、少し遅れてなまえは頭を押さえ続く言葉を探す。
彼の言葉を嘘だと思いたいけれど、自分自身不安に思っていたこともあったし何しろ本当に記憶がないのだから、何も反論する事ができない。
一体自分は昨日リヴァイに連れられて入ったバーからナイトウェアを着こんでベッドに入るまで、一体何をしでかしてしまったのだろうか。
嫌な予感しかせず考えるのも恐ろしくて、彼女は肌が泡立つ様な感覚にすらなった。
ズキズキ痛む頭を押さえて立ち尽くすなまえは、頭がクラクラとさえしてきたので力なく机に片手をつきただうなだれた。

「ベロベロに酔っ払いやがって・・・オレがいなけりゃどうなってたと思う」
「・・・あ・・・あの・・・そ、それって、私、どんな・・・いえ、でも、私・・・そんな――――」
「なになに、会食の後二人で飲みに行ったの?いつもお互いツンツンしてケンカばかりしてるくせに、意外と影では仲良くやってるんだね」

前に並ぶ二人の対照的な様子に、ハンジはさも愉快そうにケラケラと笑う。

「バカ言え、誰と誰の仲がいいんだ」
「とか何とかいって、好きなコ程ちょっかいだしていじめるタイプなんじゃないの?キミ」
「!!―――あぁ、もう・・・」

一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。
一体自分は昨夜何をしでかしてしまったのだろう。
それでも記憶は蘇らないし、蘇らない方が幸せなのかもしれない。
とうとうクラリと眩暈がして椅子に倒れこむように座ったなまえに、ハンジは驚きモブリットを呼んだ。

「あぁ、可哀想に。大丈夫?なまえ・・・。ねぇモブリット、私の健康ジュースをなまえに持ってきてあげて。あそこに置いてあるから」
「ええ?どこですか」
「だからさ、そこだよ、そこ・・・」

ハンジは椅子に掛けたまま振り返って、近付いてきたモブリットに指を差す。
先日リヴァイとなまえがこの部屋に来たときに勧めてきた彼女特製の健康ジュースを、二日酔いのなまえに飲ませたいらしい。
モブリットはいつものようにあたふたとした様子できょろきょろと彼女の指先を見て、戸惑いながら彼女の指示を仰ぐ。
二人を尻目に、机に肘を突き頭を抱えて辛そうにうなだれているなまえをちらりと見て、リヴァイは悪びれずに話しかけた。

「・・・なぁ、守銭奴よ。オレがお前を好きだと思ったことが一度でもあると思うか?体以外でだ」
「!!?!?!!」

頭を抱えていた両手を目にも留まらぬ速さでパッと外すと、先程まで真っ青だった顔を真っ赤にしたなまえは目をひんむいてリヴァイを見た。
それから目の前に背中を向けて座るハンジと傍らのモブリットが話している方を、目を白黒とさせて見る。
彼の言葉が彼らに聞こえてしまいはしなかっただろうかと辛い頭痛も忘れて狼狽した。

「―――――あ、あ、あ、あなた、ほ、本当に、・・・!!」

最低です、と言いたかったのだろうが、動揺する彼女はみなまで言うことができない。
リヴァイはニヤリと意地の悪い笑みを返した。

「なまえ、私の健康ジュースは今こそ君の役に立つと思うんだ。いまモブリットが持ってきてくれるからね!」

幸い、さっきのリヴァイの言葉は彼女には聞こえていなかったらしい。
引き攣るように痛む頭から冷や汗をだらだらと垂らすなまえは、ぎこちなく口角を上げて意味もなく何度も首を縦に振った。

「・・・おいハンジ、今にも吐きそうな顔したヤツにお前の作った刺激物を飲ませて無事で済むと思うか?」
「え?」
「こいつのゲロでお前の大事なこの研究室は汚れるだろうな・・・オレは朝の爽やかな気分を害されたくねぇ」

正直この間味わされた彼女の健康ジュースは、いま目の前に出されればそれだけで胃の中の物が逆流しそうな程、とても“個性的”でとても“刺激的”な味だった。
なまえは笑顔と呼べるか呼べないかくらいの引き攣った顔でハンジの顔色を窺うように見た。
彼女の顔には「彼に同意です」と顔に書いてある。
ハンジはきょとんとした顔で「そうなの?」と答えた。

