なまえを苦しめる“しるし”は、薄くなれば次第にひとりでに消えていく、とハンジは言った。

(“次第に”って、一体どれくらいなの?!)

けれどもそれがいつなのかは、ハンジにも、もちろんなまえにも、分からない。
じんじんと熱く疼く身体を持て余して、なまえはベッドに埋めた顔をグリグリと左右に振りながら、更にそれを掘り進めた。
浅い呼吸を繰り返して、“しるし”がある辺りをかきむしるようにして押さえる。

(・・・ムラムラするって、こんな感じなの?)

こんな味わったことのない、熱くて、淫らな気持ちになるのも、この“しるし”のせいなのだろうか。
さっきまではそこへナナバが口づけて、彼女が知らなかった快感を与えてくれた。
その時は羞恥も一緒に覚えていたはずなのに、今ではもう一度、それを感じたい衝動に襲われている。
やりどころのない衝動に、なまえは脇にあった枕をひっつかみ頭の上に載せると、枕ごと、半べその顔をまたベッドに押しつけた。
彼女は自分の中に初めて現れた、自らを押し潰してしまいそうな程強烈な性的興奮を処理する術を、知らなかった。
もしできれば所構わず叫んで、このどうにもならない気持ちをぶちまけて晴らしてしまいたい。
そう思った時、突然、部屋のドアが開かれた。

「――――すっ、すみません!!!!」
「!!」

ドアを開けた若い兵士となまえの目が合った時、彼――――ジャン・キルシュタインは、“目付きの悪い”と形容される事の多い細い目を大きく見開いて、反射的にドアを閉めていた。
大きな音を立て慌てて閉めたドアに寄りかかって何故かそれを押さえながら、ジャンはなまえを血走った目で凝視し立ち尽くしている。
なまえが反射的に上半身を隠す事ができたのは不幸中の幸いだった。
さっきナナバに上半身を一糸纏わぬ姿にされていたなまえは胸元を両手で隠したまま、振り返った顔を元に戻した。
そして急ぎ、下着も着けずにシャツを羽織る。
なまえだって驚いただろうが、ジャンだって驚いただろう。
彼がたまに使っていたサボり部屋へ久しぶりに行ってみたら、そこには女性の先輩が裸でうずくまっていただなんて。
――――ジャン・キルシュタインとなまえ・みょうじの間には、奇妙な親近感がある。
それは度々、彼らが互いに不憫な境遇に陥る時があることを、知っていたからだった。
ある時は彼が手柄を立てようと張り切り失敗したのを彼女がたまたま目撃してしまったり、彼女が皆から忘れ去られて置いてきぼりになったのを彼がたまたま目撃してしまったりだとか、そんなことが重ねられていくうちに、ジャンは人には覚えにくいらしいなまえの名前を覚え、なまえも新兵のジャンの存在を覚えるようになった。

「・・・え、な、何っ・・・、なまえさん?!!・・・す、すみません、俺・・・、失礼しました!!」

ジャンは混乱したまま振り返り、ドアに手を掛けた。

「ま――――待って、ジャン!!」

このまま外に出られてはまずい、となまえは咄嗟に彼を呼び止めた。
自分が今ここにこうしていることを口外されては、とても困る。
なまえは立体機動でも使ったかのように素早くドアに飛びつき、ジャンが僅かに開けたドアを強引に押さえて、閉めた。

「あの、私がここにいたこと、・・・お願い。誰にも言わないで」

元々浅かったなまえの呼吸は驚き激しく動いたせいで、ますます苦しくなった。
ボタンも掛けていないシャツを片手で合わせたまま、なまえははぁ、はぁ、と肩を大きく動かす。
彼女の片手はジャンの背後から彼の肩に僅かに触れながら、ドアを押さえている。
なまえの身体がすぐにも自分の背中に触れそうな距離にあることを感じて、ジャンは雷にでも打たれたかのように、硬直した。
元々彼の勃起のハードルは人よりも低い方かもしれない。
けれど今、何故こんなにも強烈に、彼女に対して性的に興奮をしてしまっているのか。
そしてジャンは何か熱いモノがつうっと、唇の上を流れていくのを感じた。
それは唇、顎を伝い、小さな音を立て床に落ちる。

「!!?」

足下にはいくつかの血痕ができていた。
確かに彼は興奮していた。
それも、鼻血が出る程に。
慌てて乱暴に、鼻の下を擦る。

「あ、あ、あ、あの、」

尤もそれは彼がこの部屋のドアを開けた瞬間からとっくにそうだったのだけど、ジャンはパニックに陥っていた。

(いくら何でもヤバイだろ、これは!!!)

