ナイトテーブルに置かれたキャンドルはぼんやりと枕元を照らすが、それにアロマの香りが施されていなければ、今夜は殆どその存在理由がなかっただろう。
寝室のドアを開ければ大きなベランダに続く壁一面の大きな窓から入り込む明るい月光が、なまえを迎えた。
浴びせられるような真っ白な光に、なまえは吸い寄せられるように窓へ近付いていく。
不意に端に寄せられていたカーテンが揺れ、そこからは大きな人影が覗いた。
月明かりを背に殆どその顔が見えなくとも、それが誰か、彼女には分かったのだ。

「――――――エルヴィン」

照らされる白光に、彼のブロンドが目映く輝く。
静かに目を見開くと、なまえは真っ白なレースのカーテンの影から姿を現した男の名を呼んだ。
そして驚きに、言葉を失った。

「・・・今夜の月は何て美しいんだろう。まるで君のようだな、なまえ。思わず目を奪われ、その目を離したくなくなる、なのに何故、見つめているとこんなに悲しくなる?」

やがて認められた男の顔は、切なげにその口角を上げていた。

「姫君の寝室だというのに随分不用心だな。窓に鍵がかかっていなかった・・・君は私を待っていてくれたのか?なまえ」
「一体・・・、どうやってここに?どうしてこんな・・・」
「大きな屋敷でも忍び込むことなんて、私には訳無いことだ」

おどけてそう言うと、エルヴィンはなまえに向かって立体機動装置のベルトを軽くつまんだ。

「一目、君に会いたくなったんだ―――――明日君が、私ではない他の男のものになる前に」

穏やかに、そして小さく笑んだエルヴィンの胸へ、なまえは想うよりも早く、飛び込んでいた。
その身体を大事に抱きとめれば花の香りがふわりとして、彼の心をちく、と刺した。
それはこの部屋に飾られた、家紋の入った大きな花瓶に生けられた大輪の花の香りだった。
彼の脳裏には、きっと明日彼女を手に入れるあの男が贈った物なのだろう、等と自虐的な考えが浮かぶ。

「・・・君をさらってもいいか、なまえ」

なまえはエルヴィンの胸に埋めていた顔を上げた。
その瞳には今にも溢れてしまいそうな程、涙が湛えられていた。
吸い込まれそうなその瞳を見つめながら、エルヴィンは彼女の顎に手を添える。

「――――意地悪な人。さらってと言っても、本当にさらってはくれないくせに」

唇を奪うと、なまえの瞳からは涙がこぼれ落ちた。



大きなベッドに埋もれて、2人は肌を合わせ、抱き合う。
月明かりに照らされる彼女の肌は陶器のように白く美しい。
二度と触れられないのであろうその身体をしっかりと腕に包むと、エルヴィンは窓の外に浮かぶ月を見上げた。

「不思議だな。夜空には明日も同じ月が浮かんでいて、君も私も今夜と同じようにそれを見上げるだろう。けれど君は、今日の君とは違う」

なまえの首筋にすがりつくように鼻を押し付けると、エルヴィンは切なげな息を吐いた。

「・・・なまえ。昔読んだ本に、魂は巡ると書いてあった。もしそれが叶うなら、次はもっと早く君を見つけ出すよ」
「・・・こんな時に気休めの言葉は止して、エルヴィン。だってあなたはいつだって遙か彼方を目指す、大きな志を持つ人だから」
「―――――気休めだって?」

エルヴィンはなまえから身体を離すと、彼女の顔を見つめた。

「気休めなんかじゃない。心からそう思ってる。・・・こんな思いを味わうのは、一度きりにしたいものだ。・・・もし魂が巡っても、きっと同じ月が見届けてくれるだろう」

なまえは耐えきれぬ程の切なさに満ちた心の内が溢れてしまわないよう、睫を伏せた。
そう、もう後戻りなど、できようもない。
全ての歯車は既に動きだし、しっかりと噛み合い、回っている。その歯車を今更変えることなど、叶わないのだ。
彼女の瞼がふるふると震えていたのを見過ごせる程、今夜のエルヴィンは寛容ではいられなかった。

「・・・悲しくて、美しい月だ。何て心が痛いんだろう・・・今夜の月は、一生忘れられそうにない。辛いな」

エルヴィンはその大きな手で、慈しむようになまえの頬を撫でた。

「ねぇ、なまえ。最後にお願いがあるんだ。・・・君を愛してると、言ってもいいかな」


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