「でもねなまえ、このジュースは私の特製で健康にいい成分が通常の――――」
「ハンジ、いい加減にそんな妖しげなジュースを飲むよりも、下着を着けずに夜寝た方が健康にいいとエルヴィンが言ってたぜ」
「!?」
「エルヴィンが?そりゃ初耳の健康法だねぇ」

身に覚えのあるワードが含まれる彼の言葉に、なまえは驚きリヴァイを見た。
朝、自分がショーツを着けていなかったことが頭をよぎったからだ。
隣でハンジと離しているリヴァイの顔は、心なしか意味深な笑みを浮かべているように見えなくもない。

(まさか、やっぱり・・・?!で、・・・でも――――)

リヴァイの言葉は昨夜の記憶のない間にまつわる良くない想像をどんどん駆り立てて、彼女を更なるパニックに陥らせる。
それは彼女の顔色から血の気を奪って、なまえの顔色はとうとう土気色にすら近付いていた。
けれど、不安と恐れでいっぱいになった彼女の心と引き換えに、なまえはその悪くなった顔色でハンジの更なる心配を引き出して、彼女の健康ジュースを免除されるという幸運を手にすることができた。



ハンジの研究室を出ると、まだ不安な気持ちの晴れないなまえは飲まずに済んだはずの彼女の健康ジュースさながらに、どろりとした緑と紫の混じった色の表情を浮かべて大きなため息をついた。
不本意ながらも帰る方向が一緒なので、リヴァイと一緒に歩きだす。
力なく彼の小柄な後姿を見つめ、恐る恐るその背中にぽつりと話しかけた。

「・・・私、昨日そんなにご迷惑をお掛けしたんでしょうか・・・」
「・・・正直者のオレが嘘をつくと思うか?」

ええ、と言いたいが、そんなことを言えるほど今の彼女には元気がない。
彼女の不安が的中していないかどうかも確かめたいのだけれど、もし結果がその通りだった場合を考えるとあまりにも怖すぎて、どうしてもそれを尋ねる事ができない。

「・・・すみませんでした、リヴァイ兵士長。忘れてもらえると助かります・・・。こんなことは初めてで・・・本当に何も、覚えてないんです」

意外にも彼女がしおらしい台詞を口にしたので、リヴァイは立ち止まり、彼女を振り返った。
なまえも合わせて立ち止まり、彼の目を不安げに見つめる。
その目は昨夜と同じ様に、いつものような頑なな印象はない。

「・・・お前は、酔って手放した記憶は戻らないタチか?」
「・・・は・・・?」
「酔っ払って記憶が飛ぶてめぇのお花畑みたいな脳ミソには二度と記憶が戻ることはねぇんだなと聞いてるんだ」
「は、はぁ・・・。初めてなので、よく分かりませんけど・・・。少なくとも今は全く覚えてなくて・・・ご迷惑をお掛けしたのなら、すみませんでした・・・。」

リヴァイはやけに真面目くさった表情で彼女の目をじっと見据える。
真意を窺い知ることのできない彼のその顔に、なまえは戸惑い瞳に不安の色を浮かべた。
彼女の不安げな顔をしばらく見つめた後、リヴァイは彼女を解放するように、気が抜けたようにふっと笑った。

「・・・そうか。ならいい」

いつも自分を戸惑わせる彼のその笑顔は、なまえの胸に何か覚えのある、甘くて切ない衝動を沸き上がらせる。
そう、その衝動は、彼女の心に、脳裏に、まださっき焼きつけられたばかりのような―――――

何か強い衝撃を受けたようにはっとしてただ立ち尽くす彼女に、リヴァイは僅かに口の端を上げた。

「安心しろ・・・お前が思うほど、悪い夜じゃなかった」

なまえに背を向けると、リヴァイはカツカツと乾いた音を廊下に響かせて、再び歩き出した。
彼の背中は、決して掴むことのできない記憶を彼女にちらつかせながら、遠ざかっていく。
彼女はただそこに立ち尽くし、リヴァイの背中を見送ることしかできない。
説明のつかない、けれどどこか覚えのある、締め付けられるような甘くてヒリヒリとした痛みを感じて、なまえは胸をぎゅっと握った。


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