自分の背中にぴたりとくっつきそうな距離に先輩であるなまえがいるという状況で、彼の下半身は思いきり、暴れていた。

――――彼女のいる角度からそれは見えていないだろうか。
いや、見えていないことを祈るしか無い。
それに気付かれでもしたら自分はなまえに覗きだ変態だと軽蔑され嫌われ必ず誰かにこの出来事を伝えられるだろう。
そしてそれは噂になりすぐ広まって、自分は“勃起くん”とでもあだ名を付けられ調査兵団にいる限りずっと、この瞬間自分の下半身に起こってしまった過ちをいじられ続けるに違いない――――

ジャンの顔はいきり立つ自身とは裏腹にさっと血の気が引いて、真っ青になっていた。
それでも悲しいことに、なまえの(彼にとっては、強烈に色っぽく感じる)息遣いを間近に感じて彼の下半身は更なる興奮に煽られる。

(ライナーの、・・・いや、お袋の、・・・・・・!!)

自分の意思に従ってくれない下半身を何とか萎えさせようと彼のガチムチな同期生のあらぬ姿や母親の顔を浮かべるが、どうにもそれは治まってくれない。
確かにこれは彼にとって、ラッキーハプニングだった。
ジャンが女性の半裸を見られたのは、物心ついてから初めてのことだ。
それで自分のモノが元気になってしまったのは致し方ない。
日常生活ではままあることだ。
問題はその後で、自分の下半身は今強烈に彼女に反応して、どうしようもなくなっている。
いつもならこんなハプニングが起こっても、彼の母親の顔さえ浮かべれば簡単に大人しくなってくれるというのに。

(俺は、俺は一体何の為に調査兵団に入ったんだ!!やっぱり大人しく変な気を起こさずに憲兵団に入ってりゃ良かったんだ!そうじゃなきゃ俺は、―――――!!)

彼の頭の中では既に“勃起くん”と名付けられている将来が半分やってきているらしい。
苦悩の表情で頭を抱えると、ジャンはその場にうずくまった。

「・・・だ・・・大丈夫?ジャン」

彼女自身にも余裕はないけれど、彼女の中に僅かに残っていた冷静な部分で目の前にいる様子のおかしい後輩を精一杯気遣い、なまえは彼の隣にしゃがみ込んだ。
けれど、ジャンは何も答えない。
彼の顔を覗き込もうとなまえが顔を近付けたので、ジャンは目を見開き、叫んだ。

「うわぁっ!!!」

覗き込まれれば制御不能な自分の下半身をなまえに見られてしまう、それを恐れてジャンは飛び上がるようにして身体を捩った。
しかし、不幸にも彼はバランスを崩してひっくり返り、思いきりテントを張っている下半身を、よりにもよって彼女の目の前に、晒してしまった。
なまえははっとして、顔を強ばらせた。

「・・・・・・!!!」

ジャンは鼻血の跡が残る間抜けな鼻の下を除いて、ただ真っ青な顔のまま、硬直した。
その顔には、“終わった”と大きく書いてあるように見えた。

(終わった・・・、全てが終わった)

真っ白になった脳裏に、遅れて彼の状況判断が伝えられる。
明日から自分の名前は“勃起くん”で間違いない。
ブリッジが崩れたような、何て間抜けなポーズだろう。
涙が滲んで、目がじわじわと熱くなった。
細い目いっぱいに涙が溜められたまま、ジャンはにじんだ視界の中になまえを捉える。
なまえは口元に手を当てて、ジャンを見つめていた。

「―――――ご、ごめん、ジャン・・・、」

ごめんと言った彼女の言葉を理解することもできなかったし、ジャンは何も考えることができなかった。
微動だにしないジャンを見つめたまま、なまえは続けた。

「違うの、これは、ジャンが悪いんじゃなくて、その、多分・・・、」

ジャンの様子から、彼が自分の下半身に現れている反応をなまえに必死に隠そうとしていることを理解して、彼女は彼を慰めようとしていた。
まだ“しるし”が完全に消えていないから、ジャンにそうした反応が出てしまっているのだろう。

「私のせいなの。だから気にしないで・・・」

嫌悪の反応を見せず、むしろ申し訳なさそうな様子のなまえに、ジャンは逆に戸惑った表情を浮かべた。

「・・・それは、一体どういう―――――」

彼がそう口を開いた時、なまえはジャンの様子の変わらぬ下半身を見つめて、こく、と喉を鳴らした。

(どうしよう、どうしてこんな気持ちになっちゃうの・・・、)

―――――彼自身に、触れてみたい―――――

今まで思ったことも考えたこともないような欲求が、彼女に沸き上がっていた。
・・・男性の性器に触れたいと思うだなんて。

(多分私、“発情”してるんだ・・・)

すうっと、彼女の手がジャンの太股へ伸びていく。
やさしく触れたそれは、はちきれんばかりになっている彼自身へと、遠慮がちに、それでも少しずつ近付いていく。

「あ、あの、あ、なまえ、さん、」

何を言いたかったかは分からない。
ただいつの間にかカラカラになってしまった喉を振り絞るようにして、ジャンは彼女の名前を呼んだ。
そこに期待が無い訳なんて、ない。
ごくりと飲んだつもりの生唾は、彼の口の中には残されていなかった。

(マジかよ、これって、そういう・・・・・・)

めくるめくこれからの妄想が一瞬で彼の頭をよぎった時、テントの裾になまえの手が触れた。
―――――その瞬間、

「――――――――!!!!!!!!!」

あっ、とジャンが声を出した時には彼の腰はびくびくと独立した生き物のように動いて、少し遅れて、テントの頂上部はじわじわと濡れていった。
その裾に手をやったまま、なまえは事態が飲み込めない様子で目を丸くし、ぴたりと動きを止めていた。

(・・・・・・・・・最悪だ・・・・・・・・・)

ジャンは目を両手で覆い、天を仰いだ。

(俺の明日からのあだ名は“お漏らしくん”もしくは“早漏くん”で間違いねぇ・・・)

彼の目を覆った両手の隙間からは、光るものが頬を伝い、流れてきた。
失ったと感じるものは、余りにも多い。
まず、ひょっとしたら今、彼は願ってもない童貞喪失のチャンスを迎えていたのかもしれなかった。
そして、恐れていた“勃起くん”よりもずっとダメージの大きなあだ名を付けられるきっかけを自ら作ってしまった。
一体明日から自分はどう生きていけばいいのか。

「うっ・・・」

彼の口から嗚咽が漏れだした頃、なまえは少しずつ、自らを支配していた性的な興奮から抜け出し始めていた。
同時に、今自分が余りにもまずい状況を作り出していることに気が付く。
いつこの部屋にハンジやナナバ、リヴァイが戻ってきてもおかしくない。

「ジャン、気にしないで。人が来るかも・・・、とにかく早くここから出た方がいいよ!」

今度はなまえの顔から血の気が引いていく。
あたふたと適当な本を彼に渡すと、とりあえず立ち上がるようジャンを促した。
その本で可哀相な彼の下半身を隠せ、ということらしい。

「無いよりはマシだよね?ね!?」

とにかくこの状況をあの上官たちに見られてはまずい。
半ば追い出すようにして、ジャンをドアの方へ追いやる。

「ほんとごめん、ジャン。私も絶対誰にも言わないから。お互いこれは内緒ってことで・・・!!」

人が来るかも、というなまえの言葉に怯えつつ、ジャンは事態が把握できていない。
ただとにかくすぐにここから逃げなければいけない。
そして自分の下半身に起こった悲劇の痕跡を、誰にも知られず、速やかに消去しなくてはならない。

「わ・・・、分かりました・・・!!じゃ、じゃあ」

不安で仕方ない表情を残しつつ、ジャンは慌ててドアノブに手を掛けた。
この部屋のドアは引かなければ開かないのを知っているはずなのにジャンはそれを押すので、開かない。
パニックになりながらも3度繰り返した後それを引いたらやっとドアが開いたので、ジャンは目を白黒させながらもの凄い形相で部屋を飛び出した。
遠ざかっていく、走るジャンの足音を聞きながら、なまえは(やってしまった)、と再びベッドに激しく顔を埋めた。
今度はさっきよりももっと、深く。